Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

全国最高協議会  

2006.9.22 スピーチ(聖教新聞2006年下)

前後
1  今日一日を「前進!」「勝利!」
 全国の各方面のリーダーの皆さま方、連日の奔走、まことにご苦労さまです。
 それは終戦直後、1945年(昭和20年)の、9月22日のことである。
 法難の弾圧を勝ち越えて出獄なされた戸田先生は、戦後の荒野に一人立ち、厳然と妙法広布の戦いを開始されていた。
 その日、戸田先生はノートに、こう記されている。
 「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。無限の向上である。朝に今日一日の伸びんことを思い、勇躍して今日一日を楽しむ。しかして無限に向上して行く」
 「まだまだ、その上へその上へと向上して行く法である」
 これが、本因妙の大仏法を体現された先生のご境涯であられた。
 「進まざるは退転」である。
 ゆえに「前進!」だ。「仏法は勝負」である。ゆえに「勝利!」だ。
2  戦争と権力に反対する精神
 以前にも、申し上げたことがあったと思うが、終戦のとき、私は17歳であった。
 長兄はビルマの戦線で戦死し、次兄は中国で戦線に参加。3番目の兄も同じく中国で戦わされた。4番目の兄も、中国戦線に参加した。
 昭和20年8月15日、日本は終戦を迎えた。
 日本にいた兵隊さんが、たくさんの荷物を背負って、それぞれの自宅に戻っていった姿を、今でも覚えている。しかし、わが家の3人の兄が中国から帰ったのは、戦後1、2年経ってからだった。皆、命からがら、わびしそうに帰ってきた。
 わりあい立派だったわが家も、戦争中、強制疎開させられた。東京・蒲田の糀谷から移って、馬込の親戚の側に作らせてもらった家も、空襲で全焼した。
 父親がリウマチを患うなか、母親は、精いっぱい、一家を守ってくれた。
 長男から4男まで戦争に取られ、5男の私は肺病であった。わが家は戦争に翻弄された。あまりにも不平等であり、あまりにも理不尽な現実があった。
 ゆえに、私は絶対に戦争に反対である。戦争と権力に対して、反対する精神を、その時に持った。これが、私が戸田先生のもと、立ち上がった大きな原点である。
 私は、一生涯、庶民の味方である。
3  幹部は威張るな 人間革命せよ!
 戸田先生は、厳しく言われていた。
 ──幹部がだんだんと年を取り、戦う心を失い、自分中心になってしまうならば、新鮮な息吹がなくなってくる。それでは学会の組織は、絶対に弱体化する、と。
 だからこそ、幹部自らが、常に新鮮な息吹に満ちて、生き生きと若々しく、向上していくことだ。その一切の原動力が、師弟の求道である。
 「会員が、あの幹部を見ると、心から安心して信心に励めるといった幹部であってほしい」
 これも、戸田先生のご指導であった。そのための「人間革命」に挑戦していきたい。
 リーダーは、決して威張ってはいけない。傲慢になってはいけない。
 幹部に威張る資格などない。本当に偉いのは会員である。実際に折伏をし、広布を推進してくださっている会員の皆さまである。その方々に、幹部は最敬礼していかねばならない。
 凡夫こそ仏。民衆こそ偉大。そう見ていくのが日蓮大聖人の仏法の精神だ。
 まず最高幹部が、率先して模範を示していかねばならない。
 気取りなど捨て、いい格好を見せようなどと思わずに、一人一人の会員を心から大切にし、誠心誠意、尽くしていくのだ。
 「ありがとう」という言葉もない。言ったとしても、口先だけで心がこもっていない。そんなリーダーのもとでは、皆があまりにかわいそうである。
 広宣流布に戦ってくださる尊き同志に、真心を込めて、「ありがとう」と感謝していく。「よく来たね」「大変だったですね」と、ほっとするような温かい言葉をかけていく。
 皆から愛され、慕われる広布のリーダーとして生き抜いてほしい。その根幹は、師弟の精神である。

1
1