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日蓮大聖人・池田大作

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第14回学生部総会 第二章担う生命哲理の伝灯者に

1973.3.11 「池田大作講演集」第5巻

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1  第14回の学生部総会、本当におめでとうございます。(拍手)最初に、ご来賓の方々にはご多忙のところ、ご出席をいただきまして厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 さて、私は先程から諸君達の姿を拝見しながら、今日のこの総会に参加した諸君達が、20年、30年後にどうなっているであろうか、ということをしみじみと考えておりました。20年後の1990年代は、諸君は40歳前後。30年後は50歳前後で、すでに21世紀に入っているわけであります。そのとき諸君がどのようになっているか。40歳、50歳といえば、最も社会の中核となっていかなければならない年齢であります。
 振り返って高等部が結成されたのが昭和39年でありますから、もうかれこれ9年になります。そして中等部が結成されたのが翌昭和40年でありますから、すでに8年になります。その高等部や中等部の人達も、学生部をすでに卒業して社会に出ておられる方もおり、いま、ちょうど学生部員として活躍をしている人もいるかもしれません。それらのことを思うにつけ、また今が広宣流布の第二章の始まりであることをも考えあわせまして、私の感慨は無量であります。どうか、未来の自分自身の人生のためにも、そしてまた社会のためにも、学会を支えるべき使命と責任を一段と強く、深くもっていただければ幸せであります。
2  知識体系を人類のために生かす
 その意味で最初に私は、諸君の学問の在り方について、申し述べておきたい。
 諸君は日々、学業にいそしんでいることと思いますが、特に、学生部員は留年などがあってはならない。社会も、時代も、年とったお父さんも、お母さんも、または妹さんも、弟さんも、早く卒業して、第一線で活躍してもらうことを願っているでありましょう。
 その学問とは、幾多の先人が血のにじむ思いで築き上げた尊い業績の所産であり、一つ一つが精緻に知識体系化されたものであります。決しておろそかに考えるべきものではありません。だが、学問というものの本質を考えるとき、いかに精密な体系であっても、それらはすべて生きた脈動する宇宙と生命の営みから、人間の理性によって抽出したものであります。したがって、学問はあらゆる生命、社会、万物の活動を解明し、人間の幸福を増進するために利用される素材であると考えられるのであります。また、そう考えねばならない。
 しかし、解明され、体系化された知識は、宇宙や生命活動そのものではない。私達は人間の理性によって取り出したこの知識を、もう一度、生命と万物自体に照らし合わせてみるとき、その学問の偉大さを改めて知ることができ、また、それを生命発展のエネルギーとしていくこともできる、と申し上げておきたいのであります。
 故に、諸君は知識をただ与えられるだけであってはならない。その知識体系を自分のものとして吸収し、肉化させていく必要がある。そうでなければ、それは「死せる学問」であって、生命の燃焼と共に輝いていくべき「生きた学問」とはならないのであります。
 それでは、その学問をインカネーション(肉化)し、理解していく自分自身をいかに築くか。そこに大きな問題がある。ここに仏法の意義があり、この自己建設の真摯な姿勢なくしては、真の学生部員とはいえないし、また学問、文化を人類のために生かしていける真の知識人でもありえない、と私は申し上げておきたいのであります。
3  庶民の中にこそ真の人間学
 話は変わりますが、これはある幹部から先日聞いた話であります。その人はたまたま車中にあって、NHKのラジオ番組を聞いていた。そのとき、ある町医者が自分の体験を語っているのが聞こえてきた。
 その町医者が語るには「私は本来は、研究者になる予定であったが、家庭の事情で町医者になった。初めは、町医者といわれることがとてもいやであった。しかし、今では町医者という言葉のなかに、人に慕(した)われるほのぼのとした響きを、やっと感ずるようになった。それは裸のままの人間を相手にすることの尊さを知ったからである。人間、体裁ぶってはいけない。むきだしの人間にならなくてはならない。患者さんの信頼には全面的に応えなくてはいけない。そして、患者さんに親しまれる医者になりたい。これが私の決意であり、願いである。
 大病院に勤めていて、一定の時間だけ患者さんに接して、時間になれば帰っていく。そして次に来るまで、その人と心が離れてしまう。そのような生活は、私にはとてもできない。二六時中、患者と接し、私の家族ともども悩み、また喜んだりすることに生きがいを感ずる。やはり町では、家庭に始終出入りして、家庭の事情なども一切のみこんでしまったうえでなくしては、本当の医者の務めはできない。若い医学生が将来のことを相談に来たとき、私は研究所に入って真剣に研究するか、そうでなければ町医者になりなさい、それが医者として、一番正しい生き方ではないか、と話すのである。
 また私は職業柄、人の死にしばしば立ち会うことがある。そこで、最近感ずることは、人によっていかに死に方に違いがあるかということである。死にたくない、死にたくない、といって苦しみのなかに息を引き取る人、また最近では、抗生物質の発達などにより以前に比べて平均寿命が延びたものの、自分の死さえ分からず、まず脳が破壊されて死んでいく人、逆に本当に生涯の仕事をやりきったという姿で、安祥として息を引き取る人、それはまさに千差万別である。人間の最後ということを考えると、その歩んできた人生が充実したものかどうかが、その最後を幸せにするかどうかを決めるのだということを、まざまざと見せつけられる昨今である。そうしたことから、私自身も一生懸命努力しよう、そして渾身の力をふるって、この人生を生き抜いていこうと考えている」(趣旨)――と。大要このような意味の話であったということであります。
 私は、この話を聞いて、庶民大衆のなかにこそ真実の人生、最高の人間学があるのではないか、ということを考えました。その人は町医者であることに心から誇りを感じ、そこに生の人間を見、人生の生き方を学び取っているわけであります。
 これは、諸君達の立ち場についても同じことがいえると思う。というのは、諸君達は将来、それぞれさまざまな人生コースを歩んでいくにちがいない。私の願いは、諸君がどのようなコースを進もうとも、いかなる指導的立ち場に立とうとも、自ら庶民大衆の一員として、不幸な一老婆と共に手をたずさえていく、誠実と慈愛に満ちた人間学の権威者としての道だけは歩んでいっていただきたいということであります。
 どのような有名人になろうと、勲章をもらおうと、賞をたくさん受けようと、権力と富に恵まれようとも、虚構の人生を生きた人々は、最後は惨めな瞬間を迎えなければならないという事実。外見はどうあれ、真実一路の人生を生き抜いた人、主義主張に生き抜いた人こそ、最後に必ず人間としての勝利の凱歌をあげる人であろう、ということを忘れないでいただきたいのであります。
 死に際した一瞬、人の脳裏には生涯の出来事が走馬灯のように駆け巡っていくと聞いております。その脳裏に駆け巡る光景を、無念の涙で曇らす人もいれば、心から満足感にひたりながら、歓喜のなかに人生の終幕を迎える人もいるわけであります。
 真実の人間像を歩み続けた人の生涯の回想は、当然のこことして後者であります。それは自己の生命、人生が勝利したこと、生命の歩みが力強い前進を遂げたこと、その人の行動が社会と世界と宇宙の営みに偉大な貢献を成し遂げてきたことの証拠であると、私は考えたい。

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