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日蓮大聖人・池田大作

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3 教育の使命と青年への期待  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

前後
1  池田 私たちの対談の締めくくりとして、未来を展望し、教育と青年の使命をテーマに語りあいたいと思います。世紀末から新しい世紀へ――時代は今、大きな過渡期を迎えています。
 この二十一世紀を「平和の世紀」にできるか否かは、あくまで「人間の意志」にかかっています。
 これまで悲劇が繰り返されるたびに、人類が贖ってきた代償はあまりにも大きかった。「戦争と暴力の世紀」と呼ばれた二十世紀の教訓を無にせず、強い決意をもって、悲劇の流転史を終わらせなければなりません。
 クリーガー 同感です。人間が変わらなければなりません。私たちは、もっと勇敢な人間にならねばなりません。平和に生きる勇気を持たねばなりません。そして、「核時代」に終止符を打たねばならないのです。では「核兵器のない世界」を、どうやって築いていけばよいのか――そうした努力の一環として、焦点となったのが、世界百八十七カ国の代表が集い、二〇〇〇年四月から五月にかけてニューヨークの国連本部で行われたNPT(核拡散防止条約)の再検討会議でした。
 私ども「核時代平和財団」では、会議の開幕日にあたる二〇〇〇年四月二十四日の「ニューヨーク・タイムズ」紙に、われわれは何をなさねばならないかについて、意見広告を掲載しました。
 これは「人類に対する核兵器の脅威を終わらせるためのアピール」と題するもので、元アメリカ大統領のジミー・カーター氏、「パグウォッシュ会議」のロートブラット博士や、コスタリカのアリアス元大統領など、世界を代表する五十六人の指導者の連名で発表したものです。
 池田 会長にも賛同をいただいたアピールの中では、「核兵器が二度と使用されないことを確かなものにする唯一の方法は、核兵器を廃絶することである」と述べています。このアピールを私は、NPT再検討会議のバーリ議長に、「アボリション二〇〇〇」の署名の目録と一緒に贈呈しました。
2  "脅威の本質"を見つめ直せ
 池田 今後の核軍縮の進展に大きな影響をあたえる、重要な意義をもつ会議でした。
 残念ながら、私たちが求めていた核廃絶への具体的な実施計画は打ち出されませんでしたが、最終文書で「核保有国による核廃絶の明確な約束」が初めて謳われるなど、一定の成果を得ることができたと思います。とくに、核兵器能力を開示する「透明性の強化」や、削減した核兵器をふたたびふやすことを認めない「不可逆性の原則」の適用、アメリカやロシアだけでなく「すべての核保有国の核廃絶プロセスへの関与」を盛り込んだことは、特筆すべき点ではないかと思います。
 クリーガー 会議では、予想されたとおり、核保有国と非保有国との間で厳しい意見の対立がみられました。一時は最終文書の採択さえ危ぶまれましたが、こうした状況を乗り越え、百八十七カ国が全会一致で合意した文書には重みがあります。
 かなりの項目で、具体的な措置や期限が定められていないなど、今後に課題を残した内容ではありますが、核保有国は、この合意を誠実に履行する責任があることを自覚すべきでしょう。
 保有国が、今までと同じように抑止論に固執する限り、「核廃絶の明確な約束」も、いつ実現されるともしれない"空手形"になりかねないのです。
 池田 同感です。事実、NPT再検討会議の成果を受けて、多国間交渉の舞台となった国連の「ジュネーブ軍縮会議」では、審議の前提となる作業文書さえ合意できないまま、会期が終了しました。こうした状況は一九九九年以来、二年連続で続いており、まことに憂慮すべき状況といえます。
 その現状をまねいたのは、NPTや軍縮会議の制度上の問題よりも、核廃絶への明確な政治的意志が保有国に欠けていることが大きいと思います。
 NPTの会議で「核兵器完全廃棄への明確な約束」という文言を核保有国が最終的に認めたのは、非保有国が主導する「新アジェンダ連合」とこれを支援するNGOの働きかけがあったからこそですが、この流れを後退させないためには、"民衆世論の包囲網"をさらに強めながら、核保有国に「約束」の誠実な履行を迫っていく必要があります。
