Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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初勤行 堅実に広布の進展を

1970.1.1 「池田大作講演集」第2巻

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1  新年おめでとうございます。皆さん方の健康と、ご一家の繁栄を心よりご祈念いたしました。楽しい、有意義な一年間でありますことを、念願いたします。
 なお、生死一大事血脈抄の一節を拝読し、年頭のあいさつにかえさせていただきます。すなわち「SA004E」云云と。
 少しく所感を述べれば、この御金言は、異体同心となって広宣流布しなさいという、私ども日蓮門下の使命、目的ならびに実践が示された永遠の指針ともいえるものであります。
 「総じて日蓮が弟子概那等・自他の心なく水魚のを成して」――あの人は幹部だから、自分は幹部でないからという自他彼此の心があってはならない。またそうした差別のないのが妙法であり、最高の民主主義的な行き方といえましょう。だれがどういう幹部になろうが、第一にも第二にも仲良くし、日蓮大聖人の弟子檀那の使命感に立って、ともに広宣流布実現に邁進しなくてはならないというご遺命であります。
 「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を」――”異体”とあるように、当然、人それぞれの立ち場は異なります。しかし同じ信心の心、広宣流布達成の心、一念というものは南無妙法蓮華経と唱えるところに全て等しく要約されるわけであります。そして、そこが起点となって、また新たな出発があるのです。それを「生死一大事の血脈とは云うなり」といわれているのです。生死一大事血脈とは七文字の南無妙法蓮華経になる。故に、妙法を唱える人は、生活および学会活動等を含めて一切の振る舞いが、事の一念三千の振る舞い、すなわち、もったいなくも日蓮大聖人の広宣流布に向かっての御振る舞いと同じになってくるというのであります。
 「然も今日蓮か弘通する処の所詮是なり」――結局、末法の救世主である日蓮大聖人が弘通されるところの究極は、この生死一大事血脈である。すなわち妙法の広宣流布ということであります。この大目的に向かって、ともどもに水魚の思いをなし、異体同心で進んでいきなさい、というのがこの遺言です。それが、大聖人の根本の指針なのです。
 「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」――異体同心で大聖人の御金言をそのまま純枠に実践していくならば、どのようなことがあろうとも、また、いかなる批判・中傷・やきもちがあろうとも、必ず広宣流布は達成できるという、大聖人の烈々たるご確信であります。
 今、私どもが拝した学会本部の御本尊は、恩師戸田前会長が請願し、創価学会が特別に御下賜いただいた「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊であります。この御本尊を拝し、かつまた、わずか数行ではありますが、ただいまの大聖人の御遺訓をに刻んで、学会は永遠に発展していかなくてはなりません。
 それが広宣流布であり、また皆さん方の栄光輝く人生の勝利の実相でもあります。そう確信してこの一年間、おのおのの立ち場で勇気りんりんと指揮をとり、白馬のごとく、あるいはまた地道にその人なりに、おのおのの戦線を更に確立させていってほしい。そして、体を大切にし、生活を立派に築いて、社会人として、模範となっていただきたい。なお、絶対に事故を起こさず、座談会、教学、指導を、着実に、地道に進めていきたいと思います。(大拍手)

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