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日蓮大聖人・池田大作

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後記「池田大作全集」刊行委員会  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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1  『池田大作全集』第百十巻には、キューバにおける"ホセ・マルティ研究"の第一人者シンティオ・ヴィティエール博士との対談と、アメリカの著名な平和運動家で「核時代平和財団」のデイビッド・クリーガー所長との対談が収められている。
 ホセ・マルティ(一八五三年―九五年)――キューバ独立革命の指導者であり、今なお同国の人々の精神的支柱として、敬愛の念をもって"マエストロ(師)"と称えられる人物である。
 十代の頃から革命運動に身を投じ、投獄や流刑などの迫害と戦いながら、祖国の独立のために命を捧げたマルティは、人類愛に満ちた詩人であり、思想家にして教育者でもあった。
 「世界を光で照らすための戦いは、すべて喜びとなる」「人間として残せるものは、その善行から放たれた光だけである」との言葉のままに、戦闘の最中に銃弾に倒れ、
 四十二歳で世を去るまで書き続けた詩や論文の数々は、永遠の光を放ってやまない。それは、祖国キューバのみならず、長らく圧政に苦しんできたラテンアメリカの人々の心を揺さぶり、勇気と希望の炎を灯した。
 対談相手のヴィティエール博士は、その偉大な思想と生涯を研究する「ホセ・マルティ研究所」の創設者であり所長である。
 一九二一年にアメリカで生まれ、三五年にキューバに移住。ハバナ大学で公民法の博士号を取得後、キューバやアメリカ文学について大学で教鞭をとる一方、長年にわたりマルティに関する出版活動に尽力してきた。父君はキューバで初めてマルティの研究書を著した先駆者であり、夫人もマルティの研究者として知られるなど、博士の人生はつねにマルティとともにあった。
 池田 SGI(創価学会インタナショナル)会長との出会いは九六年六月。池田会長のキューバ初訪問の折であった。
 翌九七年一月に東京で再会した後、往復書簡などを通じた交流を深めるなかで、九九年六月号から連載対談(総合月刊誌「潮」)がスタート。二〇〇一年八月に潮出版社から『カリブの太陽正義の詩――「キューバの使徒ホセ・マルティ」を語る』が発刊された。
 対談は「迫害と人生」「民衆と共に」「詩心の周辺」の三部から構成。
 マルティの珠玉の言葉を随所に織り込みながら、日本ではあまり知られていない"キューバの使徒"の生涯と思想を照らしだすとともに、師弟論、教育論、芸術論、家庭論をはじめ、現代人の生き方への示唆に富む語らいとなっている。
 なかでも白眉は、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーと対比させつつ、憎悪や暴力の連鎖を断ち切る"革命を終わらせる革命"を志向し続けたマルティの徹底した「自己規律」の精神を浮き彫りにした第二章「民衆と共に」であろう。
 そこでは、近現代において多くの悲劇を生みだしてきたアポリア(難問)――「土着」と「普遍」、「民族意識」と「人類意識」、「愛国者」と「世界市民」の間に橋を架けるという困難な作業が、マルティという一人の人格の中で結実していたことが明らかにされている。
 急進的な社会革命に危惧の念を抱いていたマルティは、「『他の人々を利用する人間が必然的にもっている野蛮性』に対する憤りを共有しつつも、『限界を超えることなく、野蛮性を停止させ取り除けるような、その憤りの解決法を見つけるべきである』と考えていました」と語るヴィティエール博士。
 これに対し、絶筆となった手紙の一節を引きつつ、「いかなるときも『尊厳性』や『品位』を手放さず、問い続けていったからこそ、マルティの訴えがつねに民族や人種、階級の差異を超えた普遍性の響きを伝えているのだと思います」と述べる池田会長――。
 両者が対談を通し、生き生きとした姿で蘇らせたマルティの「人間主義」の精神は、"内なるグローバル化"が要請される二十一世紀の人類にとって、千鈞の重みを持っているといえよう。
