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日蓮大聖人・池田大作

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4 平和運動に求められる要件  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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1  池田 「戦争と平和」――このテーマは、心ある人々の頭をつねに離れることのない問題です。これまでも、世界で数多くの平和運動が起こりました。しかし、そのなかには"権力の仮面"をかぶったものもあれば、特定の人々の利害の手段とされたものも少なくなかった。また、美名で飾られた、中身のともなわない運動があったことも事実です。また、理想高くスタートした団体であっても、年月を経るごとに所期の目的が忘れられ、しだいに活力を失うケースもあります。
 平和運動は、一朝一夕で成果が得られるものではなく、長い時間と地道な努力を必要とします。その反面で、運動への参加は一人一人の「自主性」を基本としているため、なかなか長続きしにくい――。このジレンマをどう克服し、「持続性」をいかに確保するかが、平和運動の成否を決める第一のポイントになると、私は考えます。
 クリーガー 私も、「持続性」が平和運動の成功のカギを握っていると思います。それは、個人の特性で言えば、辛抱強さであり、
 重要な目標を達成するために不可欠な資質です。
 真実の平和運動は、長期的な闘争を前提としております。所詮、平和とは持続的に日々新たに勝ち取っていくプロセス(道程)です。今日の国家制度や、国際関係のなかに組み込まれた暴力を是とする勢力に対抗するには、勇気ある、そして長きにわたる献身的努力が必要となります。
 池田 なかんずく、平和運動を実りあるものにするためには、明確なビジョンとともに、中心者の不動の信念と情熱が欠かせません。これまで、私は、パグウォッシュ会議やIPPNW(核戦争防止国際医師の会)をはじめ、数多くの平和運動のリーダーたちと対話を重ねてきましたが、その点を強く感じています。とりわけ、私が重要と考えるのは、信念のためには生命をも惜しまない――いわば宗教でいうところの「殉教の精神」が、リーダーに脈打っているかどうか、という点です。
 リーダーから断固たる意志が失われてしまえば、運動は停滞し、やがて衰退してしまう。これが歴史の教訓ではないでしょうか。逆に、リーダーの心に信念の炎が燃え続けている限り、たとえ時間がかかったとしても、目標は成就できると私は信じるのです。
 クリーガー たしかに現実には、変革を主張するリーダーを疲れさせ、その信望を奪おうとする勢力が多く現れがちです。池田会長も、日本の社会で長らく、そのような不当なあつかいを受けてこられたことを、私は知っています。偉大な平和の指導者のなかには、マハトマ・ガンジーやマーチン・ルーサー・キングのように暗殺された人がいます。中東和平の道を模索した、アンワール・サダト(エジプト元大統領)も、イツァーク・ラビン
 (イスラエル元首相)も暗殺されました。こうした指導者たちは、より正義のある平和な社会を建設するために献身し、そのために犠牲になったともいえるのです。
 なぜガンジーの運動が成功したか
 池田 今、所長はマハトマ・ガンジーに言及されました。ガンジーが進めた非暴力運動こそ、二十世紀の人類史に輝く一つの偉業といえるでしょう。
 「一人に可能なことは万人に可能である」(K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)と、みずからの行動を通して、民衆に「勇気」と「希望」をあたえたガンジー。一見、無謀とも思われた彼の運動が、なぜ成功したのか――。
 その答えを知る手がかりは、作家フランツ・カフカの次の言葉にあるような気がします。
 カフカは、イギリス当局がガンジーを逮捕したとの報を聞いて、こう語ったと言います。
 「これでガンジーの運動が勝つことは明らかになりました。ガンジーの投獄は彼の党派に、いよいよ大きな躍進を可能にするでしょう。殉教者のいない運動はすべて、成功ばかりを狙う投機師どもの利益共同体に堕してしまうからです。滔々たる流れが、未来の希望の一切を腐らせる水溜りと化するのです。何故なら思想というものは――およそこの世で超個人的な価値をもつすべてのものと同じく――個人的な犠牲によってのみ生きるからです」(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、筑摩書房)と。
