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日蓮大聖人・池田大作

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1 変革への意志と「民衆の力」  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

前後
1  ネルソン・マンデラ氏の人権闘争
 池田 「新しい時代」を切り開いてきたのはつねに、理想と信念のために一人立つ人間でした。
 南アフリカ共和国で、悪名高いアパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃されたのも、ネルソン・マンデラ氏(前大統領)をはじめとする人道の闘士の戦いがあったからでしょう。
 獄窓一万日の闘争――。勇気も希望も根こそぎ奪い取ってしまう牢獄の中で、氏は一歩も退かなかった。この不屈の戦いを知った世界の人々が支援を始め、南ア政府は不当な制度を維持し続けることが困難となった。そしてついに、アパルトヘイト撤廃という「希望の夜明け」を迎えたことは記憶に新しいところです。
 初めてマンデラ氏とお会いしたのは、出獄して半年後の一九九〇年(平成二年)十月、アフリカ民族会議(ANC)副議長として来日された折でした。穏やかな表情の奥に、不屈の意志をたたえておられた。
 私は、氏を動かしてきたものは、"白人への憎悪"ではなく、"人間への慈愛"であると感じました。
 クリーガー マンデラ氏の話には、希望が満ちています。何世紀も続いてきた白人による黒人支配を打ち破ろうと立ち上がったマンデラ氏は、二十七年間の獄中生活を強いられ、いつ絶望してもおかしくない状況にありました。
 しかし、氏は志を貫き、「人間の尊厳は人種差別主義に必ず勝つ」との確信を失わなかった。そして、最終的に勝利し、不可能と思われた氏の見果てぬ夢が実現しました。牢獄を出た氏は、南ア初の黒人大統領になったのです。
 池田 黒人が白人に取って代わろうというのではなく、だれもが平等に生きられる社会をめざす――。マンデラ氏は、これこそ「生涯をかけて達成したいと願っている理想」であり、「必要であれば、そのために死をも覚悟している理想」であると、釈放直後の演説で述べています。お会いした時、その熱い思いが、ひしひしと伝わってきました。
 クリーガー 強い確信に裏づけられた情熱がなければ、とうていできることではありません。
 マンデラ氏の話でもっとも偉大であると私が考えるのは、権力を握った後の氏の寛容の精神です。
 長年の苦闘を経ての勝利であったにもかかわらず、氏の心には、すべての人々を包みこむ寛容の精神が満ちていた。出獄した時、氏には憤りもなく、復讐心もなかったのです。
 人々が目にしたのは、「人間の尊厳」をすべての人に――かつての抑圧者たちにも求める、真の人間の姿でした。氏は、私が心から尊敬する人物です。
 マンデラ氏が大統領に就任してから設けられた
 「真実和解委員会」は、南アフリカの人々がアパルトヘイトの傷を癒すうえで、貴重な機会を提供しました。
 池田 その委員会の最終の報告書は、九八年の十月に公表されましたが、過去の歴史を真摯に見つめ直し、真の共存社会をめざすもので、高く評価できます。
 ところで、所長は尊敬する人物として、このマンデラ氏の他、アルバート・アインシュタイン博士や、ジョセフ・ロートブラット博士の名を挙げていますね。
2  「核廃絶」に立ち上がった科学者たち
 クリーガー ええ。両博士は、私にとって「英雄」と呼ぶにふさわしい人物です。
 アインシュタイン博士は、二十世紀のみならず、時代を冠絶した科学者の一人でしょう。彼はまた、偉大な人間でした。人間性を一度も失うことのなかった人物だと思います。
 「核時代」の危険性を明らかにしたのも彼でした。その意味で、「予言者」と位置づけることもできると思います。アインシュタイン博士は「解放された原子力は、われわれの思考様式を除いて、一切のものを変えました。かくてわれわれは、比類のない破滅にむかって押し流されています」(『アインシュタイン平和書簡』2、金子敏男訳、みすず書房)と語りました。彼は、人類が思考法を変革すべき新時代に入ったことを認識していたのです。
 池田 博士の魂の叫びは、"核兵器開発は、たんなる科学技術の進歩の問題ではない。人間にとって、より根源的な出来事である"との深い認識から出発していると思います。
