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埼玉池田研修道場  

2007.5.8 スピーチ(聖教新聞2007年上)

前後
1  五月晴れの完勝の大埼玉、おめでとう! 皆様、ご苦労さまです。記念に和歌を贈りたい。
  日本中
    皆が見つめむ
      憧れて
    大埼玉の
      栄光輝け
  
  埼玉の
    創価の全勝
      祈るらむ
    断固と勝ちゆけ
      勝ちまくれ
 また、全世界の広宣流布の前進と、研修道場の興隆の意義をこめて、地球儀を贈らせていただきたい。これは、東京の本部と、ここ埼玉にだけ置くものである。
2  皆様の祈りに包まれて、久方ぶりに、大好きな埼玉県に足を運び、念願の埼玉の研修道場を訪問することができました。
 きらめく陽光も、吹きわたる薫風も、まことに、すがすがしい。
 まさに、緑と光あふれる「彩の国」である。
 先ほど、自然豊かな飯能の地を車で通った。
 飯能は、私にとって、忘れることのできない場所である。
 それは、終戦直後のことであった。日本は敗戦。惨めな焼け野原だけが残った。
 「増上慢だから負けた。傲慢は、最後は滅びるのである」──これが軍部と戦い抜かれた戸田先生の叫びであった。
3  戦争は残酷だ
 戦争は、本当に残酷だ。わが家は、4人の兄を次々と戦争にとられた。
 また、空襲が激しくなり、住んでいた家は強制疎開で取り壊され、引っ越した先の家も、すぐまた空襲に遭い、焼け出されてしまった。
 一家は皆、噴き上げる火のなかを、散々な思いで逃げ回ったのである。
 終戦後、まず3番目の兄が復員した。
 続いて、4番目の兄が戻り、さらに2番目の兄も帰ってきた。
 しかし、長兄は戦死であった。
 その悲報を受け取ったときの父と母の落胆した姿は、今も胸に焼き付いている。
 戦後の食糧難のとき、私の次兄が、しばしば訪れたのが、埼玉の飯能であった。
 そこに次兄の戦友がいたのである。
 その方が、とても、よくしてくださり、しょっちゅう、米や野菜を分けてくださった。次兄は、持ちきれないほどの食料を抱えて、笑顔で帰ってきた。
 そのおかげで、わが家は、皆、生きのびることができた。飯能の地は、わが家にとって、大恩の天地なのである。

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