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日蓮大聖人・池田大作

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第32回本部総会 人類史の源流、環境革命から人間革命へ

1969.5.3 「池田大作講演集」第2巻

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1  青葉、若葉の茂る五月のこの佳き日、第三十二回本部総会を、総本山より日達上人猊下のご来臨を仰ぎ、全国ならびに全世界の代表の同志約二万人の出席を得て、ここに盛大に挙行しえましたことを、心から御礼申し上げるものであります。(拍手)
 また、来賓の皆さま、本日はご多忙のなかをご出席いただきまして、本当にありがとうございました。(拍手)
 私も就任十年目に入って、おかげさまでますます元気で指揮をとることができ、これも皆さま方の絶大なるご支援のたまものと、深く感謝申し上げるとともに、更に自己自身をみがき、勉強し、力の限りを尽くして、広宣流布の新舞台を切り開いてまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。(大拍手)
2  個人と家庭に基盤おく本源的革命
 顧りみますれば、本年を「建設の年」と銘うって出発してよりはや五か月、本日をまた新たなる出発として、妙法広布の盤石なる布陣の建設のため、また、個人にあっては、希望の風そよぐ”前進する家庭”の確立のため、更にたくましく、そして朗らかに、有意義な年輸を刻んでいっていただきたいと思うのであります。
 私は「建設の年」の意義の意義を”個人の建設””一家の建設””社会の建設”であると申し上げました。当初、最も強調したのは、自己自身の建設でありました。この個人の建設の延長として、私どもは更に一家の限りない建設に焦点をおいていきたい。
 いうまでもなく、一家の真の和楽の建設は、信心をたもった人が、一家の太陽の存在として光り輝いていく以外にない。清流のごとく清く、太陽のごとく明朗に、全てを価値創造に向かわしめていく、その一人一人のけなげな信心は、濁流のごとき暗黒の社会にあって、必ずや崇高に輝き、新社会建設の大波をつくっていくことでありましょう。
 私どもの革命は、個人と家庭に基盤をおいた、本源的な革命であります。どうか、潤いに満ち、談笑に包まれた”めざめたる”新しい家庭の建設を誇り高く進めていっていただきたいことを、心より念願するものであります。(拍手)
 本日より来年の五月三日にいたるこの一年間は、さる昭和三十五年の会長就任からの満十年間の総仕上げの一年間となります。同時に、それは、きたるべき”第七の鐘”の昭和五十四年、五十五年にいたる第二の十年間への飛躍台となることを、どうか幹部諸兄は知っていただきたい。
 この一年間を展望しますと、本年十月十二日には、本門戒壇たる正本堂の定礎式をとり行なう段取りとなっております。すなわち、正本堂は一昨年の十月十二日に建立発願式を終え、昨年十月十二日の着工大法要をもって建設工事に入り、現在、地盤の掘り下げ、土台の固めを進めております。本年の十月十二日には、大御本尊をご安置申し上げるべき須弥壇の基底部分に、世界中の同志の手によって集められた世界百三十五か国の石を埋め、その礎と定めるわけであります。
 この定礎式をもって、正本堂本体の建設にいよいよ本格的にかかるわけでありますが、このように、礎石を世界百三十五か国から求めた建て物は、おそらく世界に前例を見ないでありましょう。これこそ、一閻浮提総与の大御本尊を安置し奉るに最もふさわしい礎であり、人類万年の幸福と平和の礎であると私は確信したいのであります。(大拍手)
 将来、世界にこの仏法が流布し、あらゆる国の民衆が、総本山富士大石寺にやってきたとき、この正本堂の礎石に、自国の石が含まれていることを知って、必ずや心からの親しみをおぼえるとともに、そのような基盤をつくってくれた先覚者達に、感謝の念をささげるにちがいないと思います。
3  七百五十万世帯の達成へ
 きよう五月三日現在、国内における学会世帯数は、七百二万七千二百九十六世帯であります。そこで、本日から来年五月三日までの一年間の折伏目標として、七百五十万世帯達成を掲げて進みたいと思いますが、いかがでありましょうか。賛成の方は手を上げてください。(大拍手、全員挙手)
 布教は宗教の生命であります。布教なき宗教はもはや”死せる宗教”であります。思えば、戸田前会長は批判と嘲笑のなかで、七十五万世帯の達成という生涯の願業を成就されました。私はそれをうけて、来年の恩師の十三回忌、そして就任十周年を七百五十万世帯で飾り、恩師戸田前会長に報いる道とさせていただきたいのであります。(大拍手)
 かつて、昭和四十七年五月までの目標として掲げた六百万世帯は、すでに完全に達成し、本当は四十七年までは、もう折伏をする必要はないともいえます。(笑い)しかし、大聖人のご遺命である折伏の流れは、永遠に止めてはならないし、更に日本の現在と、未来の進路を考え、全民衆の”心”を読むときに、ここでより深く、強く、できるかぎり広宣流布の基盤を盤石にしておきたいのであります。
 ただし、数のみにとらわれて、いいかげんな折伏をするようなことがあっては断じてならない。かえって、それは折伏の精神に反することになります。真心こめて折伏し、真剣に面倒をみてあげて、なおかつ退転していくのは、退転する人自身の問題で、この場合は折伏した人に罪はない。
 真剣に戦う人は、相手が将来、退転するとしないとにかかわりなく、因果の理法に照らし、大功徳をうけることは当然である。また確固たる楔を打ち込んでおけば、たとえ退転した人でも、めざめるのは早い。したがって、退転することを恐れて、折伏をためらう必要は決してない。
 むしろ”折伏しないこと”それ自体を恐れるべきでありましょう。どうか、道を求めゆく人救うため、真実の幸福の道に入らしむるため、自己自身の人間革命のため、そして、妙法の広宣流布のため、勇敢に、そして伸びのびと活動を進め、地涌の菩薩の使命を全うしていただきたいのであります。(大拍手)

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