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日蓮大聖人・池田大作

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第1回鳥取県幹部総会 後世に業績残せる人に

1973.9.17 「池田大作講演集」第6巻

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1  皆さん、こんばんは。きょうは、皆さん方の代表二、三人の方と、あの有名な鳥取の砂丘を散歩しながら、自分のこと、鳥取の将来のこと、また島根のこと等を含めて、ゆっくりと、静かに、懇談をするような話し方をさせていただきたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。(大拍手)
 はじめに昨日行われた山陰文化祭についてひとこと申し上げたい。じつに見事な祭典であり、私も深く感銘をいたしました。すべての関係者の方々に,私はこの席を借りまして、心からご苦労さまでしたと、厚くお礼を申し上げるものであります。ほんとうにありがとうございました。(大拍手)
 ともかく、山陰地方は、ついに立ち上がった、という実感を深くしたのは、私一人ではないと思います。きょうお集まりの皆さん方の、どのお顔も拝見しましてもひじょうにお元気そうで、しかも明るく自信に満ちみちておられる。そうした姿を見ることが、私にとっては、なによりもうれしいことなのであります。どうか、山陰文化祭という偉大な歴史をつくった皆さま方は、この事実を一つの契機として、更にまた、きょうの幹部総会を大きな発展の節として、一人残らず、今年より来年、来年より再来年というふうに、一年増しに幸せになっていただきたい。そして、ゆるぎない山陰の人材山脈を構築していただきたいことを、心からお祈り申し上げるものであります。(大拍手)
 話が、少々むずかしくなるかもしれませんが、未来の山陰の友のために、志向しておきたいことがありますもので、その点をご了承願って、話を進めさせていただきます。
2  山陰の国土と県民性
 この山陰というところは、四十七都道府県のなかでは、面積も小さいほうでありますし、人口も少ないようであります。
 明治このかた、産業の開発のうえでも、中央に比べてずいぶん取り残され、おくれてしまったという事情のもとにおかれてきました。産業の発達のためには、鉄道や道路は、人間の血管の役割を果たすものであって、必要欠くべからざるものでありますが、その鉄道の山陰本線でさえ、明治四十五年にやっと開通したようであります。道路のほうも、昭和三十五年までは、まったく悪いデコボコ道路が多かった。
 そういう具合でありますから、なにかにつけて、おくれがめだったというのが、いままでの山陰地方でありました。しかし、過去がそうであったからといって、これからも、永遠にそうだということは、絶対にありえません。
 その証拠として、私は、日本全体の歴史の歩みを見つめてみれば、ひじょうによくわかるのではないかと思うのであります。ともかく、日本の国が長い鎖国の夢を破って、世界の仲間入りをした明治初年当時の日本というものは、いったいどういう立場であったか、あるいは世界のなかに、どのように位置づけられたかということであります。
 皆さま方もご承知のとおり、当時の日本は、世界的な視野に立ってみれば片田舎であったといってよい。国土は小さく、資源もない。更に人口も、わずか二千七百万人程度であった。そして物質的にも産業の開発がおくれ、文化水準も低いという、文字どおりの後進国にすぎなかった現状であります。
 それはちょうど縮図としてみれば、日本全体のなかで占めていたいままでの鳥取県や島根県の立場にあたると思います。そうした後進国の日本が、現代ではどうなっているでありましょうか。世界に対する日本の地理的な関係は、少しも変わっていませんのに、日本は世界のなかでも先進国として、欠くべからざる存在にまで成長をしております。
 わずか百年ばかりのあいだに、驚くべき発展をしてしまったというこの事実を振り返ってみますと、すべてのことは、やりかたしだいで、どうにでも変えられるという感を深くせざるをえません。
 国土が大きいとか、小さいとか、人口が多いとか少ないとか、また資源の有無等が、その国の発展を決める決定的な要因でないことは明らかである。
 人間の心構えと忍耐強い努力の集積という生命力があれば、たとえ条件が悪く、おくれていたとしても、わずかのあいだにもっとも優れたクラスになれるものだという、動かせない証拠がここにあるということを申し上げたいのであります。
 私はこれを前例として、島根県、鳥取県の二十年、三十年後がどうであるか、と尽きない興味をもって、将来を期待するものなのであります。
