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北海道・東北・中部・北陸・信越合同研修…  

2007.8.23 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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1  遠く北海道、東北、中部、北陸、そして信越の尊き広宣流布の指導者が勇み来っての合同研修会、本当にご苦労さま!
 広布の指揮は、生き生きと執っていくのだ。
 中心者が自分で「拡大の先陣」を切っていく。
 外に向かって、友好の対話を広げる。大切な同志に尽くし抜く。
 そのリーダーの汗まみれの必死の姿のなかに、仏法の真髄がある。広布に挑む学会の心がある。
 その心に触れ、同志は「やろう」「頑張ろう」と立ち上がるのだ。
 皆に「やらせよう」というのは慢心だ。そこからは、皆が一丸となっての組織の勢いは生まれない。
 「口先ばかりで人を諭そうとしても人は心服しない。自ら実践して人を先導して行けば、人はこれにならって従って行く」(川上正光訳『言志四録』講談社)
 こう喝破したのは、中部・岐阜ゆかりの江戸後期の思想家・佐藤一斎であった。
 主著『言志四録』は、私も若き日に読んだ一書である。
 「心を苦しめ、思慮分別に悩んで始めて本当の智慧が現われる」(同)。
 これも一斎の言葉である。
 私たちには信心がある。御本尊がある。いくらでも智慧が出る。リーダーは悩み苦しんで人間革命していくのだ。
 一切衆生を救いきっていく崇高な広宣流布の活動である。
 一斎は語った。
 「天を動かし、地を驚かすような大事業も、すべて、己一個より造り出されるものである」(同)
 中心者が本気で立ち上がり、信心第一、会員第一で動いていくならば、組織が変わらないわけがない。皆が喜び勇んで、はつらつと続いていくのはまちがいない。
 私がお会いした、統一ドイツの哲人指導者ヴァイツゼッカー初代大統領は結論している。
 「結局のところ決定的に重要なのは、われわれすべての個人としての行動である」(永井清彦訳『ヴァイツゼッカー回想録』岩波書店)
 その通りだ。なかんずく、指導者の行動が、一切の勝利を決する。使命は大きい。
 ゆえに、きょうもまた、勝利の前進のための研修を真剣に行ってまいりたい。
2  誠がなければ何も成就しない
 「人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」(上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波書店)
 こう謳ったのは、北陸・石川出身で、『善の研究』の著作で有名な哲学者・西田幾多郎である。
 正義の道、信念の道を貫く人生は尊い。
 初代の牧口先生と二代の戸田先生は、真実の「師弟の道」を、まっすぐに生き抜かれた。
 暴虐な軍国主義の大弾圧にあって、戸田先生ただ一人が、牧口先生にお供して、獄中闘争を耐え抜かれたのである。
 牧口先生は獄死であった。生きて牢を出られた戸田先生は、恩師の三回忌に厳かに語られた。
 ──牧口先生の慈悲の広大無辺は、戸田を牢獄まで連れていってくださいました、と。
 あの戦時中の牢獄での生活が、いかに惨いものであったか。それを感謝までされる戸田先生。
 私は感動した。戸田先生の深き人間性に。生死を超えた仏法の師弟に。
 「心こそ大切なれ」と、日蓮大聖人は仰せだ。
 心が大事だ。心で決まる。
 私も同じ決心で、戸田先生への「報恩の誠」を貫いてきた。初代、二代の崇高な師弟の心を、寸分も違わず、受け継いできた。
 「事をなすには誠がなければ、あらゆるものは成就しない」(前掲『言志四録』)。これも佐藤一斎の有名な言葉である。
3  師弟を教えたい
 戦後、ただ一人、広布に立ち上がった偉大な戸田先生は、その後、事業の失敗という大難に遭われた。
 このとき、当時の最高幹部の中には、お世話になった先生を守るどころか、その苦境につけこんで、追い出しにかかった冷酷な者もいた。
 私は思った──。
 人間の心は怖い。広布に戦えば、難が起こるのは当たり前ではないか。それなのに、難を恐れ、自分は戦わない。それどころか師匠を悪者にするとは。なんという忘恩か。なんという卑劣な心か。
 私は誓った──。
 何があっても戸田先生をお守りするのだ。そして将来、必ず、学会の会長として指揮を執っていただくのだ。断じて、師匠の仇を討つ、と。
 「阿修羅のごとく戦います」と戸田先生に申し上げた。「その心が、うれしいな」と本当に喜んでくださった。
 「艱難汝を玉にす、逆境は是れ心を練るの好時節なり」(前掲『西田幾多郎随筆集』)。哲学者・西田幾多郎の日記に記された言葉である。
 先生とともに大難を受けきつたゆえに、今の私がある。広布と人生の熾烈な戦いのなかで、私は、峻厳な「師弟の心」を教えていただいた。
 この創価三代の師弟の魂を皆に教えたいのだ。師弟があれば、断じて勝っていける。仏法の根幹は師弟であるからだ。
 「いかなる腐木にも新しい生命の芽がふくことができる。きょう最も楽しかりし」(同)。これも幾多郎の日記だ。
 時は巡り、戸田先生が第二代会長に就任された、あの晴れやかな5月の3日。戸田先生は、「ありがとう!」と落涙された。
 弟子の私の心にも、新しい生命の喜びの芽が大きくふくらんでいた。師弟とは、これほどに崇高であり、深遠であり、美しいのである。

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