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日蓮大聖人・池田大作

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「7・3」記念協議会  

2007.6.14 スピーチ(聖教新聞2007年上)

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1  きょうは、お忙しいなか、ご苦労さま!
 リーダーにとって、大切なことは何か。それは、自分自身を日々、変革していくことである。
 傲りや油断がある。進歩がない。そして、同志に対する慈愛の心がない──それでは真実の学会のリーダーとはいえない。
 本当に戦っている人、成長している人は光っている。パッと見れば、わかるものだ。
 さあ、きょうも一歩、前進を! さあ、きょうも新たな価値の創造を!
 この燃えるような決意で、新鮮な息吹で進むのだ。これが「創価」の人生である。
 ロシアの大文豪トルストイは語っている。
 「境涯の拡大は、理想に向かって前進する勢いを増し続ける中にこそある」
 リーダーが停滞し、成長の息吹を失ってしまえば、組織全体が勢いを失ってしまう。
 仏法の根本は師弟である。師匠に心を合わせる。師弟の熱き魂を叫び抜いていく。そうすれば、もっともっと力を発揮できる。変わっていける。
 すべて「心」で決まるのだ。気取った、増上慢の一念ではだめだ。
 師匠に対して、「きょうも、新しい勝利の道を開きました!」と毎日、報告するような気持ちで戦うことだ。若年寄のようになってはいけない。いつまでも若々しく、一兵卒の気概で、最前線に躍り出て戦うことだ。
2  不滅の金字塔
 昭和31年(1956年)の大阪の戦い。私が指揮を執り、「まさかが実現」と世間が驚く大勝利を収めた。
 決戦の日の朝5時頃のことである。私のいる、関西本部の電話が鳴り響いた。
 私は、東京におられる戸田先生からの電話ではないかと直感した。受話器を取ると、やはり先生からであった。
 「大作、起きていたのか」
 「はい」
 「関西はどうだい?」
 「こちらは勝ちます!」
 私は、即座に答えた。
 「そうか。……東京はダメだよ」
 戸田先生は言われた。
 東京は幹部が威張って、いい気になっている。だから負けてしまうよ──そう悔しそうに語っておられた。
 戸田先生の言葉通り、勝てる可能性が高かった東京は敗北した。そして、絶対に勝てないと言われた大阪が勝利した。
 もし両方とも負けていたら、先生はどれほど大きな衝撃を受けられたことか。
 先生は「大作のおかげで勝てた!」「うれしいな。うれしいな」と本当に喜んでくださった。
 あの大阪の戦いの時、旧関西本部は、軍艦のように揺れた。もとは音楽学校だった建物だ。
 ここを拠点に、愛する関西の同志とともに、私は戦って戦って、戦い抜いた。そして不滅の勝利の金字塔を打ち立てた。友の喜びは爆発したのである。
 その戦いから50年後、関西池田記念会館が誕生したことは、うれしい限りである。
3  創価菩提樹園に氏名を永久保管
 我らの創価の世界には、常に希望の建設の槌音が響いている。新しい会館も、着々と誕生していく予定である。
 この席をお借りして、広宣流布の大切な城を護り、荘厳してくださっている、すべての皆様方に、心から御礼申し上げたい。
 第三代会長の就任が決定して、私が最初にあいさつにうかがったのは、どこであったか。それは、学会本部の小さな管理者室であった。
 陰で、厳然と、広宣流布の本陣を護ってくださっている方々こそ、最も尊敬し、大切にしていくべきであるからだ。
 御聖訓には仰せである。
 「法華経を持つ人は、男性ならば、どんな身分の低い者であっても、三界の主である大梵天王、帝釈天王、四大天王、転輪聖王、また中国、日本の国主などよりも勝れている。
 ましてや、日本国の大臣や公卿、源氏や平家の侍、あらゆる人々に勝れていることは、いうに及ばない。
 女性ならば憍尸迦女きょうしかにょ(帝釈天の妃)、吉祥天女(インドの女性神)、あるいは漢の夫人(武帝の夫人)、楊貴妃などの無量無辺の一切の女性に勝れている」(御書1378㌻、通解)
 また伝教大師は、正しい仏法を求め、実践する人は「国宝」であると述べている。
 妙法を持ち、広宣流布に生きゆく皆様方こそ、人間として最も尊貴なのである。
 相手がいかなる権勢の人間であっても、何も臆することはない。
 「法華経を持る人」が集い合う広宣流布の会館を大切に護る方々は、生友世々、大宮殿に住めるような境涯に必ずなる。そう強く確信していただきたい。
 きょうの集いを記念して、私から提案を申し上げたい。
 それは、ここ東京牧口記念会館をはじめ、全国・全世界の「会館管理者」の方々、一日会館長である「創価宝城会」の皆様、そして、尊き「守る会」の皆様方の全員のお名前を、仏教発祥の地・インドの創価菩提樹園に、永久に保管し、永遠に顕彰させていただきたいということである。
 菩提樹園は、首都ニューデリーから車で約1時間。約20万坪の広さである。3,000本の菩提樹が林立し、100羽の孔雀も優雅に舞っている。
 まさに、現代の霊鷲山ともいうべき園林おんりんである。

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