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日蓮大聖人・池田大作

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第4回教育第二部総会 教育は次代の生命

1971.1.6 「池田大作講演集」第3巻

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1  「文化の年」の先駆けとして開かれた第四回教育第二部総会、おめでとうございます。
 牧口初代会長生誕百年にあたる本年、いよいよ四月に創価大学が開学になります。これ、教育界が革新に向かう端緒であると深く信じてやみません。牧口会長以来、教育を最も重視してきた創価学会の理念と実践が波動を呼び、大河となって、本流する時を迎えたというべきでありましょう。しかし、創価大学の開学は一つの象徴であって、その大河の奔流は皆さんが築き、伸ばしていく以外にありません。
 人格を育成することほど偉大な仕事はない。教育こそ新しき世紀の生命であります。実に、今日ほど教育の重要性が叫ばれる時代はありません。かつては、国家主義的な教育が一世を風靡した。それが今、ことごとく挫折し、人間教育に視点があてられるようになりました。人間としていかにあるべきか--これが、今日の教育の最大のテーマとなっております。
 しかし、世代の断絶がこの教育界に最も鋭くあらわれたのは、いったい何を意味するのでしょうか。それは今もなお、人間とは何か、いかなる存在であるか、またいかにあるべきかに迷い続けている証拠ではないでしょうか。そのために、未来を担う青少年の多様な英知を開くことができず、かえって、失望と不信の念を与えているとみることができます。
 教育の挫折は、文明の崩壊であり、はたまた、人間自身の敗北につながります。現代の多くの指導者は、未来をいかに築き、何を与えていくかという大局観に乏しく、目前の利害打算に汲々としております。全く嘆かわしい姿というほかありません。一国の繁栄を力説することはあっても、世界平和に寄与していく人間の根本のあり方は、ほとんど無視しているといっても過言ではない。また、人間と環境の生きた関係に目を閉ざし、個々の多様な鼓動に耳をふさぎ、真実の生命の心音を聞こうとしない。かつての国家主義的教育と同じく、人間を機械の部品のごとくみなす、虚構の教育になっております。こうした教育に、鋭い、潔い青少年の心がついていけるはずがない。
 ここに、断絶の時代といわれる現代の迷妄があるといってよいでありましょう。もし今、真実の人間教育の蘇生がなければ、やがて、取り返しがつかなくなってしまうことはあまりにも明白であります。教育とは、それほど深く、大きい問題だからであります。
2  自ら不断に人格の錬磨を
 人間教育の核心となるものは、まず教育者自身が、人格を錬磨して成長することにあります。青少年と向き合った関係ではなく、ともに成長して、未来を志向していくなかに、教育の実があがっていくことでありましょう。
 畢竟、文化の本義は人間精神の広大な沃野を開拓することであります。それを考えれば、文化とは教育に尽きるといいたい。
 皆さんは、人間教育の旗手であります。そのことは同時に、人間文化の旗手でもあるということになります。偉大な人間把握の哲理こそが、新しい教育と文化の淵源となっていくことは、必定でありましょう。
 「文化の年」は、教育部の年でもあっていただきたい。宗教革命に始まる教育革命、文化革命こそ、今後の学会の進路であることは、すでに、昨年五月三日の本部総会で申し上げた通りであります。
 未来に羽ばたく鳳雛を育てる皆さんは、すでに大鳳であることを、自覚すべきでありましょう。まず、十年後を第一の目標において、私とともに、それぞれの教育の戦場で、壮大な人間形成の絵巻きを繰り広げていこうではありませんか。未来に生きる若人の手にバトンをしっかりと手渡すことができるように……。
 最後に、皆さんのご健康とご活躍を心より祈っております。

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