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山梨県最高協議会  

2007.9.9 スピーチ(聖教新聞2007年下)

前後
1  きょうは、ご苦労さま! すがすがしく前進する山梨を久方ぶりに訪れ、元気な皆様にお会いすることができた。これほどうれしいことはない。
 待望の大月池田文化会館の開館も、おめでとう! ここから、きょうから、世界広布の新しい一歩を踏み出してまいりたい。
 北欧ノルウェーの国民詩人ビョルンソンは戯曲に綴った。「最も強いものとは、新しくする意志のあるもののことだよ!
 永遠の炎、爆発する力! 開拓者にはそれがあるんだ。
 それが肝心なところだ。開拓者に勇気があればあるほど、続くものは多くなる」(毛利三彌訳「人の力を超えるもの」、『ノーベル賞文学全集19』所収、主婦の友社)
 わが信頼する同志の皆様は、たくましき広宣流布の開拓者である。
 この北欧の大詩人が謳い上げたごとく、創価の人材山脈には、「永遠の炎」がある。「爆発する力」がある。そして「開拓の勇気」がある。
 法のため、人のため、皆様は、本当によく戦ってこられた。
 一人一人が大成長しておられる。堂々と前進また前進を続けておられる皆様に、心から感謝申し上げたい。
2  山梨といえば、16世紀の武将・武田信玄が有名である。
 上杉謙信と覇を競った「川中島の戦い」。徳川家康と織田信長の連合軍を破った「三方原みかたがはらの戦い」。武田軍団は「最強」とさえ言われた。
 信玄に対する人物評はさまざまだが、戦乱の世に、飢饉や疫病にも襲われるなか、戦い続け、勝ち抜いた。甲州の黄金時代を築いた足跡は、歴史に不滅である。
 我らの広宣流布の言論戦にあっても、山梨は、皆が刮目する、偉大なる人材城を築いていただきたい。首都圏を、さらには日本と世界を、堂々とリードしていっていただきたい。
 そうした期待をこめ、数ある信玄の逸話の一端に触れておきたい。
3  「実力主義」の人材登用
 信玄は、実力主義で人材を登用した。適材適所で人を生かした。社会的地位や肩書などではなく、「行動」と「結果」を重視したのである。
 甲州武士の歴史物語に『甲陽軍鑑』がある。
 このなかに信玄の言葉として、忠義を尽くし功労を立てた武士には、立場や身分にかかわらず、その手柄に応じた恩賞を与えることが記されている。〈品第39〉
 さらに『甲陽軍鑑』に、信玄の戒めとして次のように綴られている。
 「ほんとうの手柄のないものは、そのためかならず軽薄をもって上辺をつくろい、お追従などいってごまかそうとする。またほんとうの忠節や忠功の人をそねみ、悪口をいって、自分につごうのいい仲間だけをほめてしまう」(品第39。上野晴朗著『武田信玄』潮出版社から)
 どす黒い嫉妬は許さない。本当に戦っている人に最大に報いる。それが信玄の心であった。

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