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日蓮大聖人・池田大作

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嬉し、沖繩の健在ぶり  

「池田大作講演集」第3巻

前後
1  昨日は、広布勤行会であった。久し振りに出席する。多くの友と、長時間、懇談、指導ができ、本当に嬉しかった。
 この日は、沖繩で初の文化祭である。残念ながら出席できなかったため、大成功を、本部常住の御本尊に祈念する。
 今日、A新聞のN記者から、私宛に、一通の電報が沖繩より届いた。
 「ユウナノウタニノツタ ブ ンカサイデ シタ カンド ウイタシマシタ チカライツパイノエンギ ニホンイチデ ス」
 私は、いずこよりも沖縄を愛している。一番心配していた沖縄の文化祭が、秀でた演技であったと聞いて、何よりも安堵した。沖繩の同志は、よくも頑張ってくれた。
 また、この文化祭には、沖繩の名士の来賓百数十名が、観覧したという。
 ある著名な来賓Y氏は「絢爛豪華の一言に尽きます。本当に驚きました。文化祭の名にふさわしい感動的な舞台でした。皆さんの誠実さ、真剣さ、真面目さが、こうした素晴らしいものを生みだしたのでしよう」と述べ、来客のため途中で帰る予定であったのを、全部断わり、最後まで見ていたという。
 ある放送会社の役員は――
 「このような催しは、沖繩では初めてです。沖繩の舞踊は、能のように無表情ですが、この舞台には、全員に表情がありました。子供からおじいさんまで、みんなが自分の舞台として汗を流してやっていました」
 また、ある文化関係の人いわく――
 「創価学会が、これだけのことを成し遂げたのは、沖繩全体の民衆の喜びにほかなりません。民族の逞しさ、力強さを改めて発見した思いです。
 官廷舞踊をよく見ますが、この民衆の溌剌とした文化は、全く素晴らしい。日本復帰後に明るい光を見いだして、楽しく生きていきます。とにかく文化祭には、人間としての喜び、民衆の生きがいが含まれていました」
2  宗教は、平和と社会に直結すべき原動力である。わが創価学会は、党派を越え、相対的なイデオロギーを超越して、この文化と平和の大運動を定着させ、軌道に乗せたのである。これが、仏法の、円教の定義であり、私の、未来にわたって遂行したかった構築であるのだ。
 いよいよ、学会は、平和民主勢力と、一層の連帯を深め、民衆を包容しながら、勇敢に進む時代がやってきたのである。時代を知り、時代に眼を開き、偏狭な誤れる感情を拓いて、太平洋の如く洋々として、満々たる前進を開始せねばならない。偏狭と誤解されるような前進は、本来の運動ではない。
3  思えば、文化祭の淵源ともいうべき軍楽隊(現在、音楽隊)の誕生は、昭和二十九年五月六日である。この日は、青年部の幹部会であった。
 幹部会の後、軍楽隊の結成演奏があったのである。その時の人数は、十六名。初代の隊長はA君であった。現在の、絢爛たる文化祭の大きな推進になっている姿からみて、その功労は、称賛に値しよう。
 ところで、当時、学会に音楽隊が誕生するということは、革新的な出来事であった。音楽を愛好する若い芽がふき始めるのを感じていた伸一は、それを大事に育てたいと思った。中心のA君の技術を信頼し、A君を、幾度となく激励した。そして、戸田城聖に、この結成を願い出たのである。
 「伸一がやろうというなら、やり給え」との一言であった。ともかく、いまだ幹部は、想像もしなかったことである。

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