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日蓮大聖人・池田大作

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第1回大阪幹部総会 永久不壊の福運を構築

1973.9.20 「池田大作講演集」第6巻

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1  関西の同志の皆さん、こんばんは。私は、きょうも、さわやかな秋のひとときを、皆さん方の代表五、六人の方と大阪城に上って、いっしょに淀川を見ながら、また、夜の大阪の町々の光を見ながら、大阪の将来のことや自分自身の信心のことについて、ゆっくりと静かに語るような話し方をさせていただきますけれどもご了承ください。(拍手)ともかく、どの方もひじょうにお元気そうで、また明るく、はつらつとしておられる姿を拝見して、これ以上の喜びはございません。
 昨日は、関西記念館が、めでたく開館の運びとなりました。おめでとうございます。(大拍手)特にこの開館式にあたりましては、関西芸術部の方々が中心となり、昼夜をわかたず、涙ぐましい奮闘をしてくださって、見事な展示ができあがったわけであります。私はこの席を借りまして、関係者の方々に心から御礼申し上げるものであります。なお、この関西芸術部の方々が真心こめて仕上げてくださった展示の品々については、末永く大切に保管するように申し合わせております。ほんとうにありがとうございました。
 月日のたつのは大変早いものであります。我々が念願とする広宣流布の大業も、本年第二章に入ってから、早くも一年になんなんとしております。激動の時代とはいえ、時の重みを痛切に感じさせる昨今でもありますが、それはそれとして、私は最初に日蓮大聖人の相伝の奥義ともいうべき御義口伝の一節について申し上げたい。
 特に「勧持品」について説かれている。「第五作師子吼の事」には「SA260E」とございます。
 日蓮大聖人は、この原理にもとづいて末法の初めに三大秘法をおこして、一切衆生の救済の根源を定められた。以来七百年、幾多の星霜、曲折を越えて、現在は広布第二章という新時代の初頭にあたっているわけであります。そこで私たちは、世界の平和、すなわち広宣流布の任にあたる者として、御本仏の大精神を深く拝し「末法にして南無妙法蓮華経を作すなり」との、この御金言のとおり、再度決意を新たにして、獅子奮迅の作業をしていくことを、まず確認しあいたいのであります。
 もとより、世の中はひじょうな激動期にある、であればこそ、この大白法をしっかりとおこして、今後の開拓にあたっていかなければならない。そうした意味においても、心から信頼申し上げる関西の兄弟、同志の皆さん方も、私とともに勇気をもって前進していっていただきたいのであります。
2  大阪の役割
 さて、ご承知のとおり、大阪は日本第二の重要な地域であります。大阪ぬきの日本などは成り立ちません。この実情は、広宣流布のうえにおいても同じであります。大阪のエネルギーが燃え上がれば、東京のほうも奮い立ちます。このようにして、東西相呼応していくことろに新たな発展があると考える。したがって、大阪の皆さん方は、永久に東京のよき“刺激者”であっていただきたい。このことを心から願ってやまないものであります。
 わが日本の社会で、大阪がいったいどのような役割を果たしてきたかについて、概略を申し述べさせていただきます。
 大阪の歴史的な成り立ち、またその経過については、さまざまなかたちで論じられておりますが、それらを総括して申し上げれば、まず大阪というところは大阪城の城下町として出現した。そして、この出現の最初から、商業上の発展はめざましいものがあって、西は瀬戸内の国々より、南は紀伊半島を、そして東には京都・伏見の大消費地をひかえ、それらに物資を供給する一大基地であったということです。
 戦国時代の動乱で町は焼かれて、大被害をうけたが、このときを境にして、大阪の役割ははっきり変わって、近畿以西への供給基地から、江戸および全国への物資の供給都市への飛躍したといわれております。そして江戸時代当初、この大阪は、人口約三十万人の都市として成立しました。更にそれから、活発な商業活動をはじめ、物資の供給能力は、江戸および全国まで達したというのであります。
 江戸時代には、日本の総人口はそんなに増えておりません。江戸中期において他の都市と比較してみますと、江戸が約百万人、京都が約五十万人、大阪が約四十万人、名古屋と金沢がそれぞれ約十万人という具合であります。
