Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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勇気あるり一ダーの振舞い  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  乙御前御消息にいわく、
 SA037E
2  これは、いかなる社会においても、勝負においても、戦いにおいても、規模の大小にかかわらず、全部この原理にあてはまります。
 社長が愚かであれば、その会社は、少しも向上しません。一家で父親に力がなかったり、臆病であったら、子供も奥さんも可哀想です。
 「軍には大将軍を魂とす」――戦いにはよき指導者が大事であり、根本であるということです。
 「大将軍をくしぬれば」とは、中心者が臆病であったならば、一緒に戦う歩兵は全部、臆病になってしまい、戦に勝つことができない、という原理であります。
 今、私どもの立ち場に約していえば、臆病とは信心を失った姿をいいます。それならば最高の勇気とは何か。その最高の勇気のなかには、一切の英知も、常識も、またユーモアも、価値的な智恵も全部含まれていますが、最高の勇気とは結局は信心に尽きます。その信心とは、大御本尊に純粋に祈りきった、一切の自分の使命ある行動であります。故に仏道修行を実践することによって功徳をうけ、宿命転換ができるのです。こういう定理であります。
 なお、大御本尊のなかには、一切の功徳、一切の福智等全てが包含されております。その御本尊と一体となった我が生命における活動というものは、だれがみても納得でき、理解できるという行動に変わるわけであります。すなわち、事の一念三千の当体そのものの所作であり、社会に乱舞する私達の信心の姿でもあるのです。この信心と社会の接点にこそ、信心即社会、信心即生活の原理が実証されるのです。ですから、いかなる大将軍も、指導者も、リーダーも、庶民の五人か十人をリードするブロック長さんであっても、小ブロック長さんであっても、将軍であることには、変わりがありません。この信心をもった人が大将軍になるのです。
 したがって、戦いの要諦は、大将軍としての誇りと責任をもって、どのように社会に挑戦していくか、または自分の同志、友達を戦いやすく、働きやすく、事故のないように進ませてあげるかにあるのです。声を張りあげて騒ぐだけで、少しも的にあたらない戦いでは、一緒に働く人に対して気の毒です。はったりをきかせ、非常識で、思いやりがなく、ただやかましくいって、くどいといわれる将軍であってはなりません。”ああ、あの人のいうことは思いやりがある、納得できる”と人を感激させ、思わせていける人が本当の将軍です。
 たった一行の御書ではありますけれども、一生涯、指導者として、この御書を胸に秘めて実践していってください。
 粘り強く、真心こめて、後輩、友達を包容し、隣人、社会の人々に対して納得できるように、真心こめて認識を与える戦いです。本当の戦いはこうした地道な戦いです。

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