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全国最高幹部協議会
2006.12.22 スピーチ(聖教新聞2006年下)
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1
大勝利の1年、大変にご苦労さまでした。
私は皆さま方とともに、「全同志の幸福と勝利、万歳!」「大創価学会の偉大なる勝利、万歳!」と声高らかに叫びたい。
この秋、原田会長、正木理事長が誕生し、学会は若々しくなって、新たなる希望の大行進を開始した。
私も心から期待を込めて、新リーダーの真剣と誠実の戦いを見守っている。
2
御義口伝講義 誉れの1期生
原田会長は、昭和16年(1941年)11月、東京の下町・浅草橋の生まれ。3歳の時、東京大空襲で焼け出された。お母さんに続いて、小学校6年生の時に入会した。
私が最初に出会ったのは、原田会長が19歳の時。そして、彼は、私の「御義口伝」講義に1期生として参加し、真剣に研鑚を重ねた。
学会の将来を見据えて、真実の師弟の精神を受け継ぐ、本格的な弟子の薫陶を始めたのが、この「御義口伝」講義であった。
〈池田名誉会長が、東京で学生部の代表に「御義口伝」講義を開始したのは、1962年(昭和37年)8月。翌1963年9月からは、関西で学生部を対象に「百六箇抄」講義を行うなど、学会の未来を担う人材育成に全力を注いでいった〉
その後、彼は、大学を卒業し、聖教新聞社に入社。
昭和40年(1965年)、元旦号から連載が始まった小説『人間革命』を担当。連載の初回から第3巻まで、その任をまっとうした。
私の直筆原稿を後世に残すため、彼は、一枚一枚、別の原稿用紙に書き写し、それを工場に回していた。
表からだけ見ていては、人物は分からない。裏の裏まで見てこそ、仏法の指導者である。
3
嵐の時こそ躍り出よ!
昭和45年(1970年)、あの言論問題の嵐の渦中。
日本中が学会批判で騒然となり、私は、悪口雑言の集中砲火を浴びた。
内部にも、いい気になって威張る人間、賢しらに文句を言う人間、さらに、裏切って去っていく人間がいた。人の心というのは怖いものだ。
この時、学会本部の庶務室長として、師子奮迅で戦ったのが原田会長であった。
嵐の時こそ、その人の真価が間われる。
戦時中、法難の折、戸田先生は、牧口先生にお供して、投獄された。
出獄後、戸田先生は、牢獄に入っていた間、だれが、どういう態度をとり、何を言ったかを、詳細に確認された。
また、戦後、ご自身の事業が行き詰まった時にも、弟子たちが、どんな行動に出るか、じっとごらんになっておられた。
「学会が難を受けた時に、自分には、直接、関係ないといって、黙って見ているのか。自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくのか。それが、永遠不滅なる生命の勝利、すなわち、一生成仏ができるかどうかの境目といえる」
このように戸田先生は、厳しく遺言されたのである。
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