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日蓮大聖人・池田大作

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10月度学生部幹部会 断絶と暴力に挑め

1969.10.10 「池田大作講演集」第2巻

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1  本日は、いくつかの所感を要約して、私の話とさせていただきます。
2  第一に『いよいよ真の革新の時代が始まろうとしている』
 時代は大転換期を迎えている。ありとあらゆるものにわたって、価値観の転換が行なわれているのが現代である。
 諸君は心してこの実相と未来を直視し、時代を誤らしめてはならないということを、願うものであります。これら価値観、または価値感情の大転換は、ほとんどが自然発生的に始まったといってもよいでありましょう。これは、二十世紀後半における、最も象徴的な現象であります。
 さまざまな矛盾の鬱積した現実が、こうした価値観の転換を余儀なくさせたといえましょう。当然すぎるほど当然の結末であると思う。
 たとえば、二回にわたる世界大戦に果たした国家の至上命令は、国民一人一人の生命の尊厳性の自覚のまえには、もはや色あせてしまった。”国家のために”という、かつての最高の価値の設定は昔日の面影を失いつつある。また、無条件に称賛されてきた科学の進歩という価値は、原水爆という未曾有の爆発力をもつにいたり、そのため、人類は、科学の進歩の前に、沈思黙考せざるをえなくなってしまった。
 人々は、これら価値の激変にただ右往左往しているだけである。いかなる学者も評論家も、思想家も、なす術を知らない。百人百説である。今日ほど人間の思想とその実践が分裂して、極端に走っている時代はないでありましょう。
 人々は、過去のさまざまな思想の過ちに、いつしか気づき始め、心から信ずるに足る思想を暗々裏に模索し始めた現状であります。このような時代は、私にいわせれば、”真の革新の到来“と考えたいと思いますが、どうだろう、諸君!(大拍手)
 では、なにを軸にして、この価値の大転換が行なわれるか――結論しでいえば、それは、一切の過去の思想・哲学をアウフへーベン(止揚)し、なおかつ未来を担うにたる思想である色心不二の生命哲学、そして人間尊重、生命尊厳の思想である東洋仏法の真髄・日蓮大聖人の思想・哲学に帰着せざるをえない、と私は声を大にして叫ぶものであります。(大拍手)
 諸君の信奉して悔いない大思想が軸となる時代が、遂に到来したのです。諸君は末法万年の救世主・日蓮大聖哲の学徒として、哲学、政治、経済、科学等々と万般にわたって研鑽をしていくことはもとより、なによりもまず、身をもって縦横無尽に、社会に向かって実践していっていただきたい(大拍)
 かく実践するうちに、やがて社会の各分野における第一人者、主軸として、偉大なる指導者に成長することは絶対間違いない、と私は申し上げたい。なぜかならば、諸君こそ、この大転換期の時代における、最高の思想家であるからであります。
3  第二に『生命尊厳の思想の究極は慈である。生命蔑視の思想の究極は果力である』
 したがって、私どもの今後の戦いは、慈悲と暴力との激闘になるでありましょう。
 いうまでもなく、最大の暴力の拡大は戦争である。生命蔑視の思想が力を得ている限り、第三次大戦は避けられないであろう。現在の、もろもろの暴力の横行を見て、私の憂うるとこはここにあるのであります。
 激動の七〇年代を目前にし、かつての”人民の中へ!"というスローガンが無力と化しつつある今日、私どもは一歩踏み進んで、”人間の中へ!”というスローガンを掲げ、暴力との戦いに備えなければならない。諸君、完璧に備え上げようではありませんか。(大拍手)
 権力の暴力、政治の暴力、経済の暴力、思想の暴力、科学の暴力、有名という名のもとの暴力、数を頼む暴力――これらもろもろの暴力から、いったい、誰人が真に人間を守りえるのかと私はいいたい。
 混沌とした現実の社会を思うとき、私どもの使命の重大さは、おのずと理解されるでありましょう。学生部諸君! 我々の燃え上がる人間性の信仰と英知と団結で、断じて一切の暴力に勝ち、輝く凱歌を上げきろうではないか。(大拍手)

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