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日蓮大聖人・池田大作

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神奈川県幹部会 仏法の責任感は悟達に直結

1973.9.3 「池田大作講演集」第6巻

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1  親愛なる神奈川の同志の皆さんと、こうして再びお会いすることができましたことは、私にとっても、一つの大きな喜びであり、まことにうれしいかぎりであります。
 皆さん方もまた、どうか今晩を、ひとつの信心の節として、そしてまた、自身の人間革命の歴史の節として、これからの新しい時代と人生へ、たくましく成長していただきたいと思います。(拍手)
 ともかく今年は、特別に暑い夏でありました。また物価の上昇率をみても、ここ数年のうちで、今年ほど急騰した年はありません。このところ毎月、前年比で最低一〇パーセント、最高一三パーセント近いという上がり方であります。
 こういう本年の異常な天候の暑さを“懐の寒さ”で埋め合わせていこうという、シャレをいっている時代ではなくなった。健康上でも、経済上でも、よほどしっかり身構えてかからないと、この変化の激しさに、圧倒されてしまいそうな昨今である。また、そういう時代に入りました。
 世間で起きた事件にしても、新聞でごぞんじのように、ケタはずれに奇怪なものが多い。これこそ立正安国論どおりの末世であります。まさしく、大聖人の仏法の予見が、寸分も違わず的中している証左であります。
 しかしながら、また一面、考え、比較してみるに、アフリカの砂漠地帯の国々やインド亜大陸にとってみますと、かの地で起こっている飢餓というものは、民族的興亡がかかっているスケールの大きなものでありまして、なにか次元を異にした性質を帯びている。
 こういうアフリカとかインドとかの、重大な飢餓状態に比べた場合、わが国などは、まだまだ“天国”の部に属しているといえるかもしれません。そのほか、いろいろな角度から諸外国と日本とを比較してみると、相対的には、日本はだいたい条件のよい部類に入っているようにみえる。
 だが、いざ、その日本のなかに住んでみると、物価、公害、住宅、老後保障等々、ぬきさしならない諸問題がたくさんあり、それらがすさまじい迫力をもって、日夜迫ってまいります。十界互具、依正不二とは、よくぞ破されたものと、私はつくづく、その感を深くしているしだいであります。この道理は、国内における諸地域と神奈川県とを比べてみても、成り立っておりましょう。
2  社会形成にかかわる人間の力
 神奈川は、首都圏のうちで、最大かつもっとも進歩している県であります。諸条件は、ほとんど東京都に肉薄しており、総合的文化水準や経済力がひじょうに高い。湘南、鎌倉方面は、文化人、経済人の集中地域でさえある。人口も、昭和四十四年七月調査のときには五百二十一万余人でありましたが、四年後の現在は六百六万人に増えて、全国第三位。十年後は、大阪府を抜いて、全国第二位になるであろうといわれている状況であります。
 この面からするならば、神奈川の国土は、地理的条件にも恵まれ、まことにバイタリティーに満ちた、洋々たる将来性を約束された国土世間であると、私は信じます。そしてまた、その反面では、やむをえない付随現象として、いわば必然悪として、公害の深刻化、教育施設の不足、住宅難、交通事故や犯罪の増加という社会問題が、予想されざるをえないことになります。すなわち、予想されるプラス要素が、大きければ大きいほど、それについてまわるマイナス要素の大きさも正比例する。これが、純粋なる客観上の物理現象であります。だが、すべては物理的自然現象だからと、指をくわえて見ていなければならないかというと、そうではないはずであります。
 なぜならば、社会現象というものは、単なる物理的自然現象の総和ではないからであります。また、社会は、なにかしら人力(人間の力)を超えた社会的必然法則に一〇〇パーセント支配されて、歴史をつくっていくものでもないからであります。
 社会の歴史的形成に対して、人力がどれほど大きくかかわっているかは、なによりも、この戦後二十数年間の日本のありさまが証明しております。昭和二十七年四月、講和条約が発効して独立を回復し、わずか二十年で、現在の日本の状態ができあがってまいりました。
 物理的自然観や、物質的社会法則だけに固執して考えたならば、とうてい予想もつかぬ変わり方であります。そこには、学会の力もあったといってよい。これこそ、歴史的社会の前途に対して、人力がどれほど大きな力となるものであるかを、如実に教える現象であり、歴史であります。では、人の力の大きさがわかったからといって、法則性を無視して、無秩序、乱雑に、みんなが勝手に力を出しあえばよいのか、それで成果があがるかどうか――そうともいえません。
 日本の荒廃した戦後の焼け跡のなかで、当時の国民すべてが、国土の復興、経済の再建ということを、国民的テーマとして、暗黙のうちに了解しあい、この一つの願望と行動性の一致という、秩序性、法則性があったればこそ、立ち直りもした。あの悪い政治にも負けず、めげずに、今日までの建設が可能になったのではなかろうかと、私は訴えたい。