 クリーガー 私どもの財団が、先ほどの「人類に対する核兵器の脅威を終わらせるためのアピール」への賛同署名を世界で幅広く募っているのも、そのためです。
 池田 長年の交渉を経てようやく合意を得ても、核兵器の脅威は減ることはなく、新たな形で軍拡が繰り返される――まるでギリシャ神話の"巨石を押し上げては落とされるシシュフォス"のような悲劇は、二十世紀で断じて終止符を打たねばなりません。
 そのためにもまず、二〇〇一年から二〇一〇年までの十年間を「核廃絶への実行の十年」と位置づけ、NPT六条にもとづく軍縮プロセスを速やかに開始すべきではないでしょうか。
 二〇〇〇年の国連総会でも、CTBT(包括的核実験禁止条約)の二〇〇三年までの発効や、カットオフ(兵器用核分裂物質の生産禁止)条約の二〇〇五年までの締結など、明確な年限目標を盛り込んだ決議が採択されました。
 こうしたさらなる軍拡を防ぐ枠組みの確立とともに、米ロだけでなく全保有国が核兵器の削減を現実に推進させる必要があるでしょう。
 具体的には、NPTの再検討会議では、ジュネーブ軍縮会議に核軍縮をあつかう下級機関を設けることが合意をみましたが、この機関でスケジュールの立案のための協議を継続的に行い、履行の確認を行っていくことが望ましいと思います。
 クリーガー 全面的に賛成です。全世界の民衆の声の高まりによって勝ち取られた合意を、誠実に実行するよう、核保有国の指導者たちに迫っていく必要がありますね。
 そのためにも、国益の壁に阻まれて、遅々として進まない核軍縮の状況を打開するためには、私はまず、核保有国の指導者たちが核兵器が人類ならびに自国にもたらす"脅威の本質"をあらためて見つめ直す必要があると考えています。
 核兵器の誕生は、歴史を一変させる出来事でした。人類は今後も、利用可能な科学技術のすべてを戦争に用いる危険性があります。戦争によって紛争の解決を求める政策が続けられるならば、間違いなく人類の未来は暗い。恐らく、人類の未来はないでしょう。
 現代の人類が"生物種"としての自分自身を絶滅しうる地点に到達したことは、実感するにも、由々しいことです。
3  核戦争後は"生"がないから"死"もない
 池田 核戦争によって、人類という"種"そのものが絶滅してしまう世界――かつて『地球の運命』(斎田一路・西俣総平訳、朝日新聞社)で全面核戦争に警鐘を鳴らしたジョナサン・シェルは、これを「死の死」という言葉で表現していましたね。つまり、核戦争後の世界は"生"がないのだから"死"もない、と。
 クリーガー 人間がいなくては、歴史もありえません。過去を解釈して未来に伝える可能性もなくなります。人間の死とは、すなわち人間の英知の死であり、創造性の死――皮肉なことに、科学技術の死をも意味するのです。かりに他の知的生物が宇宙に存在するとすれば、地球を訪れた彼らは、われわれが科学技術を制御する意志を発揮できずに、みずから滅びてしまったことを発見するでしょう。
 私たち人類が失敗にいたった理由を彼らが特定できないとしても、二十万年以内に地球を訪れるならば、そこに散見されるプルトニウムの痕跡から、いかなる形で私たちが過ちを犯したかを知り、核の脅威を認識することだけは間違いないと思います。
 もちろん、これは仮定にもとづいた話であり、私たちが直面する共通の脅威に関する想像上の可能性にすぎません。しかし、この「想像力」こそ、人類が直面する歴史的挑戦に対処する"カギ"ではないでしょうか。すべての人間がいなくなってしまう未来の姿を想像できるならば、そのような未来を防止する行動を起こせるはずです。
 池田 自分たちの生活が、じつは、そうした危険とつねに隣り合わせにある――その厳しい現実を認識することが、すべての出発点になりますね。イギリスの哲学者バートランド・ラッセル氏は、こう表現しました。「私たちの世界は、安全保障についての奇妙な概念とゆがんだ道徳心を芽生えさせてきた。兵器は財宝のようにシェルターに守られ、子どもたちは焼却の淵にさらされている」と。ラッセルは、「核時代」にみられる、こうした倫理的な崩壊を、鋭く告発したのです。
 未来の宝である子どもたちを危険から守ることより、核兵器の保持に腐心する――そんな転倒を許しては、絶対になりません。こうした状況を見すごせば、人間性の敗北につながってしまう。人間は、破壊のために生きているのではない。人間には、平和と幸福を創造する精神の力が備わっているのです。

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