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日蓮大聖人・池田大作

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挫折と戦った耕作労働  

「池田大作講演集」第3巻

前後
1  朝日が二階に射し込む。
 その二階の十畳間が、私の書斎である。私の家には、庭がほぼ二十坪しかない。その小庭園を、何よりも大切にしている。緑のない都会の中では、あたりまえのことであろう。
 幾たびか、もう少し広い庭があれば散歩でもできるのに、と思ったことがある。しかし、今はこれで満足しきっている。
 窓を明けると、幾輪かの白い、赤い寒椿が、健気に咲いていた。
   寒椿 四十の庶民の 鏡かな
 沈丁花の蕾も、ふっくらと時を待っている。冬の朝の大気は、厳しく、爽やかに、一日の背景を貫く。
2  「人間革命」の執筆も、早、七年になろうとしている。読み返すと、粗野な文で、直したいところが多過ぎる。恐縮の限りと、胸が痛む。激しい法戦の中での、仕事であった。汗を流し、熱を出しながらの日も、多くあった。幾時間も横に臥し、考えの纏らぬ時もあった。一筋に、正確の可能性を追って、ただ夢中に書いた。真剣に、挫折と戦った耕作労働であったことだけは、お分かり願いたい。
 特に、昨年の第六巻の連載は、身体をこわしてしまい、休み休みの執筆であった。読者の皆さまに、ご迷惑をかけたことを、申し訳なく思っている。自身への苦しい挑戦であった。思えば、昭和三十九年、齢三十六歳。恩師の七回忌法要の席上、執筆の決意を披歴してから、:茲に七年。今、四十三歳となる。法悟空は第七巻の準備に多忙。資料も次第に集まってきた。富士の頂上を目指しての歩みを、再び進める。五合目からの、登攀の道は験しい。″道は速い。全て、大きい仕事の道は遠い”――ある作家の言葉である。だが、後世の歴史の審判をあおぐ、証拠の書として、残しゆく足跡は、誇り高い。――更に皆さまのご支援を乞う。
 第七巻は、昭和二十八年をテーマにしていく。いよいよ、戸田城聖が人間群に向かう年であった。非難の声を堪え忍ぶ、第一歩の前進でもあった。庶民の味方として。
 昭和二十七年暮れ、男子部に水滸会が結成、また、女子部でも華陽会が発足。二十八年一月二日、山本伸一は、第一部隊(現在は部)の部隊長(現在は部長)に就任。大阪地方、仙台方面に本格的指導。青年部にも地方部隊が誕生する。四月十九日には、第一回の男子部総会。四月二十八日には、五重塔の修復記念大法要が総本山で。五月三日、第八回の春季本部総会に五千五百名が集まる。つづいて、婦人訓が発表され、統監部が設置されたりした。六月には、第二回の教学部の任用試験があり、七月には、女子部も、神田・教育会館で第一回総会。つづいて、夏季講習会、地方折伏を全面的に実施。登山会の月二回制。学会本部が信濃町に移転。秋季総会。年間折伏は五万を越え、七万世帯となっていく。
3  庭に、遊びに来ているのであろう――チュンチュン、雀が何かを語っている。前方の工事場の作業が始まった。時計の針は、八時を指している。執筆は苦しいが、人生にとって、最も張り合いがあるものだ。多くの人々と語ることができるからである。私は、そう思いながら第七巻の原稿の、一枚目にペンを走らせていこう。
 外を見ると、太陽の光が眩しい。

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