Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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3 誓い――広島、長崎を訪れて  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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1  広島、長崎は「永遠の不戦の原点」
 池田 クリーガー所長は一九九八年(平成十年)の二月、広島と長崎の原爆資料館に行かれた時、「すべての国の指導者に、ここを訪れることを義務づけるべきである」と強く訴えておられましたね。これは、私も平和提言などあらゆる機会を通じて主張してきたことです。スウェーデンの故パルメ首相はじめ、多くの識者の意見でもあります。
 広島、長崎こそ、「永遠の不戦の原点」として人類史に刻まれるべき地です。
 クリーガー ええ。広島、長崎は「聖地」だと思います。原爆で亡くなった多くの罪なき民によって、「聖なる地」になったのです。広島、長崎は不運にも、「核時代」という新たな時代――人間の破壊のための手段が理性の力を圧倒しようかという時代へ、扉が開かれた場所になりました。両都市への原爆投下は、劇的に世界を変えました。おそらく世界の大半の人々の認識をはるかに超えるほどに――。
 このことをただちに洞察した一人に、アルベール・カミュがいました。カミュは、広島への原爆投下の二日後、彼の編集していたフランスのレジスタンス派の新聞に次のように記しました。
 「我々は事態を一行の文に要約できる。すなわち、技術文明が、その野蛮性の最終的段階に達したのだ。我々は近い将来、集団自殺か、科学の勝利の英知による活用か、いずれか一つを選択せねばならないだろう。人類に開かれつつある恐ろしい展望を前にしている我々は、平和のみが遂行に値する唯一の闘いであることを、以前よりもさらに認識できるようになった。平和は、もはや単なる願望ではなく、諸人民から諸政府へ澎湃として起きてこなければならぬ命令である。地獄か、理性か、最終的に選択をせねばならない命令である」
 カミュは、いかに人類の未来が心細いものとなったかを認識していました。
 池田 彼はナチズムと戦った、真の意味での「知識人」でしたね。
 クリーガー ええ。私の見解では、彼の世代の最良の人たちは、核兵器の廃絶のために闘いました。アルバート・アインシュタイン、バートランド・ラッセル、アルバート・シュバイツァー、ライナス・ポーリング、ジョセフ・ロートブラット、そしてノーマン・カズンズの各氏は、アルベール・カミュと同様、核兵器の廃絶と戦争の終焉のために、勇敢に発言した人たちの代表です。
 いずれも、核兵器のない世界を実現するために闘った偉大な指導者でした。そして、会長の師である戸田城聖氏も、先見の明をお持ちでした。この人たちこそ、核兵器の増強を支持した政治家、軍事家よりも、ずっと深く未来の世代から敬愛され、
 慕われるだろうと、私は信じています。
 池田 まったく同感です。真の勇敢さとは、暴力を否定した人のものです。未来のため、人類益のために立ち上がった人のものです。武力を用いることは、「人間の臆病」の象徴です。「精神の敗北」の象徴です。
 ポーリング博士、カズンズ博士は、私も数回お会いして、対談集も世に問いました。ロートブラット博士との友情も、たいへんに光栄かつ貴重なものです。
 クリーガー トルーマン大統領は、広島への原爆投下の直後、原爆の性能をアメリカ国民に説明するなかで、神に呼びかけました。
 「原子爆弾が、敵にではなく、我が方にもたらされたことを、我々は神に感謝し、これを神の仕方で神の目的のために使用すべく、我々を導きたまうように祈願するものである」と。人類の頭上に解き放たれた恐ろしい力を、多くの人々は、カミュのようには認識していなかったと思います。
 池田 トルーマン大統領が「神に寄せて」原爆を語ったのは、何か象徴的な気がします。「手にしてはいけない兵器」を手にしてしまった「恐れ」の表れでしょうか。しかし、核兵器に「神の目的」などあるはずがない。逆です。サタンの所為です。「権力の魔性」の産物です。
2  悲劇を忘れない「勇気」
 クリーガー 爆弾が投下されるや、市街に何が起きたか。その記録が、広島の原爆資料館に保存されています。市街は灰になりました。人間が文字どおり「焼却」されたのです。
