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生き生きとした勤行を  

「池田大作講演集」第1巻

前後
1  勤行について少々ふれておきたい。勤行はなんといっても信心の基本であります。
 実は、かなりの幹部でも勤行の仕方がまずい人がいます。また、多忙にまぎれてか、勤行・唱題を十分にしない人もいます。それでは、信心のリズムに合った立派な指揮をとれるはずがありません。
 率直に申し上げましょう。過去のことですが、ある最高幹部がな亡くなる半年ぐらいまえに、一緒に勤行したことがあります。そのとき、どうも気になるのです。その勤行の声がなんだか詰まったようで、息苦しい感じなのです。まずいなと思いまして注意しましたが、やはり心臓の発作で亡くなりました。もし、そのときから必死になって勤行・唱題に励んでいれば、宿命転換できたかもしれません。立派な人であったが故に、はなはだ残念なことだと今でも思っています。
 このように、勤行のなかに自分自身の生命、信心の実相が、きちんとあらわれているものです。前進している信心、生き生きとした勤行の実践があれば、生命は躍動し、宇宙のリズムと見事に調和してきます。生命力が弱まったり、信心に行き詰まっているときは、勤行ができなかったり、勤行していても、なにかおかしいなと感じさせるものがあります。それはまた自分自身がいちばんよくわかるものです。いわば、これ以上の″健康管理法“はないといってもよい。(笑い)
 そういう意味においても、勤行は非常に大切な信心の基本です。御本尊と境智冥合していく唯一の実践法ともいえます。したがって初信者に対しては、完全な勤行ができるように、根気よく丁寧に指導してあげていただきたい。
2  ただし夜遅くなった場合は、隣近所の迷惑も考えずに大きい声で勤行するのはよくないと思う。迷惑にならないように小さい声で勤行すべきです。やむをえないときは、題目三唱でよい場合もあります。また、夜の遅い、皆が寝ている時間に大声をあげて、安眠を妨げることは道理に反します。仏法は最高の道理ですから、そのような配慮をするのは当然です。
 それから、旅行に行ったときや仕事で出張したときには、必ずしも勤行する必要はないでしょう。特に汽車の中で勤行したり、あるいは旅館で大声で勤行したりする必要はありません。これはいかにも強信者のようにみえますが、世間に非常に奇異な感じを与えて認識を誤らせてしまう。
 非常識きわまる行動、世間に奇異な感じを与える愚かな姿は、我が学会には絶対にあってはなりません。それは、正法を誤解させ、学会を誤解させるもので、もはや獅子身中の虫であります。
 日常の社会生活においては、伸びのびと、常識豊かな、輝かしい社会人としての振る舞いがなくてはいけません。それが正しい認識を与えることになり、折伏につながるのです。いわば、それが無言の勤行ともいえると思う。
 旅行や出張の場合には、出発の前にしっかり勤行し、題目をあげていけばよい。普段に、しっかり信心し、勤行・唱題に励んでいれば、なにもそのようなときまで、勤行する必要はないわけです。普段あまりやっていないものだから、そのときになって、事故がないようにと、あわててやる。(爆笑)それで、世間に迷惑をかけたり、学会を誤解させたりでは話になりません。(笑い)そのような無価値な行動はやめたいと思いますが、いかがでしょうか。(大拍手)
3  勤行・唱題は、リズミカルに、爽快に行なっていただきたい。だれが聞いても好感をうけるような勤行が本当です。どら声を張り上げたり、(笑い)居眠りしながら勤行したり、(笑い)牛の歩みのようにのろのろしたのもよくないが、むやみに早く、なにをいっているのかわからないくらいの超スピードで、まるで″急行列車″みたいに(爆笑)やるのもいけません。また、消え入るような声の弱々しい勤行もよくない。晩の勤行は、仕事の都合等で遅くなる人は仕方がないにしても、できるだけ早目のほうがよい。
 どら声を張り上げる必要はないが、気兼ねすることなく、朗々たる、張りのある声であげたほうが気持ちがいいし、正しいでしょう。またどうしても眠くてたまらないときは、パッときりあげて休んだほうが価値的です。また、弱々しい題目では、病魔だって打ち破ることができません。宿命転換も不可能です。
 自馬がパッパッと駆けているような朗々とした勤行・唱題をしていきましょう。御本尊にビンビンと響き、感応していく勤行・唱題に、無限の功徳があるのです。そういう勤行・唱題を実践し、はつらつとした人生を送っていこうではありませんか。(大拍手)

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