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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部夏季講習会 幸福の実態をきわめよう

1972.8.22 「池田大作講演集」第4巻

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1  歴史に残る女性の陰の力
 十九世紀のフランスのある詩人の言葉に「およそ偉大なことの起源には、必ずだれか女性がいる」という意味のことを述べた有名な言葉がある。
 私どものめざす広宣流布という未聞の偉業にこれを当てはめてみてもまさしくそのとおりで、創価学会の今日の発展の陰には、婦人部の皆さんの多大な貢献があった。とともに今後とも、妙法のために、またご一家の繁栄のために、大きく広布を推進していただきたいことを、まず最初にお願いしたい。(拍手)
 歴史に名をとどめる偉大な業績を残した人でも、一人でもそれを成し遂げた人はいない。その陰には、表面にはあらわれない女性の応援があった場合が多い。
 その一例であるが、アメリカの未曾有の経済恐慌をニューディール政策で乗りきったルーズベルト大統領は、大統領になる以前、結婚して十六年たって、突然、下半身マヒで倒れてしまった。それ以降、下半身が不自由なまま一生を送らなければならない運命になった。
 彼への評価は別にしても、その彼をしっかりと支えたのが、エレノア夫人であったといわれる。親類の人たち、友人たちは、もう全快の見込みはないので、病身の田舎紳士として静かに余生を送ることを望んでいた。
 そのなかで、彼女は、夫にむしろ積極的に活動していくことを勧めた。そのように活動していくこと自体が、人生に張りを与えるし、健康にもよい。奥さんはこう主張しぬいたというのである。
 そして、看護のすべてを尽くしたのは当然のことながら、治療中も、揺れ動く社会の現況をつぶさに夫にアドバイスしていた。そして政界とのかけ橋の役割を果たしていたという。
 また、たとえ体は不自由でも、精神まで老化してはいけないと、絶えず強く励まし続けた。その結果、ルーズベルトは、大病に打ち勝ち、やがて大統領に当選することができたわけである。
 それからの彼女の活動は、以前にもまして多忙にならざるをえなかった。大統領が大衆の生活の実態を知りたいと思うとき、もっとも信頼できる情報を提供したのは彼女であった。彼女は、体の不自由な夫に代わって、ふだんから国民生活のあらゆる領域にわたって、綿密な調査をしていたという。そうした彼女の功績については、有名なジャーナリスト、ジョン・ガンザーが「彼の病気以降、夫人は彼の足となっている。夫人はまた、彼の目であり耳であった」と述べているように、だれもが認めるところとなった。
 経済恐慌という大きな危機を救ったのは、ルーズベルトであるが、その陰にじつはエレノア夫人という一女性の力があったわけである。
 また、すでに読んだ人もいると思うが「大尉の娘」の著者として有名な、ロシア近代文学の父ともいわれるプーシキンを大成させたのは、無名の農奴の一老婆であった。
 プーシキンは乳母の手で育てられた。母親は、貴族社会の社交に忙しく、当時の習慣どおり、わが子の養育を農奴であった乳母の手にすべて任せていたのである。
 青年になったプーシキンはロシア帝国と皇帝に反抗したという罪で、はるか遠い南ロシアへ追放され、更に転々と流刑地をさまようようになってしまった。文学者として、自分の心に忠実に詩を書いたというだけで、罪人にされ、いつ帰れるかわからないという追放状態におかれた彼は、それまでとは別人のようになって、ほとんど詩もつくらなくなる。ケンカ、け事、決闘に明け暮れ、不良詩人とまでいわれるようになってしまった。
 彼はやがて父の監視のもとで、謹慎するように命じられた。その命に服するために、生まれ故郷へ帰ったとき、傷ついた彼をやさしく迎えたのが、すでに年老いたかつての乳母であった。
 幼い日にその腕のなかで聞いた昔話や童謡を再びせがむプーシキンに、にこやかなほほえみを浮かべながら、昔と少しも変わらない調子で昔話を語り、童謡を歌って聞かせる農奴の老婆。その懐かしい心と心の交流は、プーシキンの胸に失われていた人間らしいあたたかみを再び呼び起こしていった。そうしたなかで、彼はその乳母のシワだらけの顔と手のなかに、ロシアの民衆の魂を発見したというのである。
