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日蓮大聖人・池田大作

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秋季彼岸勤行法要  

2008.9.23 スピーチ(聖教新聞2008年上)

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1  きょうは、ありがとう!
 自分のため、地域のため、そして広宣流布の勝利のための尊い行動、毎日、本当にご苦労さまです!
 「彼岸」にあたり、ここ師弟会館に御安置されている創価学会の常住御本尊に、彼岸法要の勤行・唱題を行わせていただいた。
 全人類の宿命転換のために、勇み戦っておられる、全国、そして世界192カ国・地域の尊き同志に届けと、私は一心不乱に題目を送り続けている。
 また亡くなられた功労者の方々、さらに皆様方のご家族、そして広宣流布に連なる、すべてのご友人の先祖代々の追善回向を、本日も懇ろにさせていただいた。
 日蓮大聖人は、御義口伝で明快に仰せになられている。
 「今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる」(御書712㌻、通解)
 この末法濁悪の現代世界にあって、大聖人の仰せ通りに、難を乗り越え、不惜身命で広宣流布に励んでいるのは、ただ創価学会の私たちだけである。
 この私たちの唱える題目には、計り知れない大功力がある。それは、生きてる人々はもちろん、亡くなった方々の生命にも厳然と通ずる。
 その題目の光は、たとえ言語に絶する地獄の苦しみの生命であっても、赫々と照らして、必ず必ず即身成仏させることができると御断言なのである。
 私たちの題目の響きには、それほどの力が込められているのだ。
 御本仏の仰せは、絶対であられる。
 この一点を大確信していくならば、いかに悲しい生死の別れがあろうとも、嘆きに沈むことはない。
 生命は永遠である。三世にわたって、心を通わせていける。苦しみから救っていける。悲観や感傷をも超克しながら、「常楽我浄」の生命の旅を、ともに励まし、ともどもに歩んでまいりたい。
2  真の追善は創価の和合僧の中に
 戸田先生は、よく語られた。
 「広宣流布のために、日夜活躍している子どもの信心の功徳によって、必ず親も成仏していけるのである」
 “坊主に拝んでもらわなければ成仏できない”などとは、御書のどこにも記されていない。
 大聖人は、親孝行の真心を尽くした女性の弟子に対して、“亡くなった、優しかったお父さまは、娘のあなたの題目の声を聞かれて仏になられるのです”と励ましておられる(同1424㌻)。
 さらに、信心に励む女性門下に、「この功徳は、あなたの父母や祖父母、さらに無量無辺の衆生にも及んでいくでしょう」(同1231㌻、通解)と教えられている。
 大聖人の仏法においては、自分自身が仏道修行に励んで成仏することが根本であり、その功徳を故人に回らし向けることが、真の追善回向になる。
 それは、大聖人の御心に寸分も違わぬ、創価学会の広宣流布の和合僧の中でこそ、実現できるのだ。
3  墓地革命の模範
 全国の13カ所の墓地公園、また各地の納骨堂でも、彼岸の法要が行われている。
 無事故の運営に当たってくださっているご関係の皆様方に、この席をお借りして、心から感謝申し上げたい。
 なかでも、秀麗な富士を仰ぐ富士桜自然墓地公園(静岡・富士宮市)は23日、記念すべき『950万人目』の来園者を迎えた。
 1980年(昭和55年)の秋11月に開園して以来、刻まれてきた尊い歴史である。
 また、大分の九州池田記念墓地公園は、開園3年余で、ちょうど70万人が訪れた。
 各地で墓参に見えた、信心していない親族の方々からも、清々しい墓園を愛でる声が寄せられている。
 墓石の平等性や、豊かな自然環境の保護も評価されている。さらうに、地域に開かれ、郷土の繁栄に貢献していこうとする在り方に賞讃が寄せられ、識者や専門家からも“墓地革命”の模範として注目されている。
 創価の「生死不二の都」は、常に明るい希望のにぎわいである。永遠の安穏と大福徳に包まれている。
 一方、限りない大聖人の大慈悲を無残にも、踏みにじったのが、日顕宗である。
 戸田先生は、厳しく喝破されていた。
 「坊主は、人々を救うためにある存在だ。
 それを、御供養といって、信者を金儲けの道具にし、何の贅沢に使ったのか。何の遊戯雑談に使ったのか。
 仏法の本義から根本的に誤った、腐った精神である。あまりにも情けない」
 これこそ、腐敗し、堕落しきった、邪宗門である。正義の学会に敵対した日顕宗の凋落は著しい。
 彼岸の墓園の姿一つ見ても、仏法の正邪は厳然と明らかである。
 「学会は勝った! 晴れ晴れと勝った!」と宣言しておきたい。

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