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各部最高協議会  

2008.1.2 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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1  「人材・拡大の年」の開幕、大変におめでとう!
 きょうは、お正月の休みの中、また寒い中、本当にご苦労さまです。
 全国、全世界の尊き同志、また大切な友人の皆様方にも、新年のごあいさつを申し上げたい。
 年末から年始にかけて、学会本部には、各地から多くの方々がお見えになり、深き真心から新春を祝賀してくださいました。
 特に今年は、世界中で、私の80歳の誕生日を祝ってくださった。世界の各地からいただいた祝電や新年状も、過去最高の数となりました。
 この席をお借りして厚く御礼を申し上げます。
 さらに、年頭から日本一の新年の勤行会等の運営に当たってくださった創価班、牙城会、白蓮グループ、白樺グループなど、すべての役員の皆様方、本当にありがとうございました。
 心からの感謝を込めて、晴れわたる元旦に詠んだ一首を捧げたい。
  創価山
    朝日に輝く
      三色旗
    君も 私も
      勝利に輝け
 この一年もまた、元気で、健康で、新たな黄金の歴史を築いてまいりたい。
2  旭日のごとく
 ご存じのように、「元日」は「年の最初の日」であり、「元旦」は「年の最初の日の朝」を指している。
 漢字で「元」は始まりを意味し、「旦」は太陽が地上に現れることを示しているとされる。
 また元旦・元日は、「日」「月」「年」の3つの「はじめ」でもあるため、「元三がんざん」「三朝さんちょう」「三元さんげん」「三始さんし」ともいう。
 有名な「十字むしもち御書」の一節には、次のように仰せである。
 「正月の一日は日の始めであり、月の始めであり、年の始めであり、そして春の始めであります。これを正法をもって祝う人は、月が(その出る位置が)西から東に向かうにしたがって満ちるように、また日が東から西へ渡って行くにしたがって明らかになるように、徳も勝り、また人々にも愛されるのです」(御書1491㌻、通解)
 日蓮大聖人は、正月の初めに真心の供養を届けられた門下の信心を、最大に賞賛された。
 年初より、広布のため、妙法のために尽くしゆく尊き友の福徳が、どれほど大きいか。そのことを深く確信していただきたい。
3  「毎日が元旦」と
 スイスの大教育者ペスタロッチは語った。
 「元日は、この一年間がわたしたちにとってどんな年になるか、そのいっさいが始まる日です」(佐藤正夫訳「新年講演」、『ペスタロッチー全集第10巻』所収、平凡社)
 元日を大切にしたペスタロッチは、自らが創立した学園で、毎年、この日に、新たな息吹で年頭のスピーチを行うのが常であった。
 1810年の元日、彼は、若き学園生たちに呼びかけた。
 「いっさいの悪に抵抗し、いっさいの善に味方する、心の勇敢な、精神の強い人間になってください」(同)
 さらに、ペスタロッチはこう語った。
 「兄弟姉妹達よ、きょうは我々にとって新たな団結の日である。
 我々の事業は我々にとって新らしく、我々の目的は我々にとって新らしく、我々の力は新らしく、我々の意志は新らしくあれ!」(四本忠俊訳「学園講演集」、『ペスタロッチ全集第3巻』所収、玉川大学出版部。現代表記に改めた)
 指導者の新しい決意みなぎる、新しい声の響きが、新しい前進の力を生むのである。
 私が会談した高名な心理学者で、ハワイ大学名誉教授のアンソニー・マーセラ博士は、鋭く洞察しておられた。
 「私の専門である心理学的に言っても、一つの年が暮れ、新しい年の始まる瞬間は新鮮な決意をする大きな動機づけとなる。
 新年の始まった直後は世界中が、時の流れ、生命、そして生命の意味といったものに対して深遠でかつ強烈な意識を持つように思われる。更に、たとえどんなに小さな決意でさえも、宇宙大の確固たる確信となりうる。
 このように新年の決意というものは重要な意義を持つゆえに、軽視されるべきものではない。
 事実、新年に際して新しく変わろうとする努力は、生命の深くに根差した生まれ変わるという原初的な衝動に発していると主張する人もいる」
 「どんなに些細に思われる目標であっても、それはより大きな、人間の蘇生への欲求の一部とみなすことができる。
 それは一人一人の中にある、どんなに苦しい人生を歩んできても、どんなに自分自身の行動に失望しても、新年にはまた新しくスタートすることができる、自己変革ができるという実感である。
 このように、新年は自己の変革に挑戦する決意をする、またとないチャンスである」
 こうした観点からも、新たな前進を誓い合う学会の新年勤行会は、重要な意義をもっているといえよう。
 また、各国や各都市において、創価の師弟を祝賀してくださる行事が行われている。
 国によって、政治の体制も異なる。宗教も、文化も多様である。
 そのなかにあって、仏法を基調とした創価の平和・文化・教育の連帯が、SGIの良き市民の連帯が、これほど、理解と共感と信頼をもって受け入れられてきたことは、奇跡であるといっても過言ではない。
 ともあれ、南無妙法蓮華経は「久遠元初の法」である。それを唱え行じゆく、私たちの胸中には、久遠元初の仏の生命が赫々と輝いていく。
 御書には「久遠一念元初の妙法」を受け持つことは、「最極無上」の法を授かるということである、と示されている(867㌻)。
 妙法を受持し、広宣流布に生きゆく私たちにとっては、毎日が「久遠元初」であり、毎日が「元旦」である。ゆえに、常に元朝の旭日のごとく、清新な蘇生の光を放ちながら、日の出の勢いをもって向上していくことができるのだ。

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