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日蓮大聖人・池田大作

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壮年部全国幹部会 学会を愛し守ろう

1970.8.10 「池田大作講演集」第3巻

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1  昨日の御開扉のさい、大御本尊に私からも皆さん方の健康と、ご一家の繁栄を心よりご祈念申し上げました。
 まず初めに、ご報告しておきたいことは、最近、正本堂建立に因んで、数々の吉瑞が現れているということです。建設現場の裏手にあたる小高い丘から、日本有数といわれる縄文式遺蹟が発掘されたことは、すでにご存知のことと思います。
 また、正本堂建設現場からも、数千年前の木の葉の化石がたくさん出土しております。これについて、ある地質学者は「以前、この一帯が川であった証拠である」と語っています。川が流れていたということは、この土地が昔から“清浄の地”であったわけで、やがて、この中心に日本一の噴水が誕生することと考えあわせ、深い意義を感ずるものです。
 更に昨年十月の正本堂定礎式のさい、世界百三十五か国の石を埋めるため、須弥壇部分の地下を掘ったところ、十数個の大きな転石が出てきました。しかも、その転石の大部分は、底が平らであった。
 これについて、地質学の権威者は「石の底が平らであるということは約二万年前から、この位置(須弥壇下)がもっとも安定していたということである」との見解をあげています。更に「平らな安定した地盤であるから、周囲の石がここに集まってきた」と。これらは、じつに不思議なことであり、世紀の生本堂を意義づけるものといえましょう。
 なお、この席をお借りしまして、壮年部に対するいくつかの所感を、懇談的に申し述べたいと思います。
2  自信をもって指揮を
 壮年の皆さん方はもっとも人生経験を積んだ方々です。社会的責任も大きい。ゆえにかねてから、各部の中核となっていただきたい、と何度も申し上げてきました。
 私は今、未来の創価学会を盤石にしておきたいため、若い人々の育成に全力をそそいでいます。また、今後も真剣に取り組んでいく決意であります。
 したがって、現在のことについては、一切壮年部の皆さん方に任せていきたい、というのが私のいつわらざる気持ちです。自身をもって、それぞれの立場で、指揮をとっていっていただきたい。そして青年部の後輩や婦人部など、各部の人々をあたたかく包容して、日蓮正宗創価学会を、いつまでも厳然と守っていってほしいのであります。
 四条金吾殿女房御返事に「SA097E」とあります。
 これは、大・中・小を問わず、中心者の確信、また勇気の大切であるというゆえんを説かれた御文であります。壮年部の皆さん方の確信、勇気、団結で、日蓮正宗創価学会ならびに後輩の青年たちを、堂々と守りきっていただきたいことを、まず、最初に心より念願するしだいであります。(大拍手)
3  真剣さのなかにこそほんとうの力が涌く
 次に、もっとも大事なことは、信心の世界においても、仕事の世界においても同じでありますが、特に仏道修行、広宣流布をめざす信心の世界においては“真剣”ということです。自己の責任、使命を全うしようとする真剣さのなかにこそ、ほんとうの力が涌いてくるのであります。
 したがって、人生の総仕上げをしていくべき段階に入った壮年部の皆さん方は、どのように小さなこと、つまらないと思えることであっても、信心のことは、大聖人にお使いであると自覚して、真剣に遂行していってほしい。幹部のためにするのではないのです。すべて仏道修行であり、それらが、結局は自分自身のためになっていることを確信してください。他人が認めようが認めまいが、真剣に地道にがんばっていくことが大切なのであります。
 源頼朝について、有名なエピソードがあります。頼朝は、鎌倉幕府を開き、武家政治を確立した人物でありますが、確かに指導者としてふさわしい要件を備えていたといえましょう。
 彼は、それまでバラバラであった武士を、御家人という一つの組織にまとめあげ、幕府政治を支える強力な基盤とした。
 そのさい、本来、独立心の強い武士たちが、頼朝に心から従ったのは、彼が御家人たちの性格を熟知し、それぞれにもっとも適切な部署を与えたからであるといわれております。
 彼が部下について、いかに深く知っていたかを物語る例として「吾妻鏡」には、次のような話がでています。
 ある合戦の報告が頼朝のもとに入った。その報告によると、甲が討ち死にをし、乙が遁走したというのです。
 これを聞いた頼朝は、即座に、それは何かの間違いである。甲が遁走して、乙が討ち死にをしたのではないか、と述べたそうです。あとでよく実情を調査してみると、頼朝のいった通り報告は正反対であることがわかったということであります。
 これなどは頼朝が、日ごろからいかに部下をよく理解し、どういう部署で戦わせるかを真剣に考えていたことの一つのあらわれである、と私は思う。
 庶民の指導者として、また仏法の指導者として最も大事なことは、この真剣さである。
 しかも、それは表面的な姿ではなく、心の真剣さ、行動の真剣さです。学会のこと、広宣流布のこと、また、それぞれの組織のこと、一緒に戦っている同志のこと等を、常に他の各部の誰人よりも真剣に考え、愛し、守っていく――ここに各部の重鎮にあたる壮年部の使命、責任がある。どうか、自分の部署を立派に守り、発展させていっていただきたいのであります。
 乙御前御消息に「SA098E」云云との御文があります。
 指導者の指揮のいかんによって、その組織の伸長が、そして人材の発掘が決まるというのです。壮年部の皆さん方は、それぞれの組織の船頭、船長であり、妙法の大将軍である、と自覚してほしい。
 「日本国にはかしこき人人はあるらめども、大将のはかり事つたなければかひなし」――社会には、学歴、家柄等もすぐれた有能な人材が多く存在しているが、残念ながら指導者としての英知、力、福運、責任感に欠けているというのが大部分の実態である。また、それらの人々は、指導者としての能力をもちながら、それを本源的に発現させる妙法をたもっていないがゆえに、正しい、最高の力を十分に発揮することはできない、と拝すこともできましょう。

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