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新時代第15回本部幹部会  

2008.2.6 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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1  寒いなか、大変にご苦労さまです。
 とくに海外の方は、風邪などひかないように気をつけていただきたい。
 初めに、アメリカ第35代大統領と言えば――。
 〈「ケネディです」と会場から答えが〉
 その通り、よく知ってるね。
 アメリカ第35代ケネディ大統領いわく。
 「人間のさまざまな美徳の中で最もすばらしいもの――勇気だ」(宮本喜一訳『勇気ある人々』英治出版)と。
 勇気――これこそ、ケネディ大統領が常に大事にしていたものである。
 そして大統領は、勇気を持っている人、勇気を大切にしている人、そうした人材を一生懸命に探した。
 勇気ある者に学び、勇気ある者を模範とせよ、それ以外は必要ないと。
 私も、勇者を求めたケネディ大統領の気持ちがわよく分かる。
 勇気がある者には、信念がある。信念がある者は、信頼される。信頼される者には、大勢の友がついてくる。だから勝てるのである。
 勇気の人は、信念の人であり、勝利の人である。
2  じつは私は、ケネディ大統領から会見の申し込みを受け、お会いする予定になっていた。
 しかし、日本で、ある横槍が入って会見が取り止めになった。
 そして、その年の秋、大統領は、遊説先のダラスで、凶弾に襲われ、亡くなられたのである。
 そうした経緯もあって、弟のエドワード・ケネデイ上院議員(末弟)が、わざわざ、私のもとを訪ねてくださったことがあった。〈1978年(昭和53年)1月12日〉
 会見した場所は、信濃町の聖教新聞本社。
 背が高くて、お兄さんと同じように、さっそうとしておられた。
 「お兄さんに、よく似ていらっしゃいますね」と言うと、「兄弟ですから」と、さわやかにケネディ・スマイルで応えてくださった。
 高き理想を共有するケネディ兄弟に受け継がれた精神的遺産――それが「勇気」であった。
3  勇気と慈悲は表裏一体
 戸田先生も、「勇気」を叫ばれた。
 そして、仏法では慈悲を説くが、慈悲といっても、表は勇気である。勇気をもって、行動に移してこそ、本当の慈悲なのである。勇気と慈悲は表裏一体である――このように、厳しく、先生は言われていた。
 たとえば、重い荷物を持っている人に、「私が持ってあげましょう」と言うのは勇気が必要である。
 私も若いころ、蒲田駅で年配の女性が買い出しの大きな荷物をかかえているのを見て、「代わりに持ちましょうか」と言ったことがある。
 その人も喜んで、持ってあげたのはよかったが、その荷物の重いこと重いこと。
 その人は、森ケ崎のわが家の近くに住んでいた。
 へとへとになって運んであげて、お礼は「ありがとう」の一言。
 こういうこともあるけれど、ともかく、勇気を出して行動してこそ、慈悲が形となって現れるのだ。
 勇気のない、実践のない慈悲は、本当の慈悲ではない。
 せっかく心の中で思っても、何もしない、何も言わないのでは、慈悲とは言えないのである。
 また、学会が嘘八百の悪口を言われば、「それは間違っています」「訂正してください」と鋭く打ち返していく。それができるのが勇気である。
 大事な時に声を発しない。何も言えない。黙る。それは勇気がない証拠だ。間違っていることは、きっぱりと破折する。
 それは一見、厳しい態度に見えるかもしれないが、はっきりと正邪を教えていくことは、結局、相手にとって慈悲となるのである。
 いざというときに、勇気を出せる人が、人間として一番尊い。勇気こそ仏法の真髄である。人間の真髄である。
 日ごろ威張っている男性にかぎって、いざとなると臆病になり、こそこそ逃げ出す場合がある。
 その点、女性のほうが、いざというときに腹が据わっていて、勇気があると言う人もいる。その意見に共感できる方も多いであろう。

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