Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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今こそ広布実現の時  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  報恩抄にいわく、
 SA042E
2  「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや」――像法年間に、天台・伝教が弘通していない正法はあるのか。
 「答えて云く有り」――厳然とあるというのです。
 「求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり」――仏法の正統を継ぐ仏法の権威者も、正法・像法時代に弘通していない正法がある。
 「求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」――これが世界の宗教、三大秘法の御本尊、末法の正法であります。
 以下は、御本尊の相貌を述べられた部分です。すなわち「所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」と。
 「二には本門の戒壇」――今まさに正本堂がそれにあたります。
 「三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」――日本、世界の広宣流布の大宣言です。どんな学者も、民衆も三大秘法の題目を唱えるべきである、ということです。
 「此の事いまだ・ひろまらず」――日蓮大聖人ご在世当時は、法体の広宣流布であり、まだ信者も少なかったのです。
 「一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、例せば風に随つて波の大小あり薪によつて火の高下あり池に随つて蓮の大小あり雨の大小は竜による根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながしと・いうこれなり、周の代の七百年は文王の礼孝による秦の世ほどもなし始皇の左道によるなり」――中国古代の周王朝が七百年も続いたのは、礼・孝という理念で国を建て、徳、人間性をもって国を治めた故であった。それに対し、秦は、始皇帝が暴虐な政治を行なった結果、わずか十数年で減んでしまった。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」――日蓮大聖人の慈悲、すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経は、末法万年尽未来際までも流布していくとの予言です。どのような時代、いかなる境遇にあっても、大聖人の仏法が、全世界に広宣流布されることは間違いないとのご断言なのです。この御文を拝するとき、日蓮大聖人の一切を包容しつくす慈悲の広大さ、ともに永遠性という深さ、長さをもった全人類の「親」としての徳を感じます。
 「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり」――苦悩におおわれた人々、暗黒の社会に、正しい思想・哲学の光を与え、原水爆の悲惨な戦争も全て防ぐことができるとのご確信です。ここにまた、一人一人の生命の奥底より英知を開き、指導しゆく全民衆の偉大な「師」、そして全世界を守り通していくという「主」の崇高な姿を拝するものです。
 「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳、春は花さき秋は菓なる夏は・あたたかに冬は・つめたし時のしからしむるに有らずや」――末法の一時とは広宣流布の時、王仏冥合実現の時、本門戒壇・正本堂建立の時ということであります。現在は末法万年への基盤を築く、その先駆けをしているのだから、苦労も多いし、批判も出てくる。しかし、現在の仏道修行、実践が時にかない、その功徳がいかに大きいかを確信すべきです。大福運を積む信心は、今この一瞬にあるといえましょう。”時”がきているのです。したがって、私達の行動いかんによって、広宣流布の道は無限に開いていくことができるのです。
 どうか、たくましい信心で、たくましい人生をしっかり生き抜き、一人も残らず、あらゆる点で一歩前進の、功徳に溢れる建設の実証を示していきましょう。

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