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日蓮大聖人・池田大作

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第3回創価高等学校卒業式 無限の可能性に挑戦

1973.3.15 「池田大作講演集」第5巻

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1  卒業、まことにおめでとうございます。心からお喜び申し上げます。
 学業を終えたといっても、まだ人生の序の口を終えたばかりであって、諸君にとっては、これからがいよいよ本番に近くなってくるわけであります。皆さんの顔を見ていると、その武者ぶるいの、勇んでいる様子がよくわかります。頼もしい若駒であるといってよい。私は非常にうれしい。
 時代は違うといいながら、私にも十五歳のときもあった。十八歳のときもありました。諸君がいま、どのようなことを考え、どのようなことに悩んでいるか、またなにを希望し、ときになにに絶望しているかということが、私には痛いほどわかるような気がいたします。これから未知の大道を行く若駒にも似た諸君に、私は、私の青年時代のことを思い起こしながら、次の五つの提言をしたいと思います。
2  意思を強固に持て
 第一に「諸君はいま、限りない可能性を秘めている」という事実であります。これを信じていただきたい。皆さんが未来に思いをはせるとき、心は無限に膨張し、あるときにはナポレオンにも、西郷隆盛にも、またレーニンにもなりうることを、まざまざと思い描いていくでありましょう。また、ときには試験に失敗した場合など、世の中で自分ほどダメな人間はないというように、惨めに考えるときもあるでありましょう。この大きな振幅は、青年時代の特性であり、いずれも真実なのであります。真実であるからには、諸君は将来、人類の渇仰する偉大な人物にもなりうるし、また、まったくダメな人間にもなる可能性をもっているわけであります。実は、このような危機にあるのが青春時代である、と申し上げておきたい。
 諸君と同年代の当時、病弱な私もそうであった。熱のない気分のよい日には、未来はまことにバラ色に輝き、なんでも手に入れることができるように思い、また発熱して苦しい日には、それこそ絶望の淵に沈みました。しかし、私という一個の人間には、なんの替わりもなかったのです。
 諸君の人生行路は、必ずしも平坦ではない。そのたびに、一喜一憂するでありましょうが、どうか、自分のよき可能性を信じて、それに挑戦していっていただきたいのであります。そのためには、”意思を強固に持て”と、私は申し上げたいのであります。強固な意思で挑戦していくとき、諸君は、この世になぜ生まれてきたのか、何をしなければならないのか、つまり自分の使命を自覚するにいたるでありましょう。そして、それぞれの使命に生き、一喜一憂に紛動されることなく、自分らしい見事な栄光の人生を、堂々と歩んでいってください。
3  友情の絆を尊ぼう
 第二には「友情の絆を尊べ」ということであります。真の友は、もとめたからといって得られるものでは決してありません。諸君が、この学園に学んで得たいちばんの大きな財産は、この学園でしぜんに結んでできた友情でありましょう。人類三十六億のなかで、もっとも正しく意思が通じ、なにもくどくどいわなくても理解しあえる友の存在は、めったにあるものではない。諸君の親友は、何の利害にも左右されることなく、また、なんの構える必要もなく、終生代わることなく、ありのままの素朴さで、互いにいっさいを理解してあやまたない人であります。このような友は、少年時代、青年時代の純粋な友情の絆によって結ばれているからであります。これほど、人生において尊いものはありません。
 諸君はやがて、それぞれの目標に向かって、さまざまな分野にわかれていくでありましょう。そして、そこでも多くの友を得るかもしれない。しかし、この学園で結んだ友情ほど、純粋無垢なものはないと知るときが、必ずやってくるでありましょう。現代の人間疎外の風潮がもたらす人間の孤独地獄は、このような友情をもたない人々に顕著に現れている。孤独の恐ろしさは、人間を偏屈で、独りよがりな不幸な性格にしてしまうものであります。
 いま諸君は、この学園で結ばれた友情が、そんなにも尊いものとは気づかないかもしれない。しかし、十年、二十年、三十年とたったとき、いまの私の言明することの意味を、しみじみと悟り、友情を守ったことに心から感謝するにちがいない。
 どうか、この友情を終生変わることなく尊び、また育てていくことを、私は心からお願いするものであります。

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