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日蓮大聖人・池田大作

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在京・男子部班長記念撮影 毅然たる信心貫け

1968.2.9 「池田大作講演集」第1巻

前後
1  きようは、諸君にお目にかかれることを、非常に楽しみにしておりました。
 私には肉親の弟もおりますが、仏法のうえで日夜働き、令法久住の血脈に通じた諸君こそ、本当の弟と思っております。諸君のほうが、何百倍、何千倍も可愛いし、大事にしております。(拍手)
 なぜかならば、私が自分の身内のほうを大事にして、諸君をおろそかにするようであれば、仏法上の指導者としての資格は、もはやない。また、そんな身勝手な考えは、絶対にもっておりません。私は、ただひとえに諸君が人材に成長するよう、御本尊に願っているし、一生涯、題目を送り続けていく決心であります。
 諸君は自信をもって、まず四十歳ぐらいになるまでは、自分の前にどんな厚いや風雪があろうとも、ひたぶるに題目をあげきり、前へ前へと進んでいっていただきたい。(拍手)
 あとはもう、なにもいうことはありません。朝寝坊して、たまには勤行をサボることがあるかもしれない。(笑い)そういうことがあっても、私はべつにとがめもしない。ただ御本尊を放すこと、誹謗すること、和合僧を破ることだけはあってはならない。御本尊と学会を大事にするという精神だけは強くもってください。それはあくまでも、法のため、社会のため、そして自分のためであるからであります。
2  最高の人生には力ある思想・哲学の裏づけ
 吉川英治の「新・平家物語」のなかに、次のような一節がある。「人間は、人間である以上、無意識にも何かにすがって生きている。″いや俺は依存をもたない。俺は俺だけでわりきって生きている″という唯物主義者も、唯物の信徒にほかならない」と。「自分は無信仰である」といっても、つきっめれば、無信仰という思想の信者です。もし、自らの人生の根底に、思想や理念が全くないとすれば、その生き方は動物に等しいし、現実に人間として生きていくうえにおいて、そんなことはできるはずがない。
 ある人にとっては、科学が絶対である場合もあるし、また、ある人にとっては、女房が絶対であるかもしれない。(笑い)
 だが、幸福な人生を約束する、闕減のない、円融円満な思想・哲学を信じ、行じている人は私どもの他にはどこにもいない。皆、なにかを頼りにしているが、その頼りにされているものは、全て偏頗であったり、あいまいなものであるというのが実情です。幸いにして私どもだけが、横、すなわち空間的にいえば宇宙大であり、縦、すなわち時間的にいうならば永遠であるところの三大秘法の南無妙法蓮華経を根底とすることができた。この最高の哲学を、自らの思想信念として生きていけることが、最高の人生なのである。「法妙なるが故に人貴し」の原理です。この自信と誇りを忘れず、更に求道心を奮い起こして、青年らしく、若武者らしく生ききっていただきたい。
 世間では、往々にして、宗教というものを信ぜず、その反対に、宗教をたもった者を批判することが、まるで知識人の資格であるかのようにいわれがちの時代があった。また現在も、そういう風潮がある。これは大変な間違いである。と同時に、そんな軽薄な気持ちで、口先だけで批判している本人自身が、いざという場合にどれほど苦しみ、悩み、そして苦界に陥って、みじめな生涯を閉じるかは、火を見るよりも明らかであるといっておきたい。
 今、現実に、幾百万の若人が、宗教をたもって立ち上がっている。この事実ひとつをみても既成の宗教観念から、知識人も大きく目を開く時がやってきたと思うし、実際に、賢明な学者のなかには、真実の宗教を初めて究明する時がきたといっている人もおります。
 まだ諸君は若いから、肉体的にも張り切っているし、思想・哲学なんかなくとも強く生きていけるような気がするかもしれない。しかし、年になり老年になって自分の歩んできた道を考えてみたとき、力ある思想・哲学の裏づけがない人生が、どれほど哀れで、わびしいものであるかと私は思うのです。その意味において、諸君は本当の幸福者であると確信をもっていただきたいのであります。(拍手)
3  仏法の智恵を根底に、知識を世界に求めて
 同じく吉川英治の「宮本武蔵」のなかには「知識というものが、いかに生死の大事などにぶつかった咄嗟には、役立たないものか」という一節があります。
 知識は大事である。しかし、それよりも大事なのは、生命の内奥より湧現し、価値創造し、幸福を築き上げていく源泉となる智恵です。知識は智恵を引き出すポンプであり、手段にすぎないのです。
 知識人といわれる人々が、仏法のなんたるかもわきまえず、日蓮正宗の本義、生命の本質を知らずして、得意然と論じておりますが、自分自身の生死という重大問題にぶつかったときに、どれほどうろたえ、そしてまた悩むかということは論をまたない。
 その意味において、仏法の智恵を根底にし、知識を世界に求めて、自分自身の生命の解決をしながら社会の改革をしていく私どもの活動は、絶対に矛盾のない、最も正しい生き方であるという自負をもっていただきたい。

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