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日蓮大聖人・池田大作

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10月度女子部部会 百花繚乱の人生を確信

1969.10.9 「池田大作講演集」第2巻

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1  いつも皆さん方は、真剣に職場で働き、また、学会活動をしておられる。故に、きようは、その可愛い娘、また妹を慰め、激励するために、思ったままの所感を述べさせていただきたい。
2  第一に『女性は心身ともに美しくなければならない』
 まさに”心身ともに”であります。若い女性にあっては、なおさらのことでありましょう。しかし、この美しさに対し誤解があってはならないということを申し上げておきたい。
 女性の美しさの表現については清楚、端麗、優雅、闊達などの言葉が、世間一般において使われている。これらは、いずれも、美しさの一面を語ってはおります。しかし、真の美しさの根源は、そうした皮相的なところにのみ全てがあるとはいえない、と私は思う。
 日蓮大聖人は色心の不二なることを教えている。身も心も美しいとき、真の美しさがいやがうえにもあらわれるものであります。表情ひとつにしても、そのときの心の状態と別々であるはずがない。笑顔ひとつにしても、その人の色心のあらわれであるといえましょう。
 ならば、美の本源――色心の一極たる生命の問題となってくることを忘れないでいただきたい。
 女性が美容法を研究したり、美顔術を考えるということは当然であります。また、本能でもありましょう。決して、私はそれを否定するものではない。しかし、真の美しさは、顔の美醜のみを問題とする美容法などの、技術によって、根本的にはもたらされはしない。それだけでは本源的な美は湧現できないのであります。
 なぜ、こうしたことをいうかといえば、俗にきらわれる”あくどい美しさ“とは、皮相的、うすっぺらな美しさが、転化したときの表情であるからです。多くの女性は、美顔法だけで美しさをつくろうとしている。それは、家にたとえれば、外側のだけをきれいにして、家の中をきれいにすることを忘れているのと同じであります。
 実に美しさというも、それは生命の問題にかかわってくる。生命の美しさが、そのまま顔の表情の美しさになるような、真実の美しさを得るためには、なによりも生命の浄化を心がけていかなければならない。
 皆さん方が、鏡に向かうとき、深く自分の心の鏡、すなわち、生命の状態がどのようになっているかを、まず心して反省してほしい。これこそ、最高の化粧法だと思うからであります。そのために、勤行の必要性があるのです。
 結局のところ、勤行こそ、心の、また生命の最高の化粧法であり、かつまた、最高の健康法であるといえましょう。
3  第二に『女性、ことに若い女性の最大の弱点を――ズバリいわせてもらえば、虚飾にあこがれるということである』
 若い男子青年は、一片のつまらぬ思想のために、命を捨てる場合が多い。と同じように、若い女性は、空しい虚飾のために、堕落しやすいということであります。
 人間は、だれでも多少の虚飾はあります。私は、それを全て捨てるべきであるとは、決していわないし、いっても無理なことであります。
 ただ人間は、この人生において、境遇としてだけでは割り切れない、どうにもならぬ宿命的なものを、負っているものです。その自分のいやな宿命を見つめる苦しみ、厳しさからのがれるため、人は虚飾に走りやすいのであります。一時的、瞬間的にせよ、いやな宿命を脱し、楽になったと思いたいからでありましょう。
 そこに、もはや自己の主体性はなくなり、崩れてくる。幸福の建設でなくして、幸福を崩していくことになるのです。
 虚飾の恐ろしさは、なんといっても、人間が人間たることの尊い人間性をも捨ててしまうことにある。虚飾は、人間に対して復讐し、やがては、その人を最低の、不幸な人間としてしまうのであります。
 週刊誌等でご承知の通り、幾多の女性の実態を見聞するにつけ、私は、そういわざるをえない。しかし、女子部の皆さん方は、日蓮大聖人の教えをたもち、なによりも人間性を充実させ、主体性を確立して、一人一人が人生に大きな花を咲かせていかなければならないと訴えたい。(大拍手)
 だからといって、だれもが同じ花を咲かせるというわけにもいかない。境遇も違うし、性格も違う。大聖人の仰せのように”桜梅桃李”の原理によって、桜は桜、梅は梅、そして桃は桃、李は李なりに、精一杯の花を咲かせていかねばならない。
 浅はかな、皮相的な人生は、不幸の因をつくるだけである。自分らしく、主体性をもって人生を生ききってこそ、皆さん方の花が、皆さん方自身を、そしてこの世、この社会を、百花撩乱たる花園に変えていくことができるのであります。
 すなわち、真実の幸福と広宣流布と、社会の繁栄の推進のためには、まず、浅はかで愚かな虚飾を捨て去れといわなければならない。虚飾を去れば、皆さん方の個性に応じ、花のつぼみは、やがて、必ず大きな幸福、福運となって、開花するからであります。

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