 クリーガー じつに含蓄のある言葉ですが、私としては、自分が正しいと確信して行った行動を「犠牲」という言葉で呼ぶことが適切かどうかは疑問が残ります。
 しかしながら私も、平和の大義を掲げ、前進を志す人々は、強い決意と不屈の行動を貫かねばならないと信じます。
 平和は容易に勝ち取れるものではなく、また一度の勝利が平和の永続を保証するものでもありません。ある意味で平和は、日々の行動を通し、何度も何度も挑戦し、勝ち取るべきものといえましょう。
 平和とは、たんに人々が非暴力の協定を結ぶことだけで実現できるものではありません。人々の心に定着して、平和で公正な政策、とくに外交政策の取り組みへの人々の支持を導くのに役立つものでなければならないのです。
2  平和とは"日々、勝ち取るもの"
 池田 おっしゃる意味は、よくわかります。
 今から二百年前に『永遠平和のために』を著したカントも、永遠平和のためには、その終極の目標に向かって「限りなく前進を続ける」以外にないと強調していました。
 平和を実現するためには、永遠に努力を続けるしかない。ひとたび油断したり、満足したとたんに、危機が訪れてしまう。おっしゃるとおり、平和とは、日々の生活のなかで不断に勝ち取り、守りぬいていくべきものといえましょう。
 クリーガー 私も同じように平和の意味を幅広く考えています。平和は生涯にわたる献身であり、人間の生き方そのものであるととらえます。自分の仕事として平和を意識的に選びとり、日々、その成功に努める――これが、私の考えるリーダーシップのあり方です。
 私は、他の人々にも平和への仕事に参加するように勧めてきました。
 ただし、才能や能力は人それぞれですから、その人なりに平和に貢献できる方法を見つけだすことが大切であると訴えてきたのです。そうすることが、各人の分担する大きな責任――つまり、自分自身に対する責任、家族への責任、地域への責任、未来への責任、地球への責任のすべてを果たすことに必ず通じていくと、私は信じているのです。
3  民衆一人一人が"歴史変革の主人公"
 池田 重要なポイントです。平和をめざすといっても、一人の力だけで実現できるものではありません。人々が心を合わせて立ち向かってこそ、運動も現実を変えゆく力へと結実するものです。
 仏法では「桜梅桃李」といって、各人が自分らしく個性を開花させることで社会を豊かにしていくという人間観を説いています。その上で大切なのは、ガンジーが強調したように、「恐れない心」を一人一人がもつことでしょう。不正義を許さない心、平和に貢献したいという思いさえあれば、その参加形態は問われるべきものではないはずです。むしろ、それぞれの個性を生かすことによって、柔軟で幅広い連帯が築かれ、持続的な運動につながっていくと私は考えます。
 クリーガー 本当にそのとおりですね。私は、核兵器廃絶こそが第一の優先課題と考えています。しかし、現に戦争が起きている地域や、人権が侵害されていたり、極端な貧困が残存している地域――こうした地域に住む人々が、現実に直面する問題の解決を最優先することは、ある意味で、当然なことだと思うのです。「核兵器のない世界」を実現したからといって、すぐに平和な世界が到来するとは、もちろん私も思っていません。しかし、平和のためにまだなすべき多くのことが残っているにせよ、やはり核兵器廃絶がきわめて重要な一歩となります。
 ともあれ、世界を平和の方向へ前進させようと考える人たちに対し、私が助言できることは、次のことです。「絶対にあきらめるな」「世界の未来は、私たち一人一人の行動にかかっていると決意し、ともに戦おう」「私たち全員が、未来を創りだす主体者である」というメッセージです。
 池田 同感です。「核のない世界」も「戦争のない世界」も、これを築く主導権は、あくまで民衆一人一人にある。この確信と責任を、私たちは絶対に手放してはならない。そして、一人一人が歴史を変革しゆく主人公であるとの気概をもって、地球的問題群の解決に向け、挑戦を開始していくべきなのです。そこで具体的に、NGO(非政府組織)のリーダーとして行動されている所長にお聞きしたいのですが、核時代平和財団を創設されるにあたって、とくに心がけられた点は何でしょうか。

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