Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新春寄稿 無冠の友は広布の使者

1975.1.1 「池田大作講演集」第7巻

前後
1  聖教新聞社のピロティーの一角に、人にも知られず「広布使者の像」が立っている。
 左手にしっかと新聞の束を抱えながら、眉をあげ、未来の勝利と希望を凝視しつつ、ただひたすら走る新聞少年のブロンズ像。聖教新聞社の玄関を入るとき、私は必ずこの像を見る。そして私は、いつぞやの自分の姿を思い出しながら心で挨拶する。
 灼熱の太陽が輝くとき、小春日和のとき、また木枯らしの吹くときも、雨や嵐がなぐるつけるときにも、立像の新聞少年は、いささかもたじろがない。
 私はこの像に、無冠の友の象徴をみる。
 多忙な朝夕に、無冠の友との無言の対話を、この新聞少年を介して行っているのだ。それを忘れずにいてほしい。
 無冠――快く、潔く、生命そのままの実在をしめす言葉ではないだろうか。
 名誉と虚栄と権力への邪心が交錯する、この五濁の社会にあって、ひときわ輝く言葉こそ、無冠の二字である。
 無冠の強さはどこにあるか。――諸君の朝な朝なの走行は、日大聖人の生命の尊厳観を基調とした世界平和の実現と人間文化の建設、興隆への走行にほかならない。私もまた、本年も「無冠」の使者として世界を、そして日本国中を走るだろう。
 広布めざし着実に前進を続ける地涌の菩薩群の、生命と生命とをつなぐ無冠の友――これを“広布の使者”と呼ばずしてなんと呼ぼう。
 あなたの勇気ある走破が、すでに無冠の人なるを実証している。
 あなたの一歩一歩の走行が、そのまま広布の前途を切り拓いている。暗黒と邪心に閉ざされた現代の社会に、希望と蘇生の光を限りなくそそぎこむ人こそだれあろう。あなたなのだ。
 無冠の友よ、ますます眼下に開けゆく広布第二章の眺望に立って、私は心からあなたの活躍に期待する。今年も「またよろしく」と頼むだけだ。あなたの陰ながらの苦闘を、国際舞台にあっても、瞬時も私は忘れまい。
 くれぐも健康に留意され、地域の人々の心の太陽となって輝いてくれまたえ。
 苦しく辛いときもあろう。陰の戦いゆえに人知れず嘆くときもあろう。だが、その刹、あなたの妙なる生命は、すべてを知っていることを思い出してくれたまえ。
 諸君の生命に刻み込まれた一日一日の記録こそ、正真正銘のあなたの福運なのだ。
 そして、それは未来永劫への人生と歴史の証言者になってくれるであろう。無言のうちに生命の金字塔を樹立した人こそ、真の勝利者なのだ。
 来る日も来る日もただ走るその道は、決していつも見慣れた道ではない。あなたの胸中に敷かれた生命の王道なのだ。その栄光のゴールがいかに燦然と輝いているかは、ひとり御本尊が知るのみである。
 元旦のブロンズ像は朝日に映えて、ひときわ美しい。

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