 ところで、江戸の人口の半数は、武士であった。彼ら武士は、江戸を日本最大の消費都市にしていったわけであります。それと同時に、京都の五十万人も消費人口であり、当時わずか三、四十万人の大阪市民が、こうした江戸、京都をはじめとする消費需要に完全に応えていった事実をみると、大阪人の活動能力、バイタリティーというものがいかに大きなものであったかということが、思い知らされるもであります。
 しかも問題は、それだけでとどまるものではありません。江戸時代には一貫して、江戸よりも上方のほうが文化水準が高かったということを見逃してはならない。江戸時代後期になると、文化の中心が江戸へ移っていく風潮になりますが、それでも結局、明治維新まではだんぜん上方のほうが文化水準の高さを保持しておりました。いまそれら具体的な内容にまでふれて話す時間がありませんけれども、結論的にまとめていうならば、経済においても、文化においても、江戸時代三百年を通じて大阪は、この日本を背負って立っていたという事実であります。まさしく大阪は、日本発展の原点であったといってよい。これは大変な歴史であります。それでありながら大阪の人たちには、もってまわったような気位の高さというものが少しもない。大変な庶民主義であり、人間主義である。これはひじょうに優れたの長所であると思います。
 こうした大阪人の長所と比較して東京の人たちにいえることは、やはり、どこか扱いにくい気位の高さというものをあげざるをえない。これは江戸時代に、武家が市民の半数を占めていた実情を反映する伝統的なものと考えられましょう。
 それに比べると、大阪は昔から、市民のほとんどが庶民であったことから、そうした点は少しもみられません。この長所は、昭和のいまでも生きているし、学会の信心の世界においてもはっきりあらわれているように感ずるのであります。どうか皆さん方は、どんな時代になりましても、そうした大阪人の長所は、決して失わずに、子孫代々に伝えて、しかも大法弘通のために役立てていってくださるよう、心から念願するしだいであります。そして更には、日本のなかでの大阪から、これからは、世界のなかにおいて、あらゆる分野に貢献しゆく、世界的な大阪人へと成長していかなければならない使命があるということも、知っていただきたいのであります。
 ともかく皆さん方は、戦国末期において、近畿一帯の生活の支えであった立場から、一躍して、日本全体の生活の支えに発展したように、昭和の今日、広宣流布の開幕期においては、大阪の能力というものは、世界的な要求にも応じうる無限の可能性が明確にあるということを確信していただきたい。そして、このもっとも人間的長所である庶民的能力は、たんに物資や経済の面だけではなしに「色心不二」の原理に立ち、仏法による精神的な方面、精神運動においても十二分に発揮していっていただきたいのであります。
 余談になりますが、同じ関西のなかでも、京都と大阪はずいぶん性格が違うとよくいわれます。大阪の人々は陽気で開放的である。しかも、物事を合理的に処理していく能力に富んでいる。それに対して京都は、旧守性、つまり古い物を守っていく性質が顕著である。また変革好みで、なんでも取り入れる大阪人の気質に対して、京都人は上品な気風を好むといわれる。ことに大阪は、雑多な物事を好みとし、なんでも消化していくところがあるようであります。これはある本にそう書かれていたことであります。
 これらを要約するならば、大阪は万事にわたって適応能力に優れた人々が多いということであります。こうした特徴は、世界のどこへ出かけても、円満にひとかどの仕事を成し遂げる力があるということがいえましょう。これからの時代には、この大阪人のような能力が必要である。単なる気取りで、時代を先取りすることはできるものではない。
 私はこういう点からみまして、今後の日本の広宣流布、更に世界の広宣流布に対する大阪人の活躍を、心から期待してやまないしだいであります。(大拍手)
3  大事な「心の財」
 さて、いままで申し上げましたように、大阪というところは、昔から財貨に富んだ商人の都市でありました。このことについてひとこと申し上げておきたいと思います。
 日蓮大聖人は、こう仰せである。「SA261E」と。これは四条金吾に送られた有名な御書でありますが、この一節こそ未来の原点として、残しておきたいと願うものであります。
 この御金言は、四条金吾が自分の仕えている主家から追放になろうとしたとき、つまり危機に直面したさいのご指導であります。四条金吾は、このご指導を心から受け止めて難と戦った。そして、信心に励んで最後に心境を開いた結果、一転してあの御書に有名なように、領地などが加増されるという福運を得たのでありました。
