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日蓮大聖人・池田大作

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総本山総門起工式 聖誕七五〇年の陽春

1971.2.16 「池田大作講演集」第3巻

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1  只今、宗門最盛の時機にあたって、謹んで宗開両祖、億劫の辛労を尽くされた当時を拝し奉れば、仏恩まことに重畳、その泰山よりも高きことを身に感ずるものであります。
 建長五年の立宗より七百十九年。御本仏日蓮大聖人、凡夫に示同して、この日本国に応誕あそばされてよりここに七百五十年。御開山日興上人が、大石寺を開創あそばされてより六百八十一年。以来、はや春秋七世紀。その間、宗勢は幾度か万丈の波乱を経て、いよいよ化儀の広宣流布の時に至りました。
 我々信徒の熱願たる正本堂は、建設の槌音ますます明るく、高く、その出現はあと一年有半の間に迫っております。
 この佳き春にあたり、新年初頭の正面参道開通の祝典に引き続き、本日ここに御法主上人日達猊下御導師のもと、午の刻を期して力強く、宗開両祖にゆかりも深い下之坊本堂、妙蓮寺宿坊、新総門の三起工式を挙行しますことは、まことに以て無上の喜びとするところであります。本日起工のこの三件につきましては、全信徒の代表責任者として、かねて正本堂を一層荘厳ならしめるべく熟慮を重ねた結果、信徒の総意を以て発願におよび、その志を申しあげ、御法主上人より欣諾を賜わったものであります。
 順序に、その由縁を振り返りみまするに、まず下之坊については、今さらこと新しく申し述べるまでもなく「日蓮正宗発祥の地」として有名な寺院であります。あえて寺号によらず坊号を名とすることは、御開山上人の所縁に基づいて、総本山の末頭とされた名誉の地位にあるためと聞いております。
 下之坊はその昔、初めは総本山開基の大擅那・時光大行殿の持仏堂として発足したものであり、弘安年間には、曾宿道場と称したと聞きおよんでおります。
 宗祖大聖人が大行の尊父・兵衛七郎殿の慰霊を機に南条一族に慈教を賜わったおり、また、その後日興上人がこの上野一円の指導に逗留された当時は、当然、本邸とともに、ここにその足跡を残されたものと拝するところであります。
 なかんずく特記すべきは、身延離山のあと、時光殿の熱請に応えて河合の養家より移られた日興上人が、大石寺の大坊落成の日まで、正応二、三年にわたる一年ほどの間、ここを根拠として、日夜令法久住のために、万年の計を図られたことであります。故に、本日の本堂起工については、御開山の日興上人、大檀那・時光大行殿の御法魂が、今香りも高き梅のごとくに、時至って見事に花咲いたものと、″冬は必ず春となる″との功徳の陽春を心から慶賀にたえない次第であります。
2  次に、妙蓮寺についても全く同様であります。ここはもと、上野郷地頭としての南条氏の本邸であり、公式の本拠の館跡であります。
 大聖人出世の本懐の機縁が、この地によって作られた、輝かしい歴史を生んだところであります。すなわち、熱原の法難に至る一連の開拓は、日興上人がこの本邸に滞在して、実践にあたられたご事跡なのであります。
 日興上人滅後、時を経ずして、直弟寂日房日華上人によって、妙蓮寺が開創されたとも伝えられますが、史実の表面は表面として、その内実においては、これまた日興上人、大行尊霊、師檀一体の精進が事相に結晶して、本山妙蓮寺が誕生したことを強調せざるを得ないのであります。この大精神が宗門に伝統して今日の繁栄をみるに至りましたことを、我々はなによりも名誉に思い、かつ信心に深く感銘する次第であります。
 最後に、新総門につきましては、正本堂の出現により、世界の宗教史、なかんずくわが宗教界に新しい一画期が到来することを感ずるものであります。玲瓏富峰の南麓ここ大石が原の聖地は、北の千居の玄武・丘陵を控え、東に青竜・潤井の清水を流し、西に下ってはる力東海道へつながる白虎の大道が通じ、南は豊満なる朱雀の美田を一望に収める四神相応、雄大無遍なる国土世間であります。
 原殿御書に云く「日興一人本師の正義を存じて――」と仰せの如く、その御遺命達成のために、日興上人が末法万年に流るる白法流布の実現を、実に四十余年の長きにわたってご苦労あそばした由縁の地であります。
 また、開基の時光大行殿の一族が、ことごとく宗門発展のために、寺籍に融入した歴史の地でもあります。現今においては、国内および、世界の友が陸続として参拝に、練磨にあい集ってくる信心修行の大道場であり、未来は人類平和の依処たる戒場の霊地であります。
 今、正本堂の出現にあたっては「なんぞ新総門立たざらんや」の感いよいよ深しといわざるをえないところであります。新総門と正本堂との距離は約一千㍍、まさに地涌千界千如の境を証明するものと申すべきでありましよう。新総門は高さ十六㍍。まさに如来寿量品第十六、文底下種得道の門にふさわしく、間口の十㍍とは十界の衆生は十方より集いきたって仏道に入り、地涌の士は、ここより出て十方へ分身散体して、大御本尊の妙なる大利益を、全世界へ伝えるに因みありと確信する次第であります。
 家中抄には、この所は「景明かに目に満ち一空の千里光を浮べて」と述べられておりますが、この門に参入する有縁の士は、まさに人種を問うことなく、法界の景明らかに、日天の慈照、千如三千の妙悟を心身にうけることでありましよう。
 本日の盛儀は、以上のようにまことに意義深く、宗祖御本仏大聖人聖誕七百五十年にあたって、この壮挙をみるに至ったことを謹んで日達上人猊下にお喜び申し上げ、全信徒いよいよ所願に勇進する決意を申し述べて、以て発願ならびに慶祝の言葉とする次第であります。
  昭和四十六年二月十六日  法華講総講頭 創価学会会長 池田大作

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