 一九五五年(昭和三十年)、人類への遺言として彼が残したものこそ、「ラッセル=アインシュタイン宣言」でした。死の直前、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル氏などと出した共同声明ですが、核時代における人間の生き方を問いただしたものです。
 クリーガー 私はこの宣言を、二十世紀におけるもっとも重要な声明の一つと考えています。
 そこでは、人類には未来を選ぶ可能性が残されているとし、こう謳っています。
  「われわれの前には、もしわれわれが選ぶなら、幸福、知識、知恵の不断の進歩がある。
  争いを忘れることができないという理由で、われわれは死を選ぶのであろうか。
  われわれは人類として、人類に訴える。
  あなたがたの人間性を心に止め、他のことを忘れよ。
  もしそれができるなら、道は新しい楽園に向かって開かれている。
  もしできないなら、あなた方の前には全面的な死の危険が横たわっている」
  たしかに、未来を選ぶ可能性は人類に残されている。しかし、「人間の尊厳」の道を選ぶには、並々ならぬ献身と不屈の意志をもったリーダーが必要であると、私は強く訴えたいのです。
 池田 わかります。平和や民主主義といっても、一朝一夕にできるものではありません。しかし、本物の一人が立ち、死力を尽くして戦えば、必ず活路は開ける。先のマンデラ氏の例に見られるように、信念の一人がいれば、新たな勝利の歩みが始まる――これが、歴史の不変の鉄則です。一人の勇気が次の一人へ、やがて万人の勇気を生み、
 万人の勝利を開いていくのです。
 クリーガー 私もそう思います。
 もう一人、私が尊敬するロートブラット博士は、その「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名をした十一人の一人であり、核兵器廃絶運動に身を捧げてきた科学者です。
 博士は、第二次世界大戦の最中の一九四〇年代に、原子爆弾を開発する米英両国の「マンハッタン計画」に加わっていました。しかし博士は、敵国ドイツが原爆開発に成功しないとわかった時に、計画から離れたただ一人の科学者でもありました。
 原爆製造の唯一の理由は、ドイツの原爆使用を抑止することにあると信じていた博士は、ドイツが原爆を製造できないと確信がもてた時、原爆を開発する仕事をやめたのです。
 このこと自体、すばらしいことですが、さらに称賛すべきは、博士が、それから半世紀以上にわたり、核のない世界をめざして献身されてきたことです。
 池田 ロートブラット博士と最初にお会いしたのは、八九年(平成元年)十月のことでした。その時、博士はこう言われました。
 「『戦争』は人間を愚かな動物に変えてしまう力をもっている。通常の状態では思慮分別のある科学者も、ひとたび戦争が始まると正しい判断を失ってしまう」と。忘れることのできない言葉です。
 博士は、「ラッセル=アインシュタイン宣言」を受けて設立された「パグウォッシュ会議」の創始者の一人であり、その会長を四十年余にわたって務められました(現在は、同会議名誉会長)。人々を誤った道から救い、正しい軌道に戻そうとされるロートブラット博士には、敬意と共感をおぼえます。
 クリーガー パグウォッシュ会議は、世界が直面する危機を討議するために、東西の科学者が集ってできたものでした。ロートブラット博士が発言する時は、つねに「皆さんの人間性を思い出してください」という簡単なメッセージが繰り返されます。これはたんに科学者に対するものではなく、世界の人々に対するメッセージでもあるのです。ロートブラット博士とパグウォッシュ会議が一九九五年にノーベル平和賞を受賞した時の、博士の講演のタイトルも、このメッセージでした。
 池田 かつて、アメリカの思想家エマーソンも、ロートブラット博士に相通ずる主張をしていますね。エマーソンは国家や社会、科学や教育はすべて人間性に立脚すべきであると訴え、「われわれのうちにひそむ人間性を尊ぶことは、最高の義務ではないか」(『エマソン選集』4、原島善衛訳、日本教文社)と述べております。
 "人間性を忘れるな!"とのメッセージは、簡易な表現ですが、危機を前にして人々が問題の複雑性にとまどい、解決法を見失った今こそ、立ち返るべき原点です。
3  平和と科学の巨人ポーリング博士の情熱
 クリーガー 本当ですね。