 ここでもう一つつけ加えて申し上げておきたいことは、開目抄のなかに「SA262E」との一節があることです。いま、仏道修行に励んでいる我々には、当然いろいろな三障四魔にあい、その現象に苦しむ場合がある。この御文の意味は、過去世からのいかなる苦しみがあるにせよ、今生の修福、すなわち福運というものは、必ず将来に開花するというお約束なのであります。それはまた、仏道修行、信心活動、そして広宣流布に向かっている今世の実践の日々に、未来の福運を収めているということであり、それを確信しなさい、との大聖人の仰せなのであります。
 それとともに開目抄の別の個所には「SA263E」とある御文も肝に銘じていただきたい。この意味は、ほんものの人間革命、成仏の道というものには、必ず、なんらかの反作用がある。それが裏表のような関係にあるということなのであります。しかし、こうした相反する関係も、その一つひとつを体験するごとに罪を消し、その修福の功徳というものは、必ず一生涯のみならず、未来に厳然として現れ、子孫末代に伝わるということであります。
 この原理は、更に開目抄の同ページに、「生生にはなれず。聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓同時なるがごとし。法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし」と述べられていることに通じるわけであります。
 大聖人の仏法の原理は、いつの時代、いずれのところの人に対しても不安であります。いま、四条金吾に結び合わせて私は申し上げましたが、皆さん方にも同じようにあてはまるものであります。
 もしも、人間社会が、物財や経済だけで明け暮れていくならば、人生は、野卑なエネルギーをまき散らして終わるだけでありましょう。物質的な恵みだけでは、雑然としてなんのまとまりもない生涯を送ってしまうことになってしまう。いわゆるエコノミック・アニマルといわれる弊害はここにあるといってよい。これでは、ほんとうに幸せな人生ではなくなってしまいます。そのなによりの証拠は、現代の風潮のなかにある。それは富める国家の裕福な階層のなかかから、続々と社会に背を向けるヒッピーが生まれたことであります。アメリカから始まってヨーロッパでもそうなってきている。
 最近では、わが国でもそれと同類の人たちが、若年層を主体として増えているという事実。それというのも、もとをただしてみると「心の財」よりも「身の財」のほうが優れ、その「身の財」よりも「蔵の財」が優れてしまったところに、どうにもならない現実がある。うつろな世界ができあがってしまったといわざるをえないのであります。
 これは現代の文明悪の所産であると指摘する人は多い。けれども、それをどのように克服して、真実の人間性の再建を行うかということになると、なんともむずかしい問題なのであります。科学者もできない、政治家もできない、もはや教育者にも手に負えなくなってしまったといってよい。だれも解決できなくなってしまった感があり、まさしく二十世紀後半は重大な岐路に立たされているわけであります。
 これをもって考えるならば、日蓮大聖人の教えがいかに卓見であり、間違いないものであるか、そして、現代においてますます必要なものであるかということに気づくのであります。
 このように「心」の問題を論ずると「それは観念論だ」といってすぐ片づけてしまう人たちがいます。しかし、よくみると、そういう人たちが、はたして唯物論に徹底しているかというと、決してそうでもない。漠然としていて、確固たる基準がない、確信がない、信念もない。結局、観念論と唯物論とのあいだで、動揺して迷っているのが真相ではないでしょうか。
 その原因は仏法で説く「色心一如」「依正不二」という広い視野が開けていないからであります。ゆえに私は、東洋仏法の真髄である妙法、すなわち、この宇宙の根源を説き明かした生命哲学こそ「人類要求の第三の道である」と訴えておきたいのであります。この第三の道が即人間主義であり、中道主義の仏法である。これをじつは、全世界の人間の奥底から要求していることを忘れてはならない。ゆえに、私たちは、一念三千の妙法を広めて、現代を啓蒙していかなければならない使命があることを知っていただきたい。
 なんと申しましても大聖人の仰せのごとく「蔵の財よりも身の財」「身の財よりも心の財」が基本である。この「心の財」は妙法蓮華経の御本尊をしっかりと持ちとおしていく信心修行のなかにのみ建設され、発現されていくものであります。
 したがって、信心が豊かになっていけばいくほど、その人の「心の財」も増してまいります。そして、その実り豊かな心が、しぜんに外へ外へとにじみでてくれば「身の財」にもなり、「蔵の財」にもなって永久に栄えていくのであります。もはや、その財は崩れない。私は大阪という経済の都が、こういう確固たる福運の人で満ちみちていくよう、せつに望んでやまないのであります。

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