 ここに、人間の力に対する、客観法則の力というものの大きさも、認めざるをえないのであります。人間が、世の中をみる目というものは、おもしろいもので、とかく中年以上になりますと、人の力というほうへ重点をかけてみるようになる傾向をもつ。反対に、若いうちは、客観的法則性を振りかざして、みていくようであります。
 どちらもそれぞれ、誤ってはいないと思いますが、しかし、いままで申し上げてきましたように、やはり物事は、両方踏まえたうえで、再度見直したところに真実があると、私は思うのであります。このことは、これからの神奈川という郷土の社会的将来についても、また神奈川の私ども学会の将来についても、ともに参考となるべき道理ではないかと思い、ひとこと申し上げたしだいであります。
 ともかく、神奈川県は十年後には、大阪を抜いて、東京につぐ大都市になりそうだといわれているわけですが、それほど将来性の大きい国土であります。願わくは、この郷土づくりに対して、学会の皆さん方が、リーダー的役割を果していただいて、立派な模範の県に仕上げていっていただきたいことをまずお願いしたい。それとともに、十年後の神奈川の学会は、日本第二の大都市にふさわしく座談会第一で、功徳に満ち、喜びにあふれ、実力充実した日本第一の人材の宝庫となっていただきたいことを、この席をお借りして、お願い申し上げるものであります。(大拍手)
3  神奈川県人の気風
 大正九年に第一回国勢調査が行われたときの県人口は、百三十二万余人であったそうであります。当時、横浜、川崎、横須賀など明治以来、急激に人口が流入していった時代でさえ、その程度でありました。いわんや、六百万を超えたいまでは、おそらく幕末以来、土着の人口一に対して、転入人口は五にも六にも、あるいはそれ以上にあたっているかもしれません。
 しかし、土地の歴史の影響力というものは不思議なもので、神奈川には厳然として、神奈川県人らしい、いうにいわれぬひとつの気風というものが感じられます。
 それは、何かというならば、昔ながらの東国武士団の末裔らしい気風であるように思えてなりません。とにかく、なにかしらゴツゴツと骨っぽい、男性的気風であります。
 振り返ってみれば、武蔵とか、相模国とかは、源頼義、義家父子以来の、東国源氏の天地でありました。それ以来、徳川家康の江戸入府まで、果てなき戦に明け暮れてきた土地柄であります。
 その意味から、神奈川県人は足を引っ張りあって、なかなか有名人が出ないということもいわれてきた。それはそれとしまして、源頼朝の手によって、一度は天下に号令する幕府を開いた土地でもあります。してみれば、この神奈川にはいまにいたるまで、なにかしら東国武士団の気風というものが、深い余韻を残していても、決して不自然ではないでありましょう。
 この東国武士の歴史をひもといてみますと、そこにはいかにも彼ららしい長所と、また欠点との跡がうかがえる。
 長所の第一は、困難に対してじつに強いという、耐久力であります。これは、学会全体をみても、神奈川県の法戦の歴史は、やはりそうでありました。
 第二に、義に強いという点であります。第三は、営々として開拓に励んだという点であります。開拓をしていこうという、その意志、たくましさ、という点であります。
 しかし、その半面には、当然のこととして欠点もあった。名利を得て勢力をもつと、わがまま勝手を始めて、自ら墓穴を堀ったものが、歴史的にじつに多いという点であります。
 血族同士で骨肉相食む抗争も、ずいぶんと多かった。このことは、彼ら東国武士たちが、武勇に生きるあまり、思慮に欠け、巨視観がなくなってしまって、粗暴な性向から脱却できなかったことを暗示しております。
 そうした時代ののち、江戸時代三百年と明治以降の百余年、計四百余年を過ぎて、今日があるのであります。
 いまはすっかり、文化民族として、洗練された現代人として、生きていることは当然であります。もはや、戦国の昔をもって、いまを論ずることは不可能ではありますけれども、それでもあえて、東国武士的な気風の余韻に思いを及ぼすならば、その長所はこれからもどんどん伸ばし、その欠点には、戒心していくべき心構えも必要ではないか、と申し上げたかったのであります。
 いままでの神奈川の広宣流布の足どりを追ってみましても、地味に開拓していく力、困難と取り組んでいく力は、さきほど申し上げたとおり、他と比べてひじょうに強かった。立派であった。
 信心という第一義に対しては、奮い立って前進してきたものであります。そこには毅然とした信心の気骨という、秀でたものがありました。これは、皆さん方が、生涯、胸のうちで、誇りとしてもっていっていただきたいのであります。
 これからは、むしろ神奈川の皆さん方が、東京の人たちの模範となってリードしていただきたい時代が来たような気がします。今後も、一層、この長所はどんどん伸ばしていただきたい。
 その半面、さきほど申し上げた弱点に似たような傾向も、やはりいままでも、ときにはあらわれたこともありました。
 たとえば、個人にあっては、信心途上での油断というか、慢心というか、相当に功徳をうけてから、対人関係において、なにか失態を演ずる場合がある。組織にあっては、幹部の独りよがりという、後輩の方々に対する親身の配慮に欠ける場合があります。
 これはなにも、私が、東国武士団がもっていた弱点に無理に似せた作り話をしているわけではありません。ひとつの傾向性を話したということで、ご了解願いたい。

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