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日蓮大聖人・池田大作

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第27回関西幹部会 生命の世紀の先駆を

1970.9.1 「池田大作講演集」第3巻

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1  きょうは、私のもっとも愛する関西の皆さん方の元気なお姿を久しぶりにみて、心より喜んでおります。
 関西は、私の第二の故郷であります。「人間革命」でもふれておきましたが、昭和二十七年八月、最初の地方折伏が行われた。そのとき、私はこの関西の地にまいりました。以来、青年部の室長時代を含めて、きょうまでに六十六回も関西を訪れた計算になるそうであります。
 その間、私にとって生涯忘れることのできない、印象に残っている戦いも数多い。なかでも、三十一年の戦いとその大勝利は、関西の同志の皆さん方とともに築いた、広宣流布史上に永遠に残る記念碑であったと確信しているしだいであります。
 更に、私自身が難をうけたのも、この関西の地においてである。あの大阪事件のとき、私とともに入獄した同志のこと、また、私のことを心から心配してくださった方々のことは、生涯、忘れられない。
 このように、関西における戦いの一コマ一コマは、私自身の実践の歴史の一コマ一コマであり、同時に私の人間革命の実践の場であったといっても過言ではない。
 換言すれば、今日の私があるのは、この関西という広い法戦場で皆さん方とともに仏道修行に励み、苦楽をともにしてきた結果であると思っている。私が第二の故郷として関西を愛し、なによりも皆さん方を守りたいと思うのも、こうした深い思い出の歴史があるからであります。
 関西は第一の草創期の勝利の先駆者であった。まだ学会員も少なく、世間の認識の浅かった当時、広宣流布の緒戦を飾ったのはこの関西であった。
 そして、以来、いかなる法戦も見事に勝ち取り、全国の模範とされ、羨望のまなざしで見られる“常勝関西”の輝かしい伝統を築いてまいりました。
 この歴戦の風波を乗り越えたことにより、関西の基盤はもはや磐石になったと思う。今後いかなる大風、大波がこようとも、ビクともしない堅固な土台としての妙法の“関西城”ができあがった、と私は確信したい。
 人材の面だけを取り上げてみても、関西は巨大な人材の宝庫となっている。総務、副理事長、理事ははじめ、幹部数も東京に続いて大規模を誇っている。そればかりでなく、関西で育った優秀な青年たちを東京に送り込み、それらの青年が現在、学会本部、聖教新聞等のあらゆる部署で見事な活躍をしている。
 これもひとえに、皆さん方の努力の結晶であり、関西の同志の信心の偉大なる実証であると強調しておきたい。ただ、関西の草分けの一人であった大井満利理事長の逝去が寂しい。きょう、この会場にいないことが、悲しく思われてなりません。
 ともあれ、第二の十年も“常に勝利の関西たれ”の伝統をみがきにみがいて、この関西が、いつまでもいつまでも、広宣流布の勝利の先駆を切っていっていただきたいことを願うしだいであります。(大拍手)
2  一人ひとりが創価学会の代表
 次に要望したいことは、関西の同志の皆さん方は、これからの十年もまた、創価学会を守ることにかけては、全国の模範的な本陣、本丸であっていただきたいということです。
 すでに、機会あるたびに述べてまいりましたごとく、学会を守り、育て、強くする以外に、広宣流布という大宗教運動もなければ、また社会の平和を建設することもできない。宗教は一切の文化の土壌、根本である。現代文明、現代社会の不幸と停滞も、力ある宗教の喪失にその原因が求められている
 その宗教を、現代に蘇生させるべく立ち上がったのが創価学会である。学会の使命はここに尽きるといっても過言ではない。この崇高な使命と目的をもつ学会を守り育てる人こそ、時代の真実の開拓者であり、革命児であると申し上げたい。
 結局、皆さんがた一人ひとりが創価学会そのものであり、創価学会を代表しているということを忘れないでほしい。このことを確信し、関西の同志の皆さん方は、なによりもまず、学会を愛して、守りきるという真実の学会っ子として、生涯を生ききっていただきたいのであります。
 持妙法華答抄には「SA118E」と説かれている。
 いかに深遠なる仏法哲理といえども、人によって明らかにされ、人によって流布される。そしてまた、人によって久住していくものである。大聖人の三大秘法の仏法も、弟子である私どもがひろめていって、はじめてその偉大さが実証できるといえる。つまるところ、ひろめる人が尊いとの仰せである。法華経の法門も釈迦という“人”によって顕された。末法においてはなおさら“法”と“人”に断絶がないというのが、この御文の意であります。
 所詮、人と法は一体である。人の貴賤は法によって決定される。つまり、人間の価値というものは社会的地位や名声にあるのでは決してない。いかなる思想、哲学、人生観をもつかによって決定するといえます。名もなき庶民であろうと、最高の法をたもち、もっとも崇高な生きがいをつかんだ私どもこそ、この世で第一の位に住する高貴な存在である、と確信して進んでいきたいと思うのであります。
3  大福運の実証者に
 次に関西の皆さん方は、他のどの地方の人々より、妙法の功徳の光に輝く幸福の実証者であっていただきたい。
 かつて恩師戸田前会長が最初に関西を訪れ、その指導の第一歩をしるされたとき「この関西の地から貧乏人と病人を追放しよう」といわれた。当時の大阪は戦災の傷跡も深く、ひじょうに不幸な人々が多かった。いきおい、学会の座談会に出席する人も、宿命に泣き、人生の悲哀を一身に背負った感じの人が多く見られた。
 恩師は、その姿を見て、そうした人々を救うために戦った。その結果、いまから振り返ってみると、との当時から、真面目に信心してきた人々は見違えるほど人間革命し、幸福になっている。すなわち大御本尊には、凡夫でははかることのできない功徳がある。もっとも戦い、法戦に励んできた人に、もっとも偉大な妙法の力が顕現するのは、仏法の因果倶時の方程式であります。
 したがって、まだ宿命転換の途上にある人も、必ずこの十年間で、人間革命を立派に成し遂げていっていただきたい。そして、関西こそ仏法の最大の実証者の地であったということを、新しい伝統として築き上げてほしい。あわせて、この歴史を将来、永遠に刻み続けていっていただきたいことを、心からお願いするものであります。(大拍手)
 妙法尼御前御返事にいわく「SA119E」と。
 大聖人の仏法の功徳が、いかに偉大であるかを示された御文である。妙法は深い哲理を含んでいる。しかし、それを習学することがなくとも、真に実践するだけで、わが身に大福運が積まれるとのご断言であります。
 妙法が、一部のインテリや特権階級のための宗教ではなく、また虚栄の観念論でもなく、あくまでも大衆のものであるということを教えられたこの御文を、色読していっていただきたいのであります。
 「悪人も女人も――」とは、もっとも不幸な人をあげておられる。もっとも苦しむ人々を最高に幸せにしていくのが仏法の慈悲である。虚栄も虚飾も必要なく、自体顕照で、ありのままの姿をもって功徳に輝いた境涯へと転ずることができる。水の底にあった石でも打てば火が出るごとく、暗闇のなかに灯を入れると明るくなるごとく、大御本尊の功徳は全世界、全宇宙に遍満するものである。暗き悠久の人類史に灯の一点を投じたのは創価学会の戦いであるということに誇りをもって進んでいっていただきたい。(大拍手)

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