 やがて彼は蘇生した。もはやかつての流刑地での不良詩人ではなかった。以降、彼の書く詩や小説は力強い生への喜びにあふれ、しかも、虐げられた民衆に根ざした、美しい魅力に満ちたものになっていった。有名な長編小説「大尉の娘」も、このころ書かれた作品の一つである。
 彼が今日、高い評価をうけているのは、帝政ロシアという時代背景にもかかわらず、彼の作品には自由と平等を願うヒューマニズムの思想があふれているからであり、フランス語で書くことがもっとも上品とされていた当時にあって、ロシア語、それも貴族の言葉ではなく、民衆の言葉で書かれているからである、といわれている。してみれば、彼をして人間として立ち直らせ、更にロシアの代表的詩人にしたのは、名もない農奴の一老婆であったといえるかもしれない。
 私は皆さんに、ルーズベルトやプーシキンのような歴史に残る偉人を育ててほしい、というわけでは決してない。私がこうした例をあげたのは、それほど女性の陰の力は偉大であると強調したいためであり、まして妙法をたもった皆さんであれば、夫を守り、子供を育て、そして後輩と心あたたまる一対一の人間性の対話を交わしていくことが、たとえそれが無名であり、平凡であったとしても、じつは偉大な歴史の建設に通じているということを確信し、おおいなる誇りとしていただきたい。
2  自分のなかにある幸福の本体
 次に、幸福という問題について、一つの側面から申し上げておきたい。
 よく人は「私は幸福になります」という決意を披瀝してくれる。私は、その言葉を聞いてひじょうにうれしい半面、なんとなくぎごちない感じをうけることが多い。というのは、その言葉、行動のなかに、なにか特殊な状態にでもならなければ幸福でないような、息苦しい、思い詰めた姿が往々にして見受けられるからである。
 なかには、人にうらやましいと思われたい、あるいは、なにかで人を見返してやろう、といった見栄さえ感じられる。そんな狭苦しい、ぎくしゃくとした言葉を聞くたびに、私は「あなたは、あなたらしくいきなさい。見栄なんか張ってはいけませんよ」といわざるをえない。
 もちろん、なにも「不幸になりなさい」というのではない。ただ、幸福は結果としてあるものであって、その人がどう人生を生ききったのかの、総体の表現であると、私は考える。人は、往々にして他人と比較相対して幸福を考えがちである。隣の人がカラーテレビを買うと、それを持っていない自分に不幸を感じ、カラーテレビに“幸福の鍵”を求める。(笑い)
 日常生活を振り返ってみたとき、人々が幸福と呼んでいるものの本体は、だいたいこのようなたぐいである、といってよいであろう。だが、たとえばボーナスが入ってカラーテレビを買ったとしても、それで幸福になったわけではない。一軒おいた向こうの家が、マイカーを持っていると、マイカーを持っていない自分に不幸を感ずる。(笑い)
 このように、他人との比較から幸福を考え、物質的、環境的条件のなかに、幸福を追求しようとする生き方は、どこまでいっても不幸の連鎖であるといっても過言ではない。
 すなわち、物質的、環境的条件は、幸福の手段ではあっても、根本ではない。ちょうど、化粧品は人を美しくはするが、化粧品それ自体が美しさの本体ではないことと同じである。化粧品はその人のもっている、もともとの美しさを引き立たせるための手段である。
 幸福の本体は、結局、自分自身のなかにある。この自分自身という問題と物質的、環境的要素との関係を思い違いしていくところに、不幸を繰り返していく根本的な原因があると、私は考える。
 また、幸福は自分自身のなかにあるということは、現在の自己のなかにあるということである。それは決して、幻想の未来にあるのではない。現実の生活は、苦悩や悲しみに満ちているかもしれない。そのなかにあって自分らしく、せいいっぱい努力し、そこに自己の生命を燃焼させていく、その人生のなかに、じつは無上の幸福があることを、知っていただきたいのである。
3  苦悩のなかに喜びはらむ
 というと、不思議に思う人がいるかもしれないが、およそ人間として悩みのない人はいない。悩むことこそ人間の本性であるともいえる。イヌやネコなどが、いかに生きるべきか、というような問題で悩んでいるなどということは聞いたことがない。(笑い)
 もちろん信心したからといって、悩みがなくなるはずはないし、人間である以上、悩みがあって当然だと思う。問題はその悩みが、どんな悩みであるか、また苦悩の暗夜の後に、どんな朝が訪れてくるか、ということである。
 なかには自分一個の悩みのとりこになってしまって、奴隷のようにそれに引きずられた人生を送る人もいる。また、終始、苦悩の連続で、ただそれだけで人生を終えてしまう人も多い。
 それに対して、信心した場合には、いかなる煩悩であろうと、すでにそれはただ悩み、苦しみだけで終わる煩悩ではない。煩悩即菩提の原理で、菩提へと転ずる因としての煩悩であり、その煩悩のなかに、じつは菩提が含まれているわけである。
 それは、世間の例でもわかると思う。よく、いままでの人生を振り返ったとき、苦しかったこと、つらかった時代ほど、いまとなってみれば楽しく、懐かしい思い出になっているものはないといわれる。また、成長した、力をつけた、と自分で感ずることができるのは、大変ななかを実践しぬいたときであり、そのときに五体からふつふつとそうした実感が湧いてくるのではないかと思う。
 つまり、苦悩や困難のなかにこそ、喜びや充実感がはらまれている。したがって、透徹した信心の眼からみれば、たとえ現在がどのような状態にあろうとも、すべてが幸福の源泉であると確信して題目を唱えきっていくならば、苦悩の内に秘められた、目に見えない幸せの火種が信力、行力によって、やがて目に見えるあかあかとした灯として、その人を光り輝かせ、人生、生活のうえに燦然たる光彩を放っていくことは間違いない。(大拍手)
 たとえば皆さんは長い人生の坂道を毎日のぼっているようなものである。汗もかくでしょう。疲れることもあろう。さまざまな悩みがあるのも当然のことである。しかし、頂上にいたる確かな道を歩んでいることを自覚すれば、その汗も色彩豊かな人間の結晶と変わることでありましょう。その疲労も暗いジメジメしたものではなく、健康で明朗な疲労感に変わるでありましょう。
 やがて眼下に視野が開け、つらかったことも楽しい足跡となるでありましょう。そうなれば、頂上ではなく坂道の途上が楽しいものとなる。また、途上の苦労があってこそ頂上をきわめた喜びを一層深く感ずるものです。
 大事なのは、頂上ではなく途上である。その途上に、人生のしみじみとした味わいをもたらすものこそ、真実の人間主義であり、そこにこそ真実の信仰の意義があるのではないかと思う。なにごともそうであるが、苦労せずして得たものに、ほんとうの喜びはないであろう。生きることの喜びは、その生きていること自体に確かな手応えがある――ということにほかならない。人は苦労してもその手応えを求めるものである。映画をみて感動するのも、音楽を聞いて楽しむのも、生命に迫ってくる確かな手応えにほかならないであろう。
 苦労しても、空を切るようなもののなかには不安とあせりと、更には絶望しかない。しかし苦労のなかに手応えがある場合には、その手応えこそ幸福感そのものであり、それは生命のなかにある旋律が御本尊の力によって外のさまざまな条件と共和し、実証をともないつつ、自己の五体に躍動してくるものである。
 生命の内に妙法の共鳴板があるならば、その人の苦労さえ、豊かに、深く、また強く、人生の幸福の歌を奏でていくことも間違いないと思う。
 前会長の戸田先生が、よく「生きていることそれ自体が楽しい」といわれ、それが絶対的幸福といわれたのは、そのことである。大聖人は四条金吾殿御返事に「SA167E」といわれ、それが自受法楽であると教えられている。
 なんの苦労もない白紙のような状態のなかに、幸福があるのでは決してない。詮ずるところ厳しい現実のなかで、自分らしくせいいっぱい努力し、生きぬいていく一瞬一瞬に、生命の奥底から湧き出てくる歓喜、充実感こそ、幸福の本体なのではないかと考える。
 どうか皆さんはいまの一日一日の生活のなかに、そしてもっとも自分らしい姿のなかに、たとえばささやかな夕餉のなかにさえ幸福を満喫していけるような人生を見いだし、またそうした人生を歩んでいっていただきたい。それが皆さんと語り合いつつ、確認しあいたい私の偽らざる心情なのである。(拍手)

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