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日蓮大聖人・池田大作

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第179回9月度本部幹部会 創価学会はつねに中道を進む

1974.9.27 「池田大作講演集」第7巻

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1  広布への九項目の指針
 一、創価学会はいわゆる右でも左でもない、あくまでも永遠に中道を進む。理由は、仏法それ自体が中道の哲学であり、それがもっとも民衆の欲する帰着であるからである。
 二、学会は広宣流布の団体である。更に、大仏法を基調とした平和と文化の推進の団体である。理由は、信仰それ自体は一個人の内面的問題にとどまってしまう。それでは「立正安国論」の原理に反する。したがって、日蓮大聖人の仏法が広宣流布を志向するうえから、過去の仏法昇華の歴史のうえからみても、文化・平和を推進し建設するのは、当然の法理であるからである。
 三、学会は慈悲と哲学をもって、広宣流布を成し遂げる行動団体である。したがって、友好活動といっても、そこに折伏精神を根幹とした抜苦与楽の仏法の実践者としての責任を忘れてはならない。
 四、広宣流布は、末法万年にわたる大偉業である。その基礎はあくまでも個人の人間革命にある。家庭の福運と安穏にある。社会の理解と認識を与える行動にある。その地域に根ざした信頼の結晶にほかならない。その着実な構築のうえにのみ、おのずから広宣流布という確たる大建設がなされているということを忘れてはならない。ただし、社会に開くなかに、謗法を容認するようなことがあっては決してならない。
 五、広宣流布を成し遂げるためには、柔和忍辱の衣を着なくてはならない。その理由は、自己のエゴを押しつけるのではなくして、その人の生命の仏性を開かしむる、その因果の理法によって、自らの仏界も開くという作業である。そこには、決して感情や利害や利用や売名がつきまとってはならない。あくまでも“忍耐”の二字を忘れてはならない。
 六、我らは「異体同心なれば万事を成し」との御聖訓を夢寐にも忘れることなく、大目的のために、この“団体”の二字を更に推し進め、互いに尊敬しあい励ましあって、兄弟のごとく、姉妹のごとく、親子のごとく、強力な生命と生命との連帯を、広宣流布前進のために強めなくてはならない。いささかたりとも怨嫉しあったり、反目しあうことは、功徳の源泉をふさいでいることを知らなくてはならない。ただし、破和合僧の動きに対しては、鋭くこれを見破り、厳たる戦いをすべきであろう。
 七、兄弟、親子、友人、親戚等にあって、たとえいまだに信心していない人々があったとしても、自身の太陽が昇りゆけば、すべてを照らしゆくことを確信して、決して信仰のことであせらず、騒がず、人間性のうえにたって、親切と寛大さをもち、よき人間と社会の善知識となって指導していくことを忘れてはならない。
 八、広宣流布には、勝ち戦もある。負け戦もある。これを繰り返しながら“仏法勝負”と変毒為薬と煩悩即菩提の法理を固く確信して、希望と開けゆく人生をともどもに進んでいきたい。特に、負け戦のときは「一人立てるとき強き者は真正の勇者なり」との毅然とした真の地涌の菩薩であっていただきたい。その人が、真実の学会幹部であり、最後の勝利者であり、真の幸福者であるからである。
 九、所詮、常楽我浄、衆生所遊楽の人生は、我ら仏法者のみに与えられた特権の人生行路であるがゆえに、一切の根本の人生、即生活の原理である勤行を進んで持続することを忘れてはならない。ともあれ、幸福というものは遠く大きいところにあるものではない。幸福は近くにある。すなわち、わが生命の内面に、そして現実の家庭、社会にあることを忘れてはならない。

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