Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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智恵の源泉は信の一字  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  御義口伝上にいわく、
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2  「一念三千も信の一字より起り」――一念三千とは、宇宙の森羅万象の真実の姿、生命の本質を説き明かした哲理で、一念、すなわち一瞬の生命のなかに一切の現象を収めて欠けることなく、人間の生命現象はもちろんのこと、宇宙自体も三千の働きがあることをいいます。
 たとえば九州へ行こうという一念が決定すれば、その一念が、九州に着くまで必要な一切の行動を起こさしめる。その変化が三千であり、つまり現象なのです。その一念三千も信の一字より起こるという意味です。信ずる一念、疑わない一念に、幸福へのあらゆる生命活動の第一歩があるのです
 「三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり」――絶対の幸福、永遠の幸福をつかむ方途は、御本尊に対して、題目をあげる一念以外ありません。
 「其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり」――疑いなきを信という。白馬が駆けていくようにすがすがしく、どこから見ても常識的で、そして清らかであり、だれにも納得できる姿が日蓮正宗・創価学会です。どんなことがあっても、題目だけは唱えていくことです。
 そうすれば願いは必ず実っていきます。これが信心の究極なのです。唱題こそ「疑惑を断破する利剣」です。題目さえあげていけば、いろいろな疑いも、しぜんに解決していくのです。
 「解とは智慧の異名なり」――結局、智慧は無量に出てくる。それが文化を創造し、第三文明を開花させます。一切が智慧の発露なのです。解とは信解ということで、結局、信心根幹にしたとき、仏智が顕現され、生活・社会のなかに価値創造をすることができるのです。全部、生かせるわけです。
 「信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり智慧とは南無妙法蓮華経なり」――結局は題目を唱えることによって、信解できる。究極は信心が根本です。戦いに際して信心と団結が強調されるのはそのためです。信心以外に、仏の力以外に、魔を破ることはできません。
 宇宙には生命をむしばみ、世の中を不幸にする働き、作用がある。それは魔です。しかし、その魔は、本源的には正しい宗教を育てる働きでもあるのです。なぜならば、魔を打ち破れるのは正しい信仰しかないからです。仏の力以外ありえません。その魔のいちばん大きいのは何か。それは権力です。「悪鬼入其身」といって、権力者の身に悪鬼・魔神が入り込んでしまいます。その権力の魔の挑戦が私どもの戦いです。しかし、信心がなければ、この権力の魔性を根底的に打ち破ることはできません。そこに信心が、絶対に必要となるのです。
 今までも、信心と団結があったからこそ、勝利を収めてきたし、予想もできない発展をしたのです。それを忘れないでほしいと思います。
 結局、信心とは、御本尊、広宣流布、創価学会への強い確信であります。この一節は、題目を数多く唱えなさいとの日蓮大聖人の教えなのです。
 所詮、信心根本に全部御本尊に願いきって、そのうえで、さまざまな戦いを具体的に推進することです。それが一切の価値を生み出す本源力となり、戦いの勝利に通じていきます。どうかこの原理を再確認してください。智慧といっても、信心からの湧現である。これさえ知っていれば、生涯、なにも恐れることはなく、人生に行き詰まることもないのです。

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