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日蓮大聖人・池田大作

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指導にあたる場合の心構え  

「池田大作講演集」第1巻

前後
1  細かな問題ではありますが、指導にあたる場合の心構えについて、話しておきたい。
 第一は、きめ細かな指導でなければならないということです。やれ広宣流布だ、大折伏だ、大法戦だ等々、強調するのは立派なことで、間違いはないけれども、ただそれだけで終われば、単なるハッタリで、あまりにも寂しい。そこに、もう一歩、突っ込んだ細かい実のある指導がともなわなければなりません。
 指導の根本は、あくまで相手が幸せになってほしいという慈悲、真心から出るものでなければなりません。そのために、粘り強くじゅんじゅんと相手が納得するまで誠意と情熱をかたむけていくべきです。その結果として、相手に自信と勇気を与えうるものでなければならないと思います。
 日蓮大聖人の行き方も、御書を見れば、全くこの通りであることがわかります。すなわち、一方では「立正安国論」「観心本尊抄」「諌暁八幡抄」など、広宣流布の大指針、色心不二の大哲理について述べられている重要御書があり、他方では、御消息文などを通して、微に入り細にわたってご指導をされております。いわゆる大綱と綱目というものを、きちっと立て分けておられるのです。ですから、大聖人の御書の片りんだけを聞きかじって理解したつもりでいると、大きな誤りとなる場合があります。
 たとえば四条金吾御書には「されば今度はことに身をつつしませ給うべし、よるはいかなる事ありとも一人そとへ出でさせ給うべからず、たとひ上の御めし有りともまづ下人をこそ御所へ・つかわして、なひなひ内内一定を・ききさだめて・はらまき腹巻をきて・はちまき鉢巻し、先後・左右に人をたてて出仕し」という御文があります。
 当時は、治安が乱れていた鎌倉時代です。特に信心を純粋に貫いている四条金吾を怨嫉し、殺そうとねらっている人間も多かった。それに対して大聖人は、体を大事にしなさい、夜も一人歩きするのは危険である、と指導されているのです。現在の私達の立ち場でいえば、事業をする場合も、決して油断をしてはいけないという指導に通じます。
 幕府から主人江馬氏へ呼び出しがあったときにも、あわてて一人で出仕するのではなく、まず、下人、すなわち家来、使用人を先につかわして、幕府の呼び出しの真偽を調べなさい。そうでないと幕府の陰謀で、刺客などがいつ襲ってくるかもしれない。そのうえでいつでも敵と戦える用意をし、前後左右を家来に固めさせて出仕しなさいということなのです。
 このあと、出仕に際する注意をこまごまと述べておられます。すなわち、この御書は「信心しているからといって、なんとかなるという考え方は大きな誤りである。信心している故に、生活革命、事業、学業等に全力を尽くして取り組んでいくべきである。そのとき初めて、その一念が通じ、栄えていく証拠が出てくる。厳しい現実の社会にあって、一面では用心深く、細心の注意を払って進んでいかねばならない」という信心即生活の原理を示されているのです。
 私どもも、社会のあらゆる場にあっても、また、学会活動にあっても、このように、きめ細かな、大聖人に直結した、学会の幹部ならではの指導をしていきたいと念願するものです。(拍手)
2  第二は、相手が何を求めているかをよく聞き、また敏感に察知しなければならないということです。病気で苦しんでいるのに、得意げに世界情勢の話をしたり、就職問題で悩んでいる人に病気の体験を訴えても通じません。(笑い)
 対話を通して、相手が求めていることをよく聞き、その焦点をはずさないで、道理正しく理解させていくことが大事なのです。これは、なにも学会の世界だけのことではありません。全ての社会、また人生に通ずる信心の原理なのです。商売するにあたっても、客が何を求めているかを知らねば、繁盛は望めないわけです。あらゆる社会、そして人間関係の大事なことは、ここにあると思います。
 故に、指導する場合、相手に発言させずに一方的にしやべるのではなく、相手が聞きたいことをよくわきまえてから指導するのが聡明な指導者です。御本尊に題目を唱え、我々の胸中にある仏界の生命をして、宇宙の妙法のリズムに合致させるのと同じく、結局、一切の解決の鍵は相手の胸中に秘められているのです。その鍵を引き出してあげることが指導の要諦といえましょう。
3  第三は、抽象的な指導はいけません。あくまで具体的でわかりやすく、確信をもったものでなければなりません。簡明であることは理想的ですが、抽象論では、相手の胸に響きません。具体的な問題を処理するのに際しては、特にこの点に気をつけていただきたい。

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