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日蓮大聖人・池田大作

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福島総合本部幹部会 希望に満ちた人生を

1969.10.30 「池田大作講演集」第2巻

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1  きようは阿武隈山脈のふもとで、それも小さな小屋のなかで、二、三人で月をながめながら、団欒しているような気持ちで、ゆっくり懇談的に話をしたいと思います。
 福島の同志の人達の指導になかなかこられなくて、申しわけない気持ちでいっぱいであります。ただ、私は、皆さんのご健康とご一家の繁栄、更に栄光輝く人生でありますようにと、一生懸命、御本尊にご祈念しておりますので、どうかお許しを願います。(拍手)
 福島本部ができました。どうか思う存分使っていただきたい。決して幹部のためにつくったのではありません。全学会員が、安心して楽しく活動に励めるようにと、皆さんのためにつくりました。皆さんは、幹部を偉いと思う必要はない。創価学会は、会長をはじめ全部友達です。私はあくまでも民主主義でいきます。私は教祖でもなんでもない、日蓮大聖人の一信者であり、皆さんの先輩であり、皆さんを間違いなく幸福に導き、仏法の正しさを証明するリーダーです。
 地方の人のなかには、東京にあこがれる人が多いが、東京には、交通事故が多くて、まさに交通地獄であり、それに公害と、住宅難が充満している。いいところはなに一っありません。それなのに、皆、東京にあこがれる。私は東京よりも、福島における人生のほうが、何百倍、何千倍も幸せであると感じます。田舎にいる人は、なんでも都会がよく見える。しかし、そうではない。日蓮大聖人は「本有常住」「常寂光土」と仰せです。自分のいる所が常寂光土です。それを自覚すべきだ。また必ず我が国土も福運に満ちみちた常寂光土になっていくと確信すべきです。
2  次に申し上げたいのは”希望に満ちた人生”であってほしい、また”希望に満ちた信心”であってほしいということです。自身の生活を革命していくのが人生ではないかと思います。いわんや、更に偉大な革命を成し遂げて厳然たる証拠を示していくのが、真実の信仰ではないでしょうか。それを退廃的になったり、意固地になって、人生を情性に終わらせるようなことがあっては断じてならない。大切な一生というものを、紙くずのようにむだにしてはいけない。
 最大・最高に幸せを満喫し、それを我が人生のうえに証明していかなければならない。そのために希望に燃える人生、信心を続けていかねばならないことを、まず申し上げたいのです。
 全員、一生のあいだには、外国旅行にも行っていただきたい。十年先か二十年先かわかりませんが、そのぐらいの希望をもって前進しましょう。お年寄りの方は、お子さんがどれだけ立派になるか、お孫さんがどれだけ福運をつかむかわからない。福運の与同利益で、外国に連れていってもらえるかもしれません。どういうふうに福運がつくかわかりません。私は、皆さんにそれぐらいの希望をもって、人生を生きてもらいたいと思うのです。
 もう一つ私が申し上げたいことは"生活闘争に勝利の福島たれ”です。どんなことがあっても、大事なのは生活即信心です。経済を考えて、生活の基盤をアップさせ、商売のほうを繁栄させていかねばならない。一人残らず、貯金がいつも百万円や二百万円、一千万円あるといえるようにならなければいけない。財布の中には、いつも一万円札が五枚や十枚は入っているというぐらいまで、生活闘争、経済闘争を戦い抜き、勝利を収めていただきたいのです。できないわけはありません。十四年前、極貧のなかにあった人が、今は従業員六百人のリーダーになっています。皆さんもしっかり商売に打ち込んで、生活全部が裕福であるといいきれるまで戦っていただきたい。さもなければ、福島ではなく”貧乏島”になってしまいます。(笑い)
3  次に”生命力の福島”であってもらいたい。生命力が一切の本源力です。それは、力強い題目で、御本尊に真っ正面からぶつかっていくことです。
 先日、青年三、四人と一緒に勤行する機会があった。なんとなく弱々しくて、力強い朗々たる勤行ができない。まるで恋人に捨てられて、自殺寸前の青年みたいに弱々しかった。やはり、玉がコロコロと転がっていくように、御本尊にビーンと響くような勤行であり、唱題でなくてはいけません。声がリンリンと響くような唱題です。だれが聞いても「いいなあ」と思い、信心に反対している人が聞いても、たとえ、それが小さな声でも「ああ、いいなあ、さわやかである」というような勤行であり、唱題でなければいけない。そこに初めて、たくましい生命力が生まれてくるのです。
 信心には常識が大切です。きようは疲れているなと思ったら、御本尊にしっかり題目をあげで早く休むことです。翌日はさわやかで、自由自在になるはずです。夜は早く休んだほうがよい。休まない人間が、戦えるわけがありません。夜遅くまで起きていて、昼間、居眠りをしているようでは、本当の信心とはいえない。それでは自分のダラシなさをタナにあげて、学会にかこつけている姿であり、信心利用です。家庭の奥さん方は、家庭をがっちりと賢明に把握し、見事に切り回してください。それをやらないで、学会活動に励んだとしても、それでは学会利用になってしまいます。やはり、お子さんも、ご主人も「ああいいよ、行っておいでよ」といわれるまで、妻として、母として、家庭の太陽として家事を全うし、その残った時間を全魂こめて仏道修行に励むところに、御本尊からの賞賛があるのです。それを忘れないでいただきたいのです。
 福島は①経済力、②生命力、③希望に燃えて、のこの三つをモットーとして前進していっていただきたい。
 お嬢さん方は、福運を積んで、全員ダイヤモンドの指輪ぐらい持ってもらいたい。しかし、見栄をはる必要はありません。人に借りてまでして着飾る必要もない。そんなもので、いくら着飾っても、それは虚像にすぎない。実像の幸福ではない。どちらかといえば虚像のほうが一見幸せそうにみえる。偉そうにみえる。そこに大きな錯覚があるのです。テレビはあくまでもテレビの世界で、本当の実体とはぜんぜん別なものです。実像と虚像はいわば本迹の相違です。本迹の相違には水火天地の違いがあるのです。

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