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ドクター部・白樺会・白蓮グループ合同研…  

2007.8.11 スピーチ(聖教新聞2007年下)

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1  きょうはご苦労さま!
 皆様は、厳しい暑さが続くなか、夏季友好期間を有意義に使い、生き生きと、民衆の中へ「対話の波」を起こしておられる。
 ある時は遥かな水平線を眺めながら、ある時は天の川を見上げながら、爽やかな「友好の波」を広げておられる。本当に尊いことだ。
 きょう集われたドクター部、白樺会、白樺グループの皆さんは、学会の大事な存在である。多くの人々の「生命の尊厳」を守っておられる日々の仕事に、心から感謝申し上げたい。
 私はこれまで、著名な心臓外科医で、ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長であるウンガー博士と語らいを重ねてきた。その内容が今月、対談集『人間主義の旗を──寛容・慈悲・対話』(東洋哲学研究所)として発刊される予定である。
 きょうは、博士が語られた内容のいくつかを通して、皆様とともに学び合いたい。
2  「対話と信頼が不可欠の基盤」
 ウンガー博士は、「『対話と信頼』こそが、医療現場にとって不可欠の基盤なのです」と語っておられる。
 これは、医療の世界に限らない、普遍的な道理であろう。広宣流布の戦いも、結局は「個々の対話」であり、「個々の信頼」が根本である。
 また博士は、「行動」の重要性を強調された。
 「(心臓外科医という)仕事がら、即断・即決が求められます。できるだけ早く決断し、行動に移す訓練を受けてきました。哲学的思考をもてあそぶのではなく、大切なのは行動です」
 「他人と触れあうためには、自分から積極的に出向かなければなりません。他人が来てくれるのを待っていてはいけないのです。そして、それには自分自身が確固たる見解をもつことが必要です」
 示唆深い言葉である。
 学会活動において、どのようにすれば皆が幸福になるのかを「考えに考え抜く努力」は、当然必要であり、リーダーの責務である。
 そのうえで、あれこれ悩むだけでなく、勇気をもって一歩動く。まず、行動する。そうすれば、思わぬ展望が広がることがある。
 「看護の近代化」を推し進めたナイチンゲールは、「真の信仰とは、その最高の形においては《生活》に表われてくるものなのです。真の信仰とは、今自分がしているすべてのことに全力をつくして打ち込むことなのです」と綴った(湯横ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集第3巻』現代社)。
 また、このようにも訴えている。
 「『着々と』──毎日少しずつ──地に足をつけて注意深く、そして謙虚に歩む看護婦のほうが、なまじ気転のきく『才女』などよりも、現実の場面において看護を展開することにおいては、ずっと勝るといったことも、少なくはありません」(同)
 まったくその通りだ。
 広宣流布は、社会のあらゆる分野、次元にわたっている。ゆえに、実証を勝ちとるためには、目の前の課題に打ち込み、誠実に、一つずつ、山を越えていくしかない。
3  全体観に立った人格光る医師に
 イギリスの歴史学者トインビー博士は、私との対談で、医師の条件について語られていた。
 「医者は冷静な技術者であると同時に、情け深い、思いやりのある友人でもなければなりません」
 そして、「愛情深さと冷徹さとを一つの心に同居させることは、はたして可能でしょうか」と問われた。
 たしかに、愛情と冷静さを兼ね備えるのは難しい。続けてトインビー博士と私は、医療行為の根底には、何らかの宗教的な信条が必要である、ということを語り合ったのである。
 ウンガー博士も次のようにおっしゃった。
 「私にとって、『宗教』とは人間の本質です」
 「多くの患者が本当に苦しいときに宗教に拠り所を見出していることを、私は医者として実見してきたのです」
 「宗教が、生命の永遠の価値を基盤とするとき、その宗教は文化形成の核となります」
 また博士は「私のいう『医師』とは、人間性豊かな医者です。全体観に立った人格の光る医師です」とも述べられた。ある一つの分野に詳しいことで、かえって「全体」の動きを見失う場合がある。それでは本末転倒だ。
 “これだけは負けない”という、キラリと光る何かを持ち、同時に、全体観に立って指揮を執る。そういう実力が、学会のリーダーには必要である。信心で、その力を鍛えるのだ。
 ロシアの大作家チェーホフは、近代社会に生きる人間の、心の闇と希望を見事に描いた。モスクワ大学医学部出身の医師でもあった。
 彼は「人間は信仰をもっている者か、または信仰を求めている者でなければならない、そうでなければ空っぽの人間だ」と記した(神西清・池田健太郎訳「紙片によるメモ」、『チェーホフ全集14』所収、中央公論社)。
 またある登場人物に「なんのために生きるのか、それを知ること、──さもないと、何もかもくだらない、根なし草になってしまうわ」と語らせている(神西清訳「三人姉妹」、同『全集12』所収)。
 信心こそ、成長のための「根」だ。根が深ければ、大樹が育つ。信心を貫くところに、人生の勝利の花々が、万朶と咲き薫るのである。

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