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日蓮大聖人・池田大作

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高等部全国部員会 苦悩は人生の財産

1970.8.19 「池田大作講演集」第3巻

前後
1  高等部の諸君に望みたいことは、過日の前期の講習会のさいに述べておきました。したがって、きょうは、懇談的に話を進めることにしたい。
 教育というものは、教えることではなく、むしろ一人ひとりの生命の内に秘めているものを、引き出させるところに本義があると、私は思う。
 高校時代は、義務教育も終わり、そろそろ自分の適性は何か、得意なものは何かということを自覚しはじめる年代であるといってよい。読書の傾向も、このころから哲学的なものに観心をもつようになるし、自我意識も芽生えてくる。昔の高校生は、この年代に、デカルトやショーペンハウエル、またカントの哲学、西田哲学、三木哲学等々と、必ず哲学に傾倒したものであります。
 高校時代に自分を知り、自分らしい道を進んでいった人は強い。もとより自分を狭い枠のなかに閉じ込めてはなりませんが、自分を見つめる目を養い、悔いのない青春を生きぬいていっていただきたいというのが、私の願望であります。
2  唱題を根本に限りなき前進を
 ある調査によると、中学時代までの勉強をしっかりした人は、普通の社会人として人生に必要な知識は、ほぼ身につけたといってよいということである。このことは、いわゆる“外”から吸収するのは、おおよそ中学までの勉強でことたり、高校以降は自分の“内”あるものを引き出す段階に入るという、一つの証拠であると思います。
 なかんずく、仏法は、自分自身の生命の宮殿、絶対の幸福を開いていくところに意義がある。したがって成仏とは己心の仏界を開き湧現することなのであります。このもっとも崇高な、自己改革の法をたもった諸君は、最高に自己を改革、開発できる立場にあるわけであり、おのおののもてる能力を思うぞんぶんに発揮しきって、価値ある人生を歩んでいっていただきたい。
 諸君の年代は、悩み多き年代でもある。しかし、それらに断じて負けてはならない。悩みをもつとこは、高等動物の特権ともいえる。精神の機能が未発達のものほど、悩むことを知らないものだ。ただ、悩みを悩みとして終わらせてはならない。悩みと戦い、それを克服していく――そこに深固幽遠な思想がつちかわれ、人間性に深みが加わってくるのです。そのとき、悩みは人生のなにものにもかえがたい財宝となっていくことを、知ってほしいのであります。
 なんとかなるだろうなどという甘い気持ちで、悩みを避けて通ってはならない。そのときこそ、大御本尊の力を実証していくのだとの強い決意をもち、題目をあげきって前進していくことが、これからの長い人生にとってもっとも大切な根本である、ということを申し上げておきたい。
3  最高の哲学と実践の道
 これまでも、何回となく強調してきたことでありますが、青春時代のポイントは、自分が生涯をかけてもなおあまりある、優れた哲学にめぐりあうことでありましょう。また、その哲学のもとに、人生の目的観を見定めることであるといえる。
 かつて、どれほど多くの優秀な青年たちが、真剣に人生の真実と哲学を求めて書を読み、そしてまた、悲しくも挫折していったことか――。換言すれば、青年期とは、真実を模索しゆく苦悩の時期である。多くの人の場合、それは結局、苦い挫折の時期でもあったと、私は考える。
 それに比べ、諸君は求めずして最高の哲学と実践の道を得ることができたわけであります。日蓮大聖人の仏法は、世界のいかなる哲学、思想をもはるか眼下に見おろす、最高峰の生命哲理です。一切の思想、哲学は、ことごとく妙法という生命の法則のなかに包含され、また、そこに帰着するのであります。
 中国の南北朝時代、法華経迹門の生命哲理を打ち立てた天台大師は、当時、世界に比類なき大哲学者であった。天台大師の説いた理の一念三千の法門は、当時はおろか現代においても、他のあらゆる哲学を凌駕しています。
 今日、精神分析に関する学問や、一部でブームを呼んでいる禅などは、この天台学説にその淵源をもっているといっても、決して過言ではない。しかし、この天台大師も、自己の哲学のいきつくところは、事の一念三千の法門であることを知っていた。そして彼は、一日一万遍の題目を唱えていたと伝えられています。
 諸君が労せずして、この日蓮大聖人の大哲学を得ることができたのは、まさに無上宝聚不求自得であり、これ以上の福運はないと確信していただきたい。そして、その福運を自らの人生に生かして、人生に輝きを増し、生涯、信仰を実践し、広宣流布への戦いを挑んでいってほしい。
 途中で、いかなる苦難に直面しようと、妙法をたもった誇りを胸に、堂々と人生に闊歩し、二十一世紀の真の開拓者に育っていただきたい、と心からお願いするものであります。(大拍手)

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