 なお、対談は日本語版のほか、スペイン語版が二〇〇一年にキューバで発刊。マルティ生誕百五十周年(二〇〇三年)を記念しての出版で、キューバ国内の多くの大学で教材として使用されているほか、中米各国で大きな反響を広げている。
 一方、「核時代平和財団」のクリーガー所長との対談は、核兵器廃絶や軍縮といった世界平和をめぐる諸問題とともに、国連強化やNGO(非政府組織)の使命などが中心テーマとなっている。
 クリーガー 所長は一九四二年、アメリカ生まれ。所長が"核時代の子ども"と自認するように、この年は、物理学者のフェルミとシラードが核分裂の連鎖反応を初めて人工的につくり出した年であった。
 二十一歳の時に広島と長崎を訪れ、原子爆弾による惨状をつぶさに知ったことが平和運動の出発点に。ベトナム戦争時に「良心的兵役拒否」の道を貫いた。その後、大学や研究所での勤務を経て、米ソの間で緊張が高まっていた八二年に「核時代平和財団」を創設。近年は、核廃絶をめざす世界的なネットワークである「アボリション二〇〇〇」の運動を推進するとともに、青少年のための平和教育に力を注いできた。
 両者の最初の出会いは、一九九七年九月。池田会長の師である戸田城聖創価学会第二代会長が「原水爆禁止宣言」を発表してから四十周年の佳節であり、場所も宣言が発表されたのと同じ神奈川の横浜であった。
 沖縄での再会(九八年二月)を経て、九九年七月号に連載対談(雑誌「第三文明」)が始まり、二〇〇一年八月に河出書房新社から『希望の選択』が上梓。翌年夏には、英語版がアメリカで発刊された。
 「核時代の今日、政治に健全さを取り戻し、私たちの運命に希望を取り戻すことは、喫緊の課題だ。問題の解決は、問題に対する理性的な分析によってのみ可能となる。本書は、そうした理性的なアプローチの卓越した一例である」(ノーベル平和賞受賞者で「パグウォッシュ会議」名誉会長のジョセフ・ロートブラット博士)
 発刊以来、こうした世界を代表する一級の知性からの共感の声が相次いで寄せられているように、本対談は、池田会長とクリーガー所長みずからの長年の実践に裏打ちされた平和思想と行動理念の"結晶"ともいうべき内容となっており、現実変革のための"オルターナティブ(代替案)"が力強く打ち出されている。
 全五章から成る対談では、平和に関する問題以外にも、文学論や科学者の使命、教育の重要性など多岐にわたるテーマが論じられているが、一番の焦点となっているのは核兵器の廃絶である。
 戸田第二代会長が「原水爆禁止宣言」で鋭く剔抉したように、核兵器は、多くの人々の生命や生活を一瞬にして灰燼に化しても痛みを感じず、すべてを自分の意のままにしようと欲する――仏法で説く「他化自在天」という生命にひそむ魔性の産物にほかならない。であればこそ、
 核兵器という"一凶"と厳しく対峙し、その廃絶をめざす戦いなくして、現代文明に蔓延する生命軽視の風潮を打破することはできず、その変革の原動力となるものこそ"善なる民衆の連帯"であるというのが、対談で両者が一致した点であった。
 「政治体制を変え、核兵器を廃絶する意思を、政治に起こさせる方法は何か。私は、その変化を要求すべき民衆が、目を覚まし立ち上がるところにこそあると信じています。私たちを核兵器の時代から脱却させる勇気のある指導者がいなければ、民衆自身が、指導者に行動を要求しなくてはなりません。民衆が先駆ければ、指導者も後を追うでしょう。この方法に、私は希望を見いだしています」(クリーガー所長)
 「仏法は『一念三千』といって、自分自身を変革し、さらに人間社会を変革し、そして国土までも変革していく根源の力が、生命の『一念』に秘められていると説きます。その力を一人一人から引き出し、結集していくのが、私たちSGIのめざす『人間革命』の平和運動です。それはまた、時代が要請する『新しいスーパーパワー』の源泉となる、民衆の広範な連帯を築き上げる運動でもあるのです」(池田会長)
 二十一世紀を前に、ほぼ同時期に雑誌で連載されたヴィティエール博士との対談と、クリーガー所長との対談――。
 「世界市民」のエートス(気風)と、現実の厚い壁を打ち破る"たくましき楽観主義"が脈打つ、本巻所収の二つの語らいには、戦争と暴力による人類史の流転を転換するための「英知」と「情熱」が光り輝いている。
 二〇〇四年九月八日

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