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日蓮大聖人・池田大作

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茨城総合本部指導会 信心こそ一切の母体

1969.11.29 「池田大作講演集」第2巻

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1  正本堂の建設工事は、すでに何回かご報告した通り、現在、順調に進んでおります。
 どうか完成の時には、更に福運を積み、全人類のなかで最高に誇りある自分として、勝ち誇った姿で、胸を張って一千万総登山に参加していただきたいと思います。(大拍手)
 本門戒壇であるこの正本堂を、日蓮大聖人のおられた身延の沢に建立すると仮定したならばどうか。――周知の通り、身延の沢は現在の身延山とは異なる場所にあり、しかも山に囲まれ、わずかな面積しかない。そうした立地条件の悪い所には、正本堂のような大建築物は、とうてい建設が不可能なことは明らかです。
 日蓮大聖人から嫡々の相承を継がれた第二祖日興上人が現在の地に大石寺を創建されたことを考え合わせるとき、実に偉大な予見、雄大な構想をうかがいしることができます。
2  身延離山の意義・根本の要因
 そこで、この席を借り、日興上人の身延離山の意義を、簡単に申し上げておきたい。史実については、日蓮正宗第五十九世堀日亨上人の著作「富士日興上人詳伝」に、文献を網羅して詳述されているように、地頭・波木井実長の謗法によって身延の地が汚れてしまったことが、直接の原因になっています。日蓮大聖人は「地頭不法ならん時は、日蓮が魂はこの山に住まず」といわれており、そのご遺言のままに、日興上人は身延を去られたわけであります。
 それはさておき、総付嘱書である身延相承書において、大聖人は「SA002E」とご遺命されている。また三大秘法禀承事には「SA003E」との御聖訓もあります。
 そこで今度は、信心のうえから一歩深く立ち入って考察すれば、日興上人にとって、身延離山の根本的な要因は、あくまで大聖人のご遺命にあるのであり、波木井実長の謗法等は、その助縁、契機にすぎなかったということができましょう。
 したがって、波木井実長の謗法等があって、やむなく宝物をもち、上野殿の寄進された大石が原の地に移られたという通説は正確ではない。むしろ日興上人は以前から、富士山の麓の最勝の地であり、しかも熱原の法難等で自ら大法戦を展開されて、ゆかりの深い富士地方を選びその地を本門成壇建立の聖地にしようと考えておられた――このように拝すべきでありましょう。
 また身延は、三度にわたる国家諌暁のあと「三度めて用いずんば是れを去る」との中国の故事にならい、大聖人が隠棲の地となされた、いわば最も不便な場所であります。それ故、広宣流布、妙法流布のためには不適当な地であり、また、隠棲の地が新しい建設の原動力たりえないことは、道理に照らしても明白です。大聖人ご在世当時から、日興上人が現在の富士地方を、大折伏活動の舞台とされていたことに、深い意義があることを知らなければならない。すなわち、隠棲の場所と、再び社会に挑戦していく舞台とは、おのずから異なってくることを銘記すべきであります。
 更に大聖人は、末法の御本仏として完璧な姿を現ぜられ、三妙から論ずれば本果妙の立ち場にあたられる。それに対し日興上人は、本門弘通の大導師としての使命を与えられた、本因妙の立ち場であった。故に、日興上人に富士地方という、独自の戦いの舞台があったことは当然であります。
 また、弟子としての日興上人が、大聖人の身延における本果の立ち場より、一歩進んで広布を大展開され、広宣流布成就、本門戒壇建立の本源地をおつくりになったということも、あらゆる点から考え、必然である、と私は明確に申し上げておきたい。(大拍手)
3  信心が一切の根本・土台
 次に申し上げておきたいことは、広宣流布の多岐にわたる活動といっても、その戦いの主体、根本は、あくまでも創価学会であるということであります。信心の母体なくして、王仏冥合は成り立たない。創価学会こそ、末法唯一の大和合僧団であり、この和合僧団を離れて、名聞名利に陥ってしまったならば、どのように花々しい戦いを展開したとしても、結局は日蓮大聖人のご精神に師敵対することになる。そして結句は、国家・人類に災難が招来されるということを知っていただきたいのです。
 故に、いかに晴れやかな時代が到来しようとも、信心が、一切の根本・土台であるということを、絶対に忘れないでいただきたい。(大拍手)妙法にのっとった自転・公転の活動なくして、真実の宿命転換、そしてまた幸福と繁栄、平和はありえないのです。今後十年、二十年、五十年先の将来のことを考え、この原理を再確認しておきたいのです。
 明年は、皆さん方のご支援により、会長就任満十年を迎えますが、わずか十年間の短期日で、学会は日本の将来、進路を決定すべき第三勢力に成長した。この未曾有の大発展あることを、十年前には誰人も予想だにしていなかった。評論家や学者は、こぞって批判し、前途を否定していたが、これらの予想は全て完全に裏切られております。
 その根本の力は何であったかといえば、信心と団結以外にない。建設期において、大発展の原因が信心と団結であったが故に、未来にわたっても、同じく信心と団結さえあれば、更に進展し、勝利の歴史を刻んでいけるということを、どうか銘記していただきたい。(大拍手)
 また、団結のきずなの根本はなんであるかといえば、それは、信心であります。生命の発露である信心の二字のなかには、英知も情熱も、リーダーとしての要素も、親切、誠実、真心等等も全て入っている。信心は決して観念ではない。宇宙の大リズムである妙法を信じ、それを一切の根幹としていけば、全てのものがそなわってくるのです。
 したがって、信心に立った一人の人が、柔和忍辱の衣を着て、燃え上がるような情熱で全員を包容しながら進んでいけば、依正不二、一念三千の原理に基づき、全体が仲良く協調し、グングン前進していくことができる。その反対に、他の人に責任を転嫁し、感情に流されているあいだは、団結ある前進は不可能であるといっておきたい。
 そのためにも、題目を心豊かに唱え、日々成長していくことが大切です。成長して新しい土台をつくり、その土台を規範にまた成長していく――このことを繰り返していくのが、人間として最も尊い生き方であると思いますが、いかがでしょうか。(大拍手)
 不信と打算のみが支配する一般社会にあっても、本源的に信頼を回復する源泉は、信心しかない。どうか、信心を根本に、日々前進し、たゆまず自己自身を研鑽していつていただきたい。(大拍手)

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