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「人間主義と人類の発展――第5回池田大… 中国・遼寧師範大学

2009.10.24 スピーチ(聖教新聞2009年下)

前後
1  中国の大前進を力強く牽引されゆく憧れの天地・大連におきまして、新たな知性の指標を掲げゆかれる国際シンポジウムが開催されましたことに、心からお祝いを申し上げます。
 今回のシンポジウムのテーマは、「人間主義と人類の発展」と伺いました。
 これほど端的に、現代世界の核心に迫りゆく命題があるでしょうか。
 「人間」――これこそ、一切の原点であります。
 貴国の大文豪・魯迅先生は叫ばれました。
 「人間の精神が作興さっこうして溌溂となりさえすれば、国家も従って興起するのである」(松枝茂夫訳『魯迅選集第5巻』岩波書店)
 人間を離れて、社会はない。経済も、政治も、宗教も、思想も、科学もありません。いな、すべての営みは「人間の幸福のために」存在します。
 貴国の妙楽湛然が「依正不二」と立てたように、仏教でも、「人間(正報)」と、それを取り囲む「環境(依報)」との一体性とを明快に説いております。
 人間によって、社会は変わる。世界は変わる。生態系は変わる。ゆえに、すべては「人間」を向上させることから始まります。
2  「人をもって本となす」
 現代世界は、幾多の課題を抱えております。
 一例を挙げれば、情報化社会の進展は、ツールとしての伝達手段を発達させました。にもかかわらず、肝心な人間関係の希薄化が生じております。
 インターネットの匿名性を悪用しての凶悪犯罪なども、多発する傾向にあります。
 人間を豊かにするはずの科学技術が「非人間化」を引き起こす。こうしたジレンマに直面するなかで、今こそ「以人為本(=人をもって本となす)」の思想が必要とされている時はありません。
 私の胸には、曲学長の鋭い警鐘の論陣が迫ってまいります。
 「人間を本位に、人から出発することは、最も素朴な常識で、最も見失われやすい原点である。
 なぜなら、一個人の存在は、膨大な精神体系や、教義の規範、組織の制度などに比べると、あまりにもちっぽけで取るに足らないと見なされるからである。
 『生命至上』『人間の尊厳第一』という理念がなければ、人間の正当な物質的・精神的要請は、充分な尊重や満足を得ることはできないであろう」といわれるのであります。
 卓見であります。
 この点で、貴国には、他の文化圏のいずこにもまして優れた精神性があります。それは、「中国的人間主義」とも言うべき貴国の思想であります。
 これまでも私は、幾度となく講演を行い、論じさせていただきました。
 すなわち、中国においては思考方法の原点に、いつも一人の「人間」が置かれているということであります。森羅万象のあらゆるものが、ことごとく「人間」に関係を有しているという考え方であります。
 いうなれば、何を考え、何を行うに際しても、一人の「人間」から決して離れない。これが最も簡明にして、根本の人間主義と言えましょう。
3  正義の道を貫け
 この人間主義を鮮明に表す思想が、戦国で生まれた儒教の「中庸」という精神であります。
 『論語』に「中庸の徳たるや、それ至れるかな」(赤塚忠著『新釈漢文大系第2巻』明治書院)と謳われる通り、中庸とは、最も高貴な徳として重んじられてきました。
 朱子学の祖・朱熹しゅ・きが「ちゅうとは不偏不倚ふへんふきにして過不及無きの名なり。庸とは平常なり」等と明晰に論じているように、極端に偏らない。行き過ぎない。常に変わらざる道を行く。これが中庸の本義であります。

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