 今日の広島を見ても、当時の悲惨さはわかりません。広島は、活気にあふれた美しい都市です。長崎もそうです。しかし、原爆の悲劇が記憶も認識もされず、行動の指針にならなければ、悲劇はふたたび繰り返され、しかもさらに破壊的な結果になることは疑いありません。
 池田 悲劇を知ること、直視することが平和の第一歩です。"忘れない"ことが大事です。忘れないことが"勇気"なのです。
 クリーガー 核兵器を持つ諸国のリーダーが広島や長崎の資料館を見学すれば、衝撃を受けるでしょう。そうなれば核兵器の廃絶へ向かう動きが、もっと早まるにちがいないと思います。
 池田 仏法では人間を不幸にする働きを「魔」ととらえますが、その頂点に「他化自在天」、すなわち「権力の魔性」を置いています。権力を握ったつもりでいて、じつは権力の魔力に魅入られてしまう指導者が、あまりにも多い。「権力」は怖い。人間を狂わせます。そうなれば、指導者個人だけでなく、多くの民衆が不幸になってしまう。その最たるものが戦争です。
 指導者には、権力を民衆の「幸福」のために用いる責務があります。官僚機構や所属政党、また専門家等々の声を聞く前に、まず注意深く、みずからの「人間としての良心」に耳をかたむけなければならない。「政治家」である前に、「哲人」でなければならないのです。
 そして、そのための「縁」にふれるよう努力することです。
 その意味で、各国の指導者たちが広島、長崎を訪れる意義は大きいはずです。
 私はライフワークとして小説『人間革命』の続編
 (『新・人間革命』)を書き始めるにあたって、「八月六日」(一九九三年〈平成五年〉)を選びました。
3  人間が生みだしたものは打ち破れる
 クリーガー 会長が小説『新・人間革命』執筆の開始日として八月六日を選ばれたという象徴的な行為には、核兵器と戦争に反対する「ヒロシマの精神」をさらに広げ、人間精神の変革へと高めようとする意志がうかがわれます。私は『新・人間革命』の言葉に胸打たれます。
  平和ほど、尊きものはない。
  平和ほど、幸福なものはない。
  平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。
 まさにそのとおりです。より平和な世界の創出に取り組まれる会長の気概にふれて、全世界の数多くの人々が、平和への行動に駆りたてられたにちがいありません。
 池田 広島には、これまで何十回もまいりました。長編詩(『平和のドーム 凱旋の歌声』。本全集第42巻収録)も書きました。少年少女のために、広島を題材にした短編小説(『ヒロシマへの旅』。本全集第50巻収録)もつづりました。SGI(創価学会インタナショナル)の「世界青年平和文化祭」も、被爆五十年の九五年(平成七年)をはじめ、広島で二度、開催しています。
 九七年には、戸田先生の「原水爆禁止宣言」四十周年を記念して、広島・大朝町の中国平和記念墓地公園に「世界平和祈願の碑」を建立いたしました。
 核廃絶への強い決心をこめたものです。九八年の二月、所長がこの墓地公園を訪れてくださったことに、あらためて御礼申し上げます。
 クリーガー 妻とともに広島を訪れて、市民の精神に感銘を深くしました。広島の人々に、はっきりとした平和の精神を感じたのです。妻と私にとって、平和記念墓地公園を訪れ、非常に印象的な「世界平和祈願の碑」を見る機会を得たことは、大きな喜びでした。会長は、どのようないきさつから、碑の構想を思いつかれたのですか。
 池田 墓地公園は、私たちにとって、たんに死者を弔い、「過去を振り返る」だけの場所ではない。平和のために戦ってきた同志が眠る城なのです。そこに眠る人々は、生死を超えた「平和の同志」です。
 墓地公園は、訪れる人々が、永眠する同志の「平和への意志」を継ぎ、「平和の闘争」に立ち上がる場所なのです。ですから、広島に墓地公園を設けると決まった時、永遠平和の祈念碑を立てるのに、ここ以上にふさわしい場所はないと思いました。
 碑についてはまず、日本人だけでなく、また広島、長崎の原爆だけでなく、核実験も含めた、世界の「すべての被爆者」のための碑とすることを考えました。そこで、彫像を「西洋」を代表してフランスのルイ・デルブレ氏にお願いし、碑銘は「東洋」を代表して、香港の作家の金庸氏にしたためていただきました。
 碑文には、原水爆禁止宣言にこめられた「核兵器は人間生命の魔性の産物である。しかし、人間が生みだしたものである以上、必ず人間の力で打ち破ることができる」という信念を、短い文に凝縮したつもりです。
 クリーガー 私も妻も、祈念碑に強い感銘を受けました。
 あの祈念碑は、まさに人間精神の荘厳さを象徴しています。

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