 「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名した科学者で、私が心から尊敬しているもう一人の人物は、ライナス・ポーリング博士です。アインシュタイン、ロートブラットの両博士と同じように、ポーリング博士も核実験に反対し、公然と核兵器廃絶を主張しました。一九五七年に、ポーリング博士とヘレン夫人が、核兵器の大気圏内での実験をやめさせようと、科学者たちの嘆願書をまとめたことがありました。アメリカ国内で始まったこの運動は、しだいに反響を広げ、最終的には世界中の科学者が署名することになったのです。総勢九千人の科学者が署名した嘆願書を、博士は、ダグ・ハマーショルド国連事務総長(当時)に届けました。
 そうした行動をはじめ、世界平和への多大な尽力に対し、一九六二年のノーベル平和賞が授与されたのです。博士にとっては、化学賞に続く二度目のノーベル賞受賞でした。
 池田 ポーリング博士とは、対談集『「生命の世紀」への探求』(本全集第14巻収録)を編むなど、私もひときわ深い思いがあります。平和と科学――この二つの分野で、大きな足跡を残した博士の原動力となったものは、"人間を苦しみから救いたい"との情熱であったと、私は対談を通じて感じました。
 この思いが、博士の科学への尽きぬ探究心と平和への不屈の信念の源泉だったのです。
 博士が私に、「いちばん尊いのは、平和へ行動する人です。世界平和のために、私にできることは、なんでも喜んで協力させていただきます」と、言われたことは忘れられません。
 博士の逝去後、夫人やご子息に、ご協力をいただいて開催したのが、九八年九月にサンフランシスコで行われた「ライナス・ポーリングと二十世紀」展でした。
 これは、博士の崇高な生涯を通し、二十一世紀の人類への指標を学んでいきたいとの思いで提案したものです。
 クリーガー 所長にも、記念講演会で講師を務めていただき、ありがとうございました。
 クリーガー こちらこそ、心から尊敬するポーリング博士の展示行事に参加できたことは、私にとっても喜びでした。池田会長がそのために尽力されたことも、よく存じております。展示では、ポーリング博士の平和行動に対する反感や憎悪に満ちた手紙も含まれていましたね。
 池田 そうです。展示会場で上映されたビデオでも、政府やマスコミからの非難や弾圧にひるまない博士の姿が紹介され、ひときわ感動を呼んだとうかがっています。
 クリーガー 平和で安全な世界を求めて献身した人に、罵詈雑言をあびせるなど言語道断ですが、残念ながら二十世紀における国家主義の支配力とはそうしたものであり、それは新しい世紀に入っても変わらないでしょう。
 この状況はもちろん、ポーリング博士一人にあてはまるものではありません。しかし博士は、真実を見たままに語り、「人間の尊厳」を守るために一歩も退かなかった。この不屈の行動こそが、博士の偉大さの真の証です。
 「真実」と「人間の尊厳」のために戦う精神は、ポーリング博士だけでなく、先に述べたマンデラ前大統領、アインシュタイン博士、ロートブラット博士それぞれの生涯を特徴づけるものであると思います。
 池田 私は、そうした先達たちと同じ精神を、クリーガー所長から感じます。
 所長が、世間の無理解や無関心という"厚い壁"に負けず、これを打ち破ろうと情熱を燃やしてこられたことを知っているからです。
 クリーガー 恐縮です。今後も、そうした壁を打ち崩すための挑戦を続けてまいります。
 池田 前にも述べましたが、創価学会の牧口初代会長、戸田第二代会長も、ともに平和と人道のために戦い抜いた人でした。
 当時、二人は、侵略や人権侵害など暴虐の限りを尽くす軍国主義ファシズムに、まっこうから対決したのです。その行動は宗教的信念によるものでしたが、たんに一宗一派を守るためではない――「人間の尊厳」を脅かすファシズムを阻止するという、普遍的な見地に立つものでした。
 クリーガー 池田会長は、その両会長の平和と人道の闘争をさらに前進させ、平和と正義の世界を築く運動において、一貫したリーダーシップを発揮してこられました。
 池田 ご指摘のとおり、私の平和行動の原点は、すべて師である戸田先生にあります。師の心を受け継いで、平和への闘争を世界に広げてきた私の人生も、迫害と非難の連続でした。
 しかし、師との誓いのままに信念に殉じようと心を定めていたので、何があっても動じることはなかったのです。

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