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日蓮大聖人・池田大作

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第11回学生部総会 戦う学生部に栄冠あれ

1968.9.8 「池田大作講演集」第1巻

前後
1  諸君の汗と涙と、そして友情で成し遂げた学生部二十三万人の達成、まことにおめでとうございました。(大拍手)
 本日、九月八日は、昭和三十二年に横浜の三ツ沢競技場で、恩師戸田前会長が原水爆に対する画期的な声明を発表した、忘れもしない歴史的な記念の日であります。私は、英知と情熱あふるる、妙法の自由と平和の戦士たる諸君とともに、この恩師の遺訓を、再び胸に刻んで前進したい。
 恩師は、その声明のなかで「世界の民衆は生存の権利をもっております。その権利をおびやかす者はこれ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」とされ、「たとえある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用した者は悪魔であり魔ものであるという思想を全世界にひろめることこそ、全日本青年男女の使命である」と叫ばれたのであります。
 日本には、利害にとらわれ、人気取りと口先だけの平和論を叫ぶ小利口な指導者や政治家がたくさん動いている。そのなかにあって、真実の世界平和の大宣言ともいうべきこの声明は、まさに問題の根源を断ち切った大利剣であるとともに、我々創価、員の永遠の根本精神であり、世界人類への不滅の指針なのであります。私は、世界から″悲惨″の二字をなくすまで、諸君とともに、全生命、全生涯をかけて、この恩師の精神を訴え続け、横暴と増上慢の権力者達と断固戦い抜いていく決意であります。(拍手)
2  教授よ、年をとったのではないか
 過日、私は、ある学者と話をする機会をもちました。その学者は、ちようど海外から帰ったばかりで、パリの学生運動のなまなましい状況を聞かせてくれました。そのなかで特に興味深く感じたのは、有名なパリ大学の学生達が掲げていたという三つのスローガンであります。それは第一に「教授よ、年をとったのではないか」第二に「学説が役に立たなくなったのではないか」第三に「教授よ、信念がないのではないか」というのであります。
 これらの三項目は、パリ大学だけの問題ではないと思う。まるで我が国の大学の実態をいっているかのように聞こえるではありませんか。
 まず、教授の老齢化――これは、具体的には、現在の年功序列的な行き方に責任の一端があるといえましょう。だがもう一歩突っ込んでいえば、第一の「教授よ、年をとったのではないか」ということは、単に肉体的な老齢化を指しているのではなくして、むしろ、指導者に最も大切な精神年齢こそ問題だといえる。現在の日本の各大学において、学者、教育者として、常に若々しく情熱に燃えて研究に教育に取り組んでいる教授が、はたして何人おられるであろうか。来賓の方のなかに、もし教授がおられましたならば、きようだけはかんべんしていただきたいと思います。(笑い)これは一般論として私の考えを述べる次第であります。
 おそらく、パリの学生が責めていることも、まさにその点にあるのではないかと思う。したがって、この「教授老齢化」の問題は、一面からいえば、年功序列的な文部行政の行き方に責任があり、より本質的には、教授達の情熱の欠如と考えることが、妥当でありましょう。とすれば、それは、パリだけではなく、我が国、否、世界的に共通な重大問題の一つとはいえないでしょうか。(拍手)
 第二、第三のスローガンも、結局はこの第一のスローガンのなかに含まれています。いずれにしても、こうした教授のあり方が、若い学生達とのあいだに、越えがたい距離感と、隔絶感を生み出していることは明らかであります。
 学生運動の直接的な原因、スローガンは、国により大学によってそれぞれ違いはありましょう。特に我が国の学生運動が、政治に偏向しているとは、よく指摘されるところであります。だが、そうした原因、スローガンは、いずれも近因であり動機であって、根本的には、学生と教授との隔絶感、すなわち世代の断絶に本当の原因があるといいたい。ということは、この問題に真剣に取り組み、教授と学生とのあいだの溝を埋めない限り、決して現今の学生運動、いわゆる大学の危機を解決することはできないことを意味すると思いますが、いかがでありましょうか。(拍手)
 私が憂えることは、しかるに現在もなお、各地の大学で起こりつつある紛争に対して、政府がただ上から圧力をかけて弾圧しようとする現状であります。
 大学教育のおかれている環境を、物質面と人間関係のうえから抜本的に改善し、前途有為の学生達が、自由に、伸びのびと勉学に打ち込める理想的な方向へと、一歩一歩、再建を図るべきであると私は思います。更に根本的には、時代を変えていく若き世代の代表として、色心不二の大生命哲学をたもった諸君が大きく成長し、安定した理想的な社会を建設してくれる日の、一日も早からんことを期待するものであります。(大拍手)
3  学会、公明党の若々しい力
 またその学者は、大学教育について次のようにいっておりました。それは、現代は自然科学はもとより、あらゆる学問が日に日に著しい発展を遂げているので、大学で学んだことがすぐに役に立たなくなってしまう、大学でたくわえたものを活用していけるのはせいぜい社会に出た最初の十年間である。たいていの人はそれ以降は惰性で仕事をしているにすぎない。そのときに惰性に陥らず、常に意欲的に進んでいけるためには、どうしても深い思想、哲学、また仕事に対する信念が必要だと。
 私も全くその通りだと思う。昨年の学生部総会において、私は知識と智恵の問題について仏法の本源的な立ち場から話をしましたが、どんなに知識を身につけようと、根本の智惠がなくては知識を生かしていくことはできない。また、知識というものは、時代の流れ、学問の進歩にしたがってどんどん追加されてくるし、古いものは役に立たなくなってしまう。
 だが、智恵は決して古くなることはない。その智恵とは、思想、哲学を根幹とし、体験に裏づけられつつ、信念から湧きいずるものであります。したがって、現代も、そして未来においても、最も深い哲学、最も偉大なるゆのない思想は、結論していえば、日蓮大聖人の大生命哲学であり、この思想・哲学をもった学生部の諸君こそ、永遠に時代をリードしていく真の知識人であり、真実の、新しき世紀の指導者であると、私は確信したいのであります。(拍手)
 更にもう一点、その学者は、学生や大学を卒業したばかりの人達と、社会のいわゆる指導者階級の人達との年齢差について、アメリカの例を引いて面白い話をしておりました。それは、かつてのアメリカは、その年齢差が二十歳ぐらいで、だいたい理想的であったが、現在では、四十歳ぐらいになっているというのです。
 この例は、アメリカに限らず、ソ連や中国もそうであるし、西欧諸国もしかりであります。そして、我が国においても全く同じであります。各党の党首をみても、自民、社会、民社は六十代、共産党にいたっては七十代です。しかるに公明党の国会議員は平均年齢四十三歳、学会を動かしている主力メンバーは三十七、八歳であります。
 この実相をみても、我が学会、また公明党が、どれほど若々しく、未来性を秘めているかは明瞭であると思う。私は常に青年を最も大事にし、その若々しい力に最大の期待をかけております。この精神は、未来永遠に変わらない学会の根本精神であり、学会の智恵であることを明確に宣言しておきたい。(拍手)
 ともあれ、この二十世紀後半から二十一世紀初めにかけての時代は、若き妙法の使徒たる諸君達の時代であります。この時代に、諸君達は思う存分に人生を乱舞し、広宣流布の黄金時代を築いていっていただきたい。それが学生部諸君の今世にもって生まれた宿願であり、地涌の菩薩としての大使命であるということを強く訴えておきたいのであります。(拍手)

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