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日蓮大聖人・池田大作

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各部合同研修会  

2006.8.2 スピーチ(聖教新聞2006年下)

前後
1  「一騎当千」という言葉は、どこからきているか。それは「一人当千」という言葉からである。
 釈尊が入滅する直前に説いた涅槃経に、如来の力を讃えた「一人当千」という言葉がある。
 「大力士有らん。其の力千に当り、更に能く之を降伏ごうぶくする者有ること無し。故に此の人を一人当千と称す」(岩野真雄編『国訳一切経印度撰述部 涅槃部一』大東出版社、現代表記に改めた)
 すなわち、だれ人たりとも倒すことのできない、千人力の偉大な力士を「一人当千」という。
 その大力士のごとく、はかりしれない智慧で四魔を降す無敵の存在こそ、仏であるというのである。
 まさに「一人当千」「一騎当千」の力を発揮しゆく源泉こそ、仏法なのである。
 広宣流布を成し遂げゆく仏法の師弟に、この「一人当千」「一騎当千」の力が涌現し、具足しないわけがない。
 牧口先生は、「羊千匹より、獅子一匹たれ」と叫ばれた。
 いわんや、リーダーの皆さま方は、この創価の師弟の道に直結して、一人が「一千」、否、「一万」にも匹敵する師子王の大力を出し切っていくことだ。その生命の勢いと気迫が大事である。
 新しい人材を、新しい青年を、きら星のごとく育て、新しい広宣流布の圧倒的な勝利、勝利の時代を断固とつくろう!
 そのための各部合同研修会である。
2  広布に戦う人は誰なのか?
 法華経の法師品に、「仏を讃嘆すれば、無量の功徳を得るであろう。法華経を受持する者を讃嘆すれば、その福徳はまた、それ以上であろう」とある。
 末法の悪世において「法華経を受持する者」とは、いうまでもなく、別しては、末法の御本仏たる日蓮大聖人であられる。
 総じては、日蓮大聖人と「同じ心」で、広宣流布に進みゆく、地涌の菩薩の我々なのである。
 本当に広宣流布のために戦っている人は、だれなのか。
 その人を、どこまでも大切にせよ! 最大にほめ讃えよ! その功徳は無量無辺である――それが法華経の心である。
3  婦人を大切に! 陰の人に光を!
 大聖人は、この法華経の文を引かれた「国府尼御前御書」の中で、大難にも屈せず、懸命に大聖人をお守りし、けなげな信心を貫いてきた女性門下を最大に讃えておられる。
 わが学会も、「創価婦人学会」といってもいいくらい、婦人部の皆さんが、広布の一切を担ってくださっている。本当に頭が下がる思いである。
 男性幹部は、心して、婦人部、そして女子部の皆さんを、尊敬し、大切にし、讃嘆していかねばならない。
 さらに学会は、警備や設営、救護、整理・誘導など、陰の立場で奔走してくださっている多くの方々に支えられている。
 仏法の指導者は、そういう方々の労苦をきちんと賞讃し、それに報いていくことだ。その心が幹部にあれば、学会は、今の10倍の力を発揮することができる。

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