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首都圏代表協議会  

2007.5.19 スピーチ(聖教新聞2007年上)

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1  首都圏代表協議会の開催、ご苦労さまです。はじめに世界広布の偉大なる前進を祈り、一句を贈りたい。
  師弟不二
    晴れ晴れ勝ちゆけ
      広布かな
 ご存じの通り、戸田先生の時代から、ともに広宣流布に生き抜いてきた、森田一哉元理事長が本日、安詳として霊山に旅立たれた。
 先ほども、私は、妻とともに、懇ろに追善の勤行をさせていただいた。
 広布に戦った生命は、「生も歓喜、死も歓喜」である。
 今ごろは、霊鷲山で懐かしき恩師に笑顔で迎えられているであろう。
 尊き広宣流布の闘士のご冥福を心からお祈り申し上げたい。
2  世界広布は今、花盛り!
 「広宣流布」の和合僧の集いほど、楽しく充実したものはない。
 「異体同心」の同志の語らいほど、朗らかで清々しいものはない。
 ここにこそ、久遠の家族の結合があるからだ。きょうも、大いに語り合いたい。
 日本だけではない。
 アメリカ、ブラジルをはじめ、南北アメリカ大陸でも、ヨーロッパ、ロシア、そして、アジアを擁するユーラシア大陸でも、アフリカ大陸でも、そしてオセアニアでも、広宣流布のリーダーたちは、私と同じ心で、見事なる大発展の指揮を執ってくれている。
 皆様方の輝く信念と、聡明にして尊き行動に、私は心から感謝申し上げたい。
 日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘むる間恐れなし、終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」と仰せになられた。
 まさしく今、この仰せ通りに、日本の広宣流布の晴れ姿とともに、「世界広布は花盛り」の時を迎えた。
 ともどもに、ますます希望に燃えて、新たな決意と力を漲らせながら、尊き使命の坂に挑み、広布第2幕の勝利と栄光の頂上へ向かって、愉快に登り切ってまいりたい。
3  「ただの島の長ではないか!」
 日蓮大聖人の御在世に退転した弟子に三位房がいる。
 これまでも、折々に語ってきたが、大事な教訓であるので、きょうは、そのポイントを確認し合いたい。
 三位房は、大聖人の御慈悲で、比叡山に遊学し、京に上った。
 そのとき、三位房は、“ある公家の持仏堂に呼んでいただき、説法をして、面目をほどこしました”などと、得意げに大聖人に報告してきた。
 それに対して、大聖人は厳しく戒められた。
 ──日本の権力者など、ただの「島のおさ」ではないか。その長に仕える者たちに「呼んでいただいた」などとは、なにごとか。「面目をほどこした」とは、いったい、どういうつもりか。おまえは、師匠の日蓮を卑しんで、このようなことを書いてきたのか──と(同1268㌻、趣意)。
 三位房の報告には、世界第一の仏法を行じる大聖人門下の誇りなど、いささかも感じられなかった。
 それどころか、表向きは師匠を尊敬しているようであっても、内心は権威の世界におもねり、自分が偉くなったと思いこんで、師匠をあなどる心があった。
 増上慢である。それを大聖人は鋭く見抜かれた。
 一番、師匠にお世話になり、一番、師匠に仏法を教わったにもかかわらず──。
 結局は、「師匠が中心」ではなく、「自分が中心」であった。「自分本位」であった。
 増上慢は、恩知らずである。恩知らずということは、道理が分からないということだ。道理が分からないということは、仏法が分からないということだ。
 三位房の本質──それは、傲慢であり、臆病であり、ずる賢さであった。

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