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戸田先生生誕記念最高協議会  

2007.1.30 スピーチ(聖教新聞2007年上)

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1  遠いところ、またご多忙のなか、本当ご苦労さま!
 まもなく、戸田先生の生誕の日である2月11日が巡り来る。きょうは、その記念の最高協議会である。
 恩師・戸田先生の思い出は尽きない。
 夜中に突然、先生から電話がかかってきて、呼び出される。そんなことが何度もあった。
 本当に厳しく訓練していただいた。信心の偉大さはもとより、万般の学問を教えていただいた。
 だからこそ、今の私がある。
 私は、師匠の深い恩を片時も忘れたことはない。また、忘れることなど絶対にあってはならない。これが真実の師弟である。弟子の道である。
 偉大な、不世出の師匠の名を全世界に宣揚するのだ――私は、若き日から、そう決意し、行動してきた。
 各国のリーダーや知性とお会いした際にも、戸田先生、そして先師・牧口先生の偉大さを語ってきた。師の構想を、平和・文化・教育のあらゆる分野で実現した。
 そして今、全世界から戸田先生、牧口先生への賞讃が寄せられる時代となったのである。
 戸田先生の弟子の中には、師匠を侮り、小バカにした人間もいた。とんでもないことである。
 そうした連中は、結局は退転していった。最後は、惨めであった。
 この厳粛な事実を決して忘れてはならない。
 ここは創価の「家族の集い」である。「本当の同志の集まり」だ。
 嘘や形式などがあってはならない。未来のために、私は真実の歴史を語り残しておきたいのだ。
2  世界が讃える 神奈川の前進
 今年は、昭和32年(1957年)の9月8日、横浜・三ツ沢の競技場(神奈川区)で、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表されてから、50周年である。
 そしてまた、本年の4月2日は、先生の50回忌に当たる。
 きょうは、世界が讃える正義の大前進を成し遂げ、見事なる「創価の模範」「広布の模範」を示しゆかれる、誇り高き大神奈川の代表が参加してくださっている。
 戸田先生の生誕の日を祝賀しながら、皆さまとともに、「勝利のための協議」を進めてまいりたい。
 神奈川と東京――この2つの地域が発展を続ければ、学会は盤石だ。両者が力を合わせていくならば、大きな力を発揮することができる。
 神奈川の発展と大勝利を、私は真剣に祈っている。深く期待している。
 そしてまた、首都圏の発展の要は第2総東京である。東京の23区が倍の力を発揮するためにも、堅固なる第2総東京を構築しなければならないと、私は以前から考えてきた。
 まだ、第2総東京が今ほど発展していない時代から、この地域に焦点を当ててきた。将来は人口も増え、必ず発展すると思ったからである。
 今、八王子には平和と文化と教育の一大拠点ができあがった。
 私は立川にも何度も通い、第2総東京のすみずみまでを頭に入れながら、末来の発展への構想を練った。そして、一つ一つ手を打ち、現在の発展の基盤を築いてきたのである。
3  恩師の生誕日を 妻とともに祝賀
 戸田先生は、ちょうど西暦1900年のお生まれであったから、今年2007年が、生誕l07周年となる。
 先生のご生前も、そして、ご逝去の後も、この日を、私は妻とともに、最大の真心を込めて、お祝い申し上げてきた。
 55年前の「2月闘争」も、戸田先生の誕生の月を、広宣流布の拡大でお祝いしようとの決心で開始したものである。
 〈池田名誉会長は、1952年(昭和27年)2月、蒲田支部の支部幹事として弘教の指揮を執り、支部として1カ月で200世帯を超える折伏を成し遂げた。これは当時の限界を大きく打ち破り、戸田第二代会長の願業であった75万世帯の折伏への突破口を開くものとなった。
 戸田会長が逝去した翌年、1959年(昭和34年)2月11日の日記に名誉会長は綴っている。
 「二月十一日第五十九回目の恩師の誕生日。懐かしい。
 妻、赤飯を朝出す。
 師を思う、美しき一家。満願の財物より勝れ、輝く、黄金の心」
 また、1960年(昭和35年)の2月11日には、こう記している。
 「戸田先生のお誕生日である。ご生存なれば六十歳。還暦であられる。
 妻と共に、そのことを語り合う。先生の子供のごとく、娘のごとく」
 「妻、先生の誕生のお祝いとして、おはぎをつくる」「わが家の祝いを、最大に先生は、お喜びであろうと語る。幸せなる二人なり。美しき心なり、二人は」〉

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