 明治以来の日本の発展ぶりを一例としてみますと、その原動力は、たぶんに民族的特徴たる精神のもちかた、頭の切り換えのよさ、更に新旧の調和のとりかたの巧みさにあったと思われる。また、日本人の特質として、いかなる激変期にあっても、つねに伝統を失うことなく新しいものを摂取していく能力に、ひじょうに優れているように思われる。もしも、この観察に誤りがないならば、同じく山陰の皆さん方も、そのような能力に秀でた人々であろうと、私は大きく期待をし、頼もしく思うのであります。
 しかして、今日、これらの長所をば、更に偉大なる大乗仏法の真髄である妙法によって発揮していくならば、どんなにすばらしい成果がもたらされるものであろうかと、私は楽しみなのであります。
3  一念の変革から出発
 地域の開発、繁栄の基礎は、なんといっても「一念の変革」「精神の開発」から出発するものである。この確たる法則にのっとってこそ、精神も生き、労働の成果も生かされてくるのであります。
 日蓮大聖人は四信五品抄のなかで、こう述べられおります。「SA256E」という問いに答えて「SA257E」と。
 この一節の意味は、濁った水には心がないけれども、月を得て自らきれいになっいく。また、草木というものは、雨が降ってくればしぜんに花を咲かせていく。悟ったわけではないけれども、縁によってきちっと咲かせるということです。更に大聖人は「SA258E」と仰せであります。
 この御文の意味は、我々が三大秘法の御本尊に唱えている題目には、万法が含まれているということであります。すなわち、この宇宙のあるゆる法則――政治の法則も、経済の法則も、科学の法則も、生活上の法則も、ありとあらゆる法則がぜんぶ題目に含まれている、との仰せなのであります。換言すれば、人間生活と社会生活における合理的な、あらゆる可能性が含まれているという意味であります。
 したがって、ここには山陰の地域のよき発展の可能性も当然含まれているわけであります。県内にこの妙法蓮華経を信奉する人が増え、唱題の声が満ちみちていくならば、明治の後進国・日本が昭和の先進国なったように、そしてまた、戦後の日本が退廃しきった時代を乗り越え、今日の繁栄を生み出したように、いままでおくれた地域といわれた鳥取も、島根も、他の府県からうらやまれるぐらいに発展していくのは間違いない、と確信して進んでいっていただきたいと思いますけれども、その点はいかがでございましょうか。(大拍手)
 事の一念三千の正法はまったく不思議な大法である。不思議というのは、神秘的という意味はでありません。我々凡夫では思議しがたいということであります。たとえば微分、積分というと、数学を知らない人にはひじょうに不思議に思います。しかし法則は厳然とある。もちろん、その法則をよく知っている人には、当然の常識でありましょう。
 こうした方程式と同じように、たとえ初信の信仰実践者が、その内容をしっかりと智解することができなくとも、固く妙法を信受して、たゆまずに行じていくならば、しぜんに自分の所願満足のコースに入っていく。そういう法則にのっとっていける、ということであります。つまり万法の法理にかなって、事実の成果が生活のうえに達成されることは間違いないとのご断言なのであります。
 これは御本仏が、我々末代の凡夫に対するお約束でありますゆえに、私どもは安心して、ここに精神の原点をおいて、進んでいけばよいのであります。そして、そういう人は、外見は平凡な庶民であっても、一切衆生のうえで、あるゆる市民のうえで、もっとも優れた人材であり、尊い存在であると、大聖人は申されているのであります。
 このことは報恩抄のなかにも明らかである。「SA259E」と仰せられている。
 これらの御書の一節を拝して思うことは、御本仏がこのように指導してくださっている以上、こんどはこの御本仏の本意にどう応えるか、そこが問題であると思う。確たる正しい信心があるならば、実際にこのように、名実ともに優れた人間に成長していかなければならない、ということなのであります。
 私どもは、自他ともに、つね日ごろから人間革命をめざしているわけでありますが、事実の証明としても、人間革命をしていかなければならない。そのためにも、本気になって題目をあげ、大聖人の仰せどおりに進んでいただきたいのであります。
 そして、不幸、不運というものを切り開いて、更に自分の生命のなかに埋もれている才能をも発揮させて、世のため、人のために尽くして優れた社会人となり、一生のうちには、なにかしらひとかどの仕事を、この世に残すべきではないかと思うのでありますが、いかがでありましょうか。(大拍手)
 人生といっても、長いようで、アッというまに終わってしまうものであります。しっかり題目をあげて人間革命をし、自分は、これだけのものを後世に残した、鳥取県に残した、人間、庶民のなかに残した、といいきれる一人ひとりになっていただきたい。
 私は、そこにこそ、人生の生きがいもあり、広宣流布の発展もあり、また山陰地方という、この大切な郷土の発達、繁栄もあると確信したいのであります。

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