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日蓮大聖人・池田大作

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壮年部夏季講習会 純粋な信仰の輝きを

1972.8.16 「池田大作講演集」第4巻

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1  縁に左右されない信心の確立
 はじめに、壮年部の皆さんは純粋な信仰を貫ききっていただきたい、と申し上げたい。純粋といっても、それは“きれいごと”をいうのではない。民衆の幸福のために、労を惜しまず、汗にまみれながら、勇気をもって行動していく。そのなかに純粋な信仰があろう。地位、財産、名誉などすべてをはぎとって、なおかつ残る人間としての砦に清らかな信仰の輝きがあるということである。
 つまりその人の根底にあるものがドス黒い濁りの生命であるか、その濁流を激しく押し流していく、もっとも強い、源から発する清い生命の流れがたたえられているか――私が問題にしているのは、この本源論である。
 では、その純粋な信仰の根本になるものは何か。
 それは大聖人の「SA158E」の御金言に徹することに尽きるといえる。一般的に人は上昇機運にあるときは調子を合わせ、強気でいることができるが、いったん逆境にあうと、あせりと弱気のために一切が見えなくなり、自分さえも見失ってしまう。信心の世界にもこのことが指摘できる。
 如説修行抄には「SA159E」とある。この御文をよくよく銘記していただきたい。
 大聖人の時代にも、いざ難があったときに、不純の人は不信の沼に落ち込み、しぜんのうちに淘汰されていった。その一方で純粋な人が浮き彫りになっている。今日において、純粋な信仰の人とは、たとえどんなことがあっても、大聖人の御金言を胸に、御本尊を守り、正法を守り、和合僧を守りぬいていく人のことであると確信したい。不純な人は縁に左右されやすく、難をまえにすぐ粉動されてしまう。
 信仰のないところに生命の躍動はなく、したがって生命の内よりあふれる魅力もない。逆に純粋な信仰者には生命の躍動感があり、それがなんともいえないキラリと光る魅力となっている。いかなる難があってもそれを乗り越え、難を鋭く見破り、みんなに確信を与え、希望を与えていくのである。
 そのような信心はまさに“純金の信仰”ともいえるであろう。金はたとえ土中にあろうとも、水中にあろうとも、どこまでも金であるように“純金の信仰”は、いかなる逆境にあっても微動だにしない。表面だけの信仰は、必ずいつかは崩れてしまうものである。
 壮年部の皆さんは、信心だけは、自身のためにも、一家一族のためにも、強盛で、純粋な信仰を確立してほしい。このことが一切の原点となることを明確に確認しあいたい。(拍手)
2  “生涯、青年”の気概を
 次に、つねに青年のごとく、みずみずしい、はつらつとした生命の息吹をたたえていける人生であっていただきたいと要望したい。
 この五月、ヨーロッパを訪ねたさい、ある著名な歴史哲学者とさまざまな問題で対話する機会があた。氏のモットーをたずねたところ、それは「さあ! 仕事を続けよう」ということであった。氏は八十三歳という高齢であり、ふつうならば余生を楽しんでもよい年齢である。それでも、老いてなお精力的に未来を見つめ、はつらつと創造的な仕事を続けている。その氏の精神的な若さに感服する思いであった。
 青年のような生命の息吹で思い起こすのは、牧口初代会長の生涯である。牧口先生の口グセは「僕は“生涯青年”だ」ということであった。先生は七十歳を超える老齢の身でありながら、官憲の弾圧と戦い、いつも旺盛な生命力で座談会に臨んでおられた。そして教育理論の研究も生涯つづけ、創価教育学という不滅の金字塔を残している。
 また故原島理事長は、昭和三十九年十二月九日に亡くなられたが、亡くなる前日まで御書を離さずに読み、当日も会館入仏式に行こうとされていた。最後まで学会精神に生き、若々しい信仰の持ち主であった。
 このように広宣流布への燃え上がる青年の鼓動が、今日まで学会精神として脈々と伝えられてきたし、今日の学会を築く原動力ともなったのである。
 宗門においては第五十九世堀日亨上人の研鑽につぐ研鑽のお姿は、宗門の鏡となっている。睨座をしりぞかれてからも、九十歳近い年齢で、なお正宗教学の興隆に一身を捧げられた。富士宗学全集百三十余巻の完成はもとより、昭和二十七年には学会教学部とともに「日蓮大聖人御書全集」の編纂の労をとられた。また「大白華」誌上に御開山日興上人の業績を連載され、後に九百ページになんなんとする「富士日興上人詳伝」として本にまとめられている。これらすべては晩年になられてからの労作、偉業であり、生涯、向上の意欲にあふれた碩学であられた。この堀睨下のお姿こそ青年そのものであったと思う。
 ここで若さとはいったい何か、を考えてみたい。もちろん、肉体的には、いつまでも青年というわけにはいかない。しかし“生涯青年”の気迫に満ちている人は、青年と同じく、いな、青年以上のはつらつたる仕事、業績を残していくことができる。たとえ肉体的には老境に達していても、生命それ自体の年齢は、二十代、三十代の青年であるといえよう。その“生涯青年”たりうる本源は不退の求道精神にあると思う。
 大聖人の仏法は、本因妙の仏法である。私たちは本因妙の精神に立って更に高い自己完成、人間完成をめざして、つねに努力していくべき存在である。そのなかに、信仰の本源があることを銘記したい。反対に自分自身すでに完成したと思うところに、惰性や老化が始まる。
 燃え上がる信仰、不退の求道精神、広布への旺盛な責任感のあるところ、生命は必ず躍動し、色心連持で、精神も肉体も同じく躍動することは間違いない。御書に「SA160E」とある。どうか壮年部の皆さんはいつまでも若々しく、いつも健康で、青年の気迫を満々とたたえていける信仰を貫き、福運を積み重ねていっていただきたい。(大拍手)
3  信頼される“地域の父”に
 生涯、青年の心意気をもつ人は、何歳になっても青年を大事にしていく人である。皆さんもその精神に立っておのおののブロックにあっても青年を包容し、伸ばし、青年とともに進んでいただきたい。
 壮年部はいうまでもなく、創価学会の柱であり、屋台骨であり、各部の要となって広布を推進していくのである。しかし、今日のように変転きわまりない時代にあっては、時代相応の実践が必要になる。壮年になると、どうしても新鮮な思考ができにくくなるという面がある。
 また経験が豊かな半面、それにとらわれすぎると、考え方が硬直化してしまう場合もある。それらを打開していくためには、生涯、青年の気概に満ちていく必要があろう。と同時に、青年のもっている時代性、若さを青年たちがおおいに発揮できるように配慮してもらいたい。
 理想的なブロックの運営、発展のためには、重厚さ、沈着さ、豊かな経験と判断力といった壮年の特質を生かしながら、若さ、時代性、革新性、はつらつとしたバイタリティー等、ややもすると壮年に欠けがちな青年の力、特性をおおいに生かしていくことである。いわば青年をもっとも信頼する友として組織の構築にあたっていくことが、新しい息吹に満ちた前進のためには不可欠の要素であると思う。(拍手)
 万が一、青年の持ち味が生かされないようなブロックがあるとしたら、そのブロックは希望を失った若さのない組織にならざるをえないと思う。どうか、中心である皆さん自身が行き詰まってしまうことのないように、青年を信頼し、それぞれの持ち味を生かして見事な組織を築いていただきたい。
 また、青年を大事にする人が、本源的には青年の生命の持ち主なのである。青年に意見を聞き、ある場合にはおそわっていこう、というぐらいの度量をもつ壮年の姿ほど、尊く美しいものもない。
 青年は皆さんからみれば、まだ未熟な点が多い。物事に一途で、目標を見誤りかねない面もあろう。なかには、どうもいまの若者の考え方にはついていけない、といった人がいるかもしれない。しかし、青年は未熟であり、未完成であるところに、伸びていく所以がある。皆さんは青年たちをリードし、包容して、その時代性、たくましいエネルギーをわが力としていっていただきたい。(拍手)
 更に、青年は、次代の、令法久住の担い手である。青年が生きいきと躍動し、伸びのびと育つ団体、組織は決して行き詰まることがない。学会が今日のように発展してきたのも、恩師戸田先生が、特に青年を大事にし、その育成に全魂をかたむけられたからともいえる。戸田先生は青年を包容していけない幹部には厳しく注意していた。私も未来のために青年に大きく成長してもらいたいし、その成長のためなら、いかなる苦労も惜しみません。
 どうか皆さんも、ときには慈父のように、また賢兄のように、青年を慈しみ、その成長を自分の生きがいとするぐらいの、ふところの深い先輩であっていただきたい。地域の未来を託すのだ、という祈るような気持ちで、育てていっていただきたいし、そのような皆さんを、青年は父のように慕い、必ずや期待に応えて成長していくことだろう。
 また、皆さんは“地域の父”ともいえる存在であるゆえ、婦人部、女子部に対しても、きめ細かな配慮をお願いしたいと思う。ご自分の子供を心配し、見守っていくのと同じ姿勢で接していくとき、皆さんはより大きな信頼を集めていくのである。あくまでもあたたかく抱きかかえ、なんでも相談をうけるような、信頼される壮年であってほしい。
 そして、皆が苦しんでいるとき、難が競い起きているときこそ、一人、不動の確信に立ち、旺盛な責任感で、新たな希望の道を切り開いていただきたい。(大拍手)
 創価学会という団体の一員である皆さんは、同時に学会を代表していることを知っていただきたい。皆さんのなかに学会があり、一人ひとりが学会そのものである。このことを強く自覚していこう。

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