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第37回本部総会 永遠に民衆の力で平和をリード

1974.11.17 「池田大作講演集」第7巻

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1  創価学会の存在意義
 今回の本部総会の運営にあたり、愛知の幹部諸兄には、なにかとお世話になり、心から感謝申し上げます。すべて皆さまのおかげで第三十七回本部総会が、日達上人猊下ご臨席のもと、かくも盛大に開催できえましたことを、ともどもに喜び合いたいと思います。おめでとうございました。(大拍手)
 また、ご来賓の皆さまには、ご多忙のなかわざわざご参集いただきまして、まことにありがとうございました。全会員を代表いたしまして、厚く厚く御礼を申し上げます。
 本年は各地の幹部会等において、いくつか信心の指導的な話をしてまいりましたので、本日は小一時間ほど、私の所感を述べさせていただきたいと思いますので、なにとぞご了承ください。
 まず最初に本年十二月二日は、日達上人猊下のご登座満十五年にあたり、この席をお借りして会員一同を代表して、衷心よりお祝い申し上げるものでございます。まことにおめでとうございます。(大拍手)
 この十五年間、宗門史に前例をみない正法の興隆、また創価学会の発展は、すべて猊下のご高徳のたまものと深く感謝申し上げるとともに、今後ますますご検証であられんことをお祈り申し上げるものであります。
 また本日は、新たなる宗門、学会への甚深のご至難、ご構想をお示しくださり、ここに私どもの路線は、更に明確なものとなりました。もとより私どもは非力ではありますが、今後とも血脈相承の日達上人猊下をおまもり申し上げ、きょうのご指南のために、全力をあげて挺身していく覚悟でございます。
2  永久に民衆の側に立つ
 さて十一月といえば、昭和五年十一月十八日が、故牧口初代会長の「創価教育学体系」が発刊された日であり、創価学会創立の記念すべき月でもあります。また、いまから三十年前の昭和十九年十一月十八日は、牧口会長が、時の軍部政府の弾圧のもとにあって、壮絶な広宣流布の戦いの末、獄中にその生涯を閉じられた日でもあります。
 私どもにとって永久に忘れることのできないこの十一月十八日をまえに、本日、昭和五十年へのスタートを切るこの総会において、私は、再び未来の広宣流布に向かう私たちの進路を明確にしておきたい。
 それは、創価学会が民衆のなかから生い立ち、民衆のなかにおいて自発の意志で盛り上がってきたという事実にもとづき、永久に民衆の側に立つものであり、権力の側に立つものでないということを、ここではっきりと確認したい。
 これまでにも「平和たれの二字を掲げながら幾多の勢力、団体が、時代の波とともに浮沈していった流転の姿を思うとき、それらの多くが権力のなかに組み込まれ、利用されていった悲しむべき事実を知っているからであります。
 そのなかにあって、宗教ほどいざというとき、偉大な力を発揮するものはありません。また、その反面、時により社会的に宗教ほど弱い存在はありません。
 この“強”と“弱”のあいだを振幅させるものはなんでありましょうか。これこそ一方は、人間精神の強靱さであるとともに、一方においては、正義を忘れ、いつしか安逸に堕する人間のもつ業であるといえるかもしれない。
 この“人間”そのものに、仏法という生命哲学の背光をあて、心と心の深みに、連帯の発条をあたえゆく「人間革命」運動、すなわち、人間の側から、平和実現に絶えまなき朝鮮をなしゆく団体、これこそ創価学会という運動体であると、私は申し上げておきたいのでありますが、皆さん、いかがでしょうか。(大拍手)
 私は、その人類の希求してやまない平和の実現に向かって、一歩でも近づけたいという決意から、教育、文化という次元で、来年も世界を駆け巡りたい、と思っておりますが、よろしくお願いいたします。そして日本にも、たびたび帰り、いままで以上にがんばりますから、ご安心ください。(拍手)
 日本の創価学会は、このたび、代表役員となられた北条理事長を衷心に、仲良くスクラムを組んで進んでいかれますよう、よろしくお願いいたします。
3  全世界と協調して平和実現
 ところで明年一九七五年は昭和五十年でもあります。一九二六年十二月二十五日、「昭和」と定められたこの元号は、中国の個展の一つである「書経」の“堯典”にある「百姓昭明、満邦協和」の一句からとられたとされています。古の中国には百の姓名があったといわれ、そこから百姓とは人民、民衆を意味します。すなわち「昭和」という元号は、全民衆が幸せになり、万邦つまり全世界と協調して平和を実現していこうとの願いを、あらわしたものであったのであります。
 しかし、現実には前半の二十年間は、国家主義の強大化によって、百姓は物質的にも精神的にも抑圧をこうむり「百姓昭明」どころか、暗雲に閉ざされた時代を経験しなければならなかった。対外的には、軍部の支配下に、中国、ソ連、そしてアメリカ、イギリスなど世界の万邦を敵として、戦いに明け暮れたのであります。
 この不当な国家主義、軍部支配体制は、敗戦および占領政策によって崩壊しさった。そして民主憲法が制定され、国民の思想は大転換を遂げ、さまざまな民主化運動が起こり、敗戦後の苦しみのなかにも、日本全国津々浦々に新生の息吹がみなぎってまいりました。
 だが、それも三十年たったいま、冷静に振り返ってみるに、はたして日本は、真に民主化の道を歩んできたといえるかどうか、それは制度上、外見上ではなかったのか、はなはだ疑問とせざるをえなくなっている現状であります。むしろ昭和初年の社会不安に酷似する状況のもとに、新たなるファシズムの機運が盛り上がっているとも考えられる。
 あたかも深まりゆく混乱の昭和初期に、創価学会が初代牧口会長、二代会長戸田先生によって呱々の声をあげたように、いま再び私ども創価学会員は、草創の原点に立ち戻るべきであると、私は申し上げたい。
 当時は、学会という存在は民衆を守り、国の行く手を正しく導くにはあまりにも小さく、軍国主義権力の圧力のもとに壊滅せざるをえなかった。しかし、今日、創価学会は、全人口の一割を超えるにいたり、もし私どもが立ち上がるならば、民衆のの声、民衆の力、正義の叫びを結集して、二度と誤った道に踏みこませない社会的歯止めになりうるでありましょう。また、なんとしても、そのような存在でなくてはならないし、ひいては世界の平和へのリーダーとなっていくべきことを強く確信していきたいのでありますが、皆さん、いかがでありましょうか。(大拍手)

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