Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第2総東京最高協議会
2006.6.4 スピーチ(聖教新聞2006年下)
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1
最初に私にとって思い出深き英知の箴言を、皆さまに述べさせていただきたい。
インドの詩聖タゴールは綴った。
「健康というものが人間の肉体の完全な状態であるように、宗教というものは人間性の完全な状態なのだ」(馬場俊彦訳「宗教的生命の覚醒」、『タゴール著作集第9巻』所収、第三文明社)
詩人の深い確信が脈打つ言葉である。
タゴールの盟友であったマハトマ・ガンジーは叫んだ。
「不断の成長が人生の法則である」(クリパラーニー編・古賀勝郎訳『抵抗するな・屈服するな』朝日新聞社)
ガンジーは、こうも言った。
「わたしは、わたしの心がつねに成長し、つねに前進してゆくことを望んでいます」(森本達雄・古瀬恒介・森本素世子訳『不可触民解放の悲願』明石書店)と。
仏法もまた、「進まざるは退転」である。
恩師・戸田先生は厳しくおっしゃった。
「組織を陳腐化させてはならない。官僚主義で機械的に上がっていくような、また、そつなくやっていればいいというような、組織になってはいけない」
「創価学会は、日進月歩、つねに生々発展する生きものなのだ」と。
若き日の私は、広布のため、学会のために、師匠に全力でぶつかっていった。それが私の青春の日々であった。
失敗を恐れては、前進はない。
叱られることを避けるようでは、成長できるはずがない。
戸田先生に、一番、叱られたのは私である。だから鍛えられた。本物となった。不屈の自分自身の土台を築き上げることができたのである。
日蓮仏法の真髄は、「
月月・日日に
つよ
強
り給へ
」である。ゆえに、きょうも、生き生きと語り合い、楽しく朗らかに学び合い、強く強く前進していきたい。
わが境涯を限りなく開き、向上させていくための仏道修行であり、学会活動である。
2
牧口先生の御書
この6月6日は、創価の父・牧口常三郎先生の生誕135周年の記念日である。
きょうは、ここ東京牧口記念会館で、牧口先生のご遺徳を偲びながら、第2総東京のリーダーの皆さま方と有意義に協議を進めたい。
ここ東京牧口記念会館の顕彰室には、牧口先生が拝された御書が大切に保管されている。
常に座右にあった、その御書には、至るところに傍線が引かれている。
なかんずく、「広宣流布」と記されたところの前後には、太く強く線が引かれていた。
たとえば「法華経の第七巻には、こうある。『我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於いて断絶させてはならない』と」(御書258㌻、通解)、「闘諍堅固と記されている仏の言葉は、地に落ちることなく(予言通りの世相となっているが)、これは、あたかも大海の潮が、時を違えることなく満ち干するようなものである。このような事実から考えてみれば、大集経の白法隠没の時に次いで、法華経の大白法が、日本国をはじめ一閻浮提に広宣流布することも疑ってはならないことだろう」(同264㌻、通解)などの個所である。
さらに、御書の余白には、ご自身で「広宣流布」と赤字で書き込みをされている。
「一閻浮提への広宣流布」――この釈尊、そして、日蓮大聖人の仏意仏勅を実現するために、牧口先生は、愛弟子の戸田先生とともに、決然と未聞の大闘争を起こされたのである。
大聖人の仰せのままに、「広宣流布の信心」を高らかに掲げて、法華経に説かれる「猶多怨嫉」「悪口罵詈」の難を受け、「三類の強敵」を打ち破ってきたのは、だれか。
牧口先生を原点とする、わが創価学会の三代の師弟のみである。
ここにこそ、大聖人の真の血脈は流れ通っているのだ。
この偉大なる創価の師弟の道を、今や世界190カ国・地域の地涌の同志が、胸を張って進みゆく時代に入った。
この6月6日は、SGIの「ヨーロッパの日」でもある。
全世界の同志が、創価の父の生誕の日を心から祝賀している。
牧口先生が、戸田先生が、どれほどお喜びになっておられることであろうか。両先生の直系の弟子である私にとっても、これほど、うれしいことはない。
3
第2総東京は異体同心で!
「人は自らの信念のために声を発し、立ち上がらなければならない」
これも、マハトマ・ガンジーの言葉である。
今、日本中、世界中で、わが同志は、信念の声を発し、新たな出発に立ち上がっておられる。
さらに、6月10日には、“創価の太陽”と輝く婦人部の結成55周年の佳節を迎える。
全国の婦人部の皆さま、本当におめでとうございます! いつもいつも真剣と真心の大闘争、本当にご苦労さまです。
広布に戦った人は必ずや、諸天善神から守られる。いざという時に助けていただける。だからこそ、戦うべき時に戦うのである。
わが第2総東京の友も、新しい時代の先頭に立って意気軒高である。
第2総東京には、麗しい異体同心の団結がある。
また、幹部同士が仲が良く、明るい歩調が合っている。そういう組織で戦えることは、幸せである。
かつての三多摩本部が、今の第2総東京の前身である「第2東京」として新出発したのは、昭和46年(1971年)の11月であった。
今年で、35周年を迎える。今日の目覚ましい「第2総東京」の大発展を、当時、一体、だれが想